6-2

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「絶っ対、湯島さんたちには内緒ですよ」 「なに、どうしたの」 「あのね、チョコを医局から戻したの、あたしなんです」  関は驚いて守本の目を見つめた。 「だって……何で? あれ、だって、その頃は守本さん、入ったばかりじゃなかったっけ?」 「そうです、一月からですから」 「チョコは、なんで? わざと?」  わざとかという質問は、自分でも意味が分からなかった。 「最初から気に食わなかったんですよね、あの二人。陰で悪口言い合ってるけど、どっちでもいいよって」  今までの守本のおとなしそうなイメージが一変し、関は、戸惑った。 「私は会計だから医局なんてほとんど接点ないけど、神崎先生が一度、窓口に来たんです」 「外来にかかったの? 職員さんは給与天引きじゃなかったっけ」 「ん……そうですけど、要するに、保険組合にまわらないヤツってことみたいです。私、詳しくないけど、自費の、多分あれはマーベロンっていう薬でした」  守本は思い出すように言った。関は、その意味が分かった。マーベロンは避妊薬だ。 「それで領収書を渡したら、私の目を見つめて、人差し指を口にあてて、内緒にしといてねって笑ったんです。色気っていうのかなアレは、ヤバかった」 「いやいや、それって普通、引いちゃうところじゃない? 職場だよ?」  関がそう言うと、守本は冷めた目で関を見返した。 「そういうの、理屈じゃないと思いますけど」 「いや、まあ……そうだけど」  議論しても仕方ないと思った。 「別に神崎先生とどうなりたいとか、そういうことじゃないですよ」 「でも、チョコを持って帰ってきちゃったんだね」 「そうなんです、内緒にしといてくださいね、関さん」  そんなこと、誰にも言えるわけない。  ホントは言ってやりたい気持ちもあったけど、ぐっと我慢しろと自分を戒めた。 「よし、じゃあもう帰りますね、話せてすっきりしました。関さんって話しやすいです」  何が「よし」だ。この子にそんなこと言われても、嬉しくも何ともない。関も立ち上がった。もう二十時になろうとしている。 「でも、関さん、気を付けた方がいいですよ、ときどき見せる雰囲気」 「雰囲気?」 「自分だけは特別、自分だけは関係ありません、みたいな。あんまり評判よくないから」 「えっ! わ、私!? そんなつもりないけど……誰が言ってるの?」  一気に汗が噴き出るようだった。 「誰っていうか、まあ、気にしないでください。じゃあ帰ります。お疲れさまでした」  そう言うと守本は、さっさと帰っていった。  何と率直で豪胆なものだろう。普段の姿は完全にネコだったというわけだ。そもそも守本の今の言葉は、誰かの陰口などではなく、彼女自身の本心ではないか。  自分だけは特別―― か。  嫌な言葉だ。  だがそれは、初めて聞く言葉ではなかった。少し心当たりがある。中学の頃、友人に同様の指摘をされた記憶が蘇った。  それこそ「制服の頃」である。  思い出したくもない。あの頃、関はまだ闇の中にいた。父親を自殺という形で失ってから、八年という時間が過ぎ去っていたというのに。
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