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突き当りの扉を開くと、滞った濃厚な空気が満ちている。
部屋の中央のベッドの上にシーツに絡まった細く青白い腕がのびる。
透き通るほどの白い腕には無数の赤い線が浮き上がっている。
「雪子。またかきむしったのかい」
淳也がそっと触れようとすると、ビクッと跳ねて、腕はシーツに引っ込んだ。
「怒ってないよ。でもお願いだ。キレイな手をあまり傷つけないでくれ」
淳也の言葉に安心したかのように、シーツの塊は動き出し、中から虚ろな目をした少女が表れた。
「じゅん…」
肩に弱々しく両手がまわされて、少女は甘えたように抱きついてきた。
壊さないようにそっと背中を抱き返す。しっかり意識していないと、折れてしまいそうに細いのだ。
淳也はまた一つ、深い息を吐いて腹の底の感情を逃す。
彼女がここへ来た当初は精神的に酷くダメージを受けており、ものも喋れない状態だった。
死人のように表情がなく、何日も食事が喉を通らなかったが、今は片言の言葉を話し、淳也には時折笑顔を見せるようになっていた。
少しずつ回復している。
以前の雪子は本が好きな聡明な少女だった。しかし、長い間ずっと養父母から酷い虐待を受けていた。
また16になる今年、豚のように醜くて凶悪な男に売り飛ばされる予定だった。彼女が命からがら逃げてきたところを淳也が保護したのだ。
都合の悪いことに、彼女の親は世間的にはそこそこの地位があり、人身売買先の豚野郎も軍のエリートだった。
つまり、彼女がいくら訴えたところで、世間的には親に逆らう不届きな女と罵られるのが関の山なのだ。
彼女の身の上を知り、匿うと決めた淳也だったが、彼にとっては百害あって一利なしの非常にリスクの高い賭けだった。
淳也も政府に勤める高官であり、それなりの社会的地位をある。しかしまだまだ若輩者で、軍の関係者ともめることは避けたいのが正直なところ。
庭に愛犬3匹を離しているのも、雇い人を耳の遠い吉津一人にしているのも、それなりの理由があるのだ。
誰もいない異国の地に雪子を連れて行きたいと、ふと夢想することもある。屋敷を捨て、財産も、社会的地位も捨てたとしても、二人でいられるのならば幸せではないだろうか。
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