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 関が正面玄関を通って外に出ると、綺麗な夜空が見えた。  予想していなかった定例会議で時間を取られ、すぐにでも帰りたかった。  職員駐車場の脇にはベンチがあって、外灯が一本、それをぼんやりと照らしている。関の同僚たちは、そこでお喋りして帰ることが多かった。といっても最近は、禁煙外来の施設基準のために施設内全面禁煙というルールができて、利用者はぐっと減った。  関は、自分でも理由がよく分からないまま、そこに座っていた。  隣には、カルテ係の湯島がいる。もう一人、会計係の守本香織(もりもとかおり)も付き合わされていた。彼女はまだ二十代の若手だ。疲れているのに可哀相だなと思う。彼女も、自分も。 「だからさ、柳井さんって、ただ長いってだけでしょ。でも人格はアレだし、彼女の下について、泣かされた子も辞めた子もたくさんいたよ」 「そうみたいですね、聞いたことあります」  嘘ではなかった。柳井美智の悪い噂には事欠かない。裏表が激しく、医者や病院職員に愛想良く取り入る一方で、後輩には非常に厳しくあたるというありがちな悪評だ。 「守本さんも気を付けないとね、自分ができる女だって思ってるから厄介なんだよ、違う係だってお構いなしだもん。特に若い子にはガンガン当たってくるから」 「うわ……そうなんですか。怒られないように気を付けます」  守本は怯えた様子でそう答えた。 「まあ接遇とかね、叱れる人は必要だけど、彼女じゃダメだわ。でもそれ以上に見ていてみっともないのが、男に対する態度だよね。とにかく神崎先生には下心ありあり」  それは関も同感だった。 「関ちゃん、あの噂、知ってる? 今年のバレンタインさ、医局にでっかい手作りチョコ持ってって、先生いなかったから置いてきたんだって。わざわざカードまで付けて」 「あれ、去年は、チョコは控えましょうって通達が出てませんでしたっけ」 「辻原さんはそう言ってたけど、無視したんでしょ。びっくりするのはここからなのよ、そのチョコ、翌朝にはカルテ室の端末の前にドンって戻されてたんだって」 「えっ」  関は思わず聞き返した。 「慌てて隠したみたい。チョコ突き返されるって、あんまり聞かないよね」  そこで湯島は高笑いした。この笑い声が下品で、関は好きになれない。 「そこから犯人捜しよ、バカみたい。先生本人が要らないって意志表示したのにね」 「先生が? ホントに先生なんですか?」 「だってそれしか考えられないじゃん。そう思いたくないんだろうけどさ。すごい笑える」  先生がわざわざチョコを返しに医事課まで来るだろうか。でももし別に犯人がいたら、悪意か、それ以外の理由か。あるいはリーダー辻原が規律のために戻したのか?  ふと見ると、守本は眉間にしわを寄せて湯島を見ていた。 「結局、柳井さん、誰がやったかは分かってないみたい。超くだらない話だよね」 「あは、そうですね」  関は確かに、超くだらないなと思った。学生じゃあるまいし、いや学生の頃だって、もう少しマシだったと思う。  関は思い返す。高校生の頃。  県立の共学、偏差値レベルは中の下といったところで、スポーツや芸術でも特に実績のない普通の学校だ。関は自転車で二十分くらいの距離を、毎日通った。似たような仲間がいて、毎日毎日、何かしら喋り合い、笑い合った。それしか記憶にない。  もう少し、マシだった―― ?  どうだったかな、自信ない。こういうことはいつだって、いつになっても、超くだらない(、、、、、、)のだ。でも、面白い、何がってそれはよく分からないけど、辛いことも晴れない気持ちもあったけど、でも、面白かった。  毎日どうでもいいことで一喜一憂して、泣いたり、怒ったり。  気づけば十年以上も前の、そんな日々だった。その頃好きだったユーミンや吉田秋生が「もう制服じゃない」なんて言葉で気づかせてくれたのは、例えばきっと、十九の頃に思う十八の自分への、激しい郷愁なのだと思う。  だけど。自分たちは、実際のところ、どうなんだろう。湯島や柳井など、もう四十を過ぎるというのに、自分たちは制服の頃と、一体何が変わっただろう。 「みっともないな」  思わず呟いた関に、湯島は振り返った。関は何となく、可笑しくて笑った。それは嘲笑ではなかったと思う。  それからしばらく話したあと、湯島は思い出したように腕時計に目をやり、スーパーが閉まっちゃうからと慌てて帰っていった。 「二人とも、あまり遅くならないうちに帰りなよ」  あんたが言うなと思いながら、関と守本は低い声で「はあい」と答えた。関が立ち上がろうとすると、守本は「ねえ関さん」と呼び止めた。
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