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売れっ子のスーパーアイドルはとにかく時間がない。ツアーに加えて、スペシャルドラマに出演すると発表があったばかりだ。
忙しい合間を縫って連絡をくれるのだから、律はマメな男なのだろう。
深夜まで撮影が続きそうなときは、日付が変わる前にメッセージが届くことが多い。けれど、今日は珍しく十四時過ぎに電話がかかってきた。
『今、時間平気?』
「うん、バイトは夕方からだから」
『よかった。やっと紡の声が聞けた』
CDやテレビとは違う、リアルな律の声が安堵に染まる。
『紡ってどんなバイトしてるの?』
「居酒屋のホールだよ」
『え、酔っ払いのおじさんに絡まれたり、触られたりしてない?』
「どんな心配してるの。僕、男だよ」
あまりに真剣に律が言うものだから、思わず笑ってしまった。
顔の整った、それこそ律のような男性ならまだしも、僕なんかが相手にされるわけがないじゃん。たとえそれが酔っ払いだったとしても、僕を選ぶことはありえない。
『男でも、俺は紡を口説くけど』
「…………、そんな繁盛したお店じゃないし、お客さんもあんまり来ないから」
不意をつかれた口説き文句には閉口して、言い訳がましく呟いた。電話越しなら顔が赤くなっていることは見えないはずなのに、バレている気がして恥ずかしい。
『ふーん、何てお店?』
「絶対言わない」
『紡のケチ』
まるで小学生みたいに不貞腐れて、文句を垂れる律はかわいい。けれど、僕にも譲れないことはある。
その後も電話を切るまで教えてと駄々をこねられたけど、お店の名前を伝えることはしなかった。
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