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「どちら様ですか」
のぞき窓から顔を出した使用人の女性は、明らかに不審者を見る目で雪子を眺め回した。
「西条……雪子です」
久しぶりに人間の言葉を話した気がする。
声がかすれてはっきり喋れなかった。
「西条?」
閉ざされた扉の向こうから聞き覚えのある声がした。この屋敷の奥様だ。雪子と面識のある人物だ。
「そうです、雪子です」
すがるような思いで声を絞る。
どうか覚えていて。
「雪子さんは亡くなったはずです。死人の名を語るなんて、なんと不届きな娘でしょう」
自分は死んだことになっている。
雪子は、遠のきそうになる意識の細い糸を必死で手繰り寄せた。
「さ、朔太郎さんに会わせてください。お願いします…」
屋根裏にいた時、一度だけ天窓から鳩が迷い込んできた事がある。
白い鳩は、幼馴染で許嫁の柏木朔太郎の飼っている鳩に似ていた。
いや、似ていると思い込んだだけかもしれない。
それでも一縷の希望を託して、雪子は文をしたためて鳩の足首に結わえた。
鳩はそれきり二度と戻って来なかったが、きっと、きっと、朔太郎に届けてくれたと信じてここまでやってきた。
それが生きる希望だった。
「あんたね、朔太郎様は次の大安に見合いが決まってるんだ。変な噂をたてられたら大迷惑だよ。奥様も旦那様も容赦しないからね」
使用人はそう言い放って、のぞき窓を勢いよく閉じた。
「待ってくださいっ開けてください!」
閉じられた門扉を何度も叩く。
その時、後ろから肩をグイッと掴まれた。
振りほどく気力も体力もなく、雪子はそのままぐらりと傾いて倒れた。
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