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一歩、一歩、足を踏み出す。
ちゃんと、歩き方は覚えている。
最初は目立たないように上品に歩こうと決めていたのに、下り坂に自然と早足になる。
もつれそうになる足を必死に動かす。
焦ってはいけない。けれど、早く早く、この場を離れたい。
いつの間にか雪子は駆け出していた。
走るにつれ、不安と恐怖が少しずつ薄まっていくのがわかった。
代わりに言いようのない心地よさが胸の内側を熱くさせ、自然と笑みがこぼれた。
久しぶりの外の空気は肺に冷たく、眩しすぎて目が開けられない。
それでも、全身で受ける風は皮膚に心地いい。地面から伝わる等間隔のリズムが足底から頭頂まで電気のように走る。
例えば次の角を曲がるとチェックメイトでもいい。それでもいいから大声で歌いたい。
こんな気持ちは初めてだった。
もしもこの脱出が成功して、雪子にこれから先の人生があるとして。たくさんの素晴らしいこと、辛いこと、嬉しいことがいっぱいあったとしても、年老いて記憶が全てリセットされ更新されたとしても。
きっとこの景色、この気持ちだけは忘れないだろうと、妙に冷静に確信した。
雪子は駆け続けた。
そしてとうとう、誰にも咎められることなく目的の場所に着いた。
シュミレーション通り、重厚な和風の門柱の柏木家だ。
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