14-3

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 それは生涯で一番最後に、全力で走ったときのものだ。  絢と日光に旅行に行った帰り、立ち寄った宇都宮のデパートで宝石店に入った。結婚話などできる立場ではないが、絢が「指輪を見たい」と言うので渋々入った。ティファニーブルーの輝きを前にして、隣に俺がいて絢は恥ずかしくないのだろうかと本気で思った。 「やっぱいいなぁ、憧れる」  絢は滝本の手を引っ張りながら、目を輝かせて店内を歩きまわった。やがて唐突に、絢が滝本の目を見てぴたりと動きを止めた。 「あ、やばい。来ちゃった」 「何が?」 「生理。そろそろかなあと思ってたんだけど。危ない危ない、温泉の後で良かったよ」  淡々と話す彼女とは対照的に、滝本は死ぬほど焦った。 「お、俺どうすればいい? 人、呼ぶか?」 「バカか、人を呼んでどうする。あたしさあ、うっかりナプキン持って来るの忘れちゃったんだ。あまり歩けないし、この辺にいるから、買ってきてくれない?」  どん、と雷に打たれた気がした。とんでもない使命を仰せつかったみたいだ。 「分かった、すぐ行ってくる」 「あ、待って。あたしが使ってるヤツはね」  商品名を確認すると、滝本は駆け出した。デパートを出て、オリオン通りに入る。  アーケード街は嫌いじゃない。だが、どこに薬局があるかなんて分からなかった。走るしかない。人はけっこう多くて、障害物ばかりだった。  走れ、走れ。  書店がある、喫茶店がある。レコード屋や古着屋もあった。目的の店じゃない。走れ、もっと速く!  彼女をもっと引っ張って、強くなって、守りたい。欲しいのなら指輪だって洋服だって、いくらでも買ってやりたい。それなのに、彼女のために今できることは、近所の薬局に生理用品を買いに行くことだけだ。  走れ、走れよ、このポンコツ! 走ることだけは得意だっただろう、全力で行けよっ。  飲み屋、洋食屋、薬局……。  薬局、あった!  小さな古い薬局だった。駆け込んで、彼女の教えてくれた商品を探し出し、早々に購入する。そしたら元来た道を戻るだけだ。  息を切らせながら帰ると、彼女は笑顔で迎えた。 「ありがとう、速かったね。へへ、助かります」  受け取ると、彼女はトイレに消えた。何だか拍子抜けしたが、やはり少し嬉しくて、大胆にも、いつか指輪も買ってあげたいなどと思った。 「ミノル、忙しいところ悪かったな」  滝本は意識を今に戻した。大沼も勤務中だ、長く拘束するわけにはいかない。 「いえ、大丈夫ですよ」 「お前は主治医で……俺は、病気なんだな。今、初めてそのことを分かった気がする。どうして今になって、病気になんかなっちまったんだろう」  滝本は危うく、これからというときに、と言いそうになった。希望的な材料など何もないくせに、何がこれからなのか分からない。少し可笑しくなった。 「原因は何とも言えません。でも、僕はアッちゃんと一緒に、病気に向き合います」  滝本は小さく頷いて、大沼に仕事に戻るよう促した。 「ミノル。お前が俺の主治医でよかったよ」 「治療はこれからですよ」  そんなことは分かっている。だがようやく、厄介な病気を抱えた自分の現状を、本気で憂えることができそうなのだ。大沼には、せめて伝えたかった。  かつて、石田は言った。彼岸花ではない全ての花は、この世の花なんだと。  もう一度、それを見つけたい。  滝本は、静かに目を閉じた。
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