君の脚本に、僕というキャストを。

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雲一つなく綺麗な青が冴えわたっている晴天の下で、僕、伊谷野 (いやの しゅう)は一人学校の屋上から飛び降りようとしている。 僕には何もない。 あるのはこの体と一年前に両親が事故で亡くなった際に発覚した多額の借金だけだ。 挙句の果て高校入学からは暴力や悪口、お金を盗るなど例を挙げたらきりがない非道ないじめが始まった。 全身にはあざや切り傷が至るところにあり、唯一あるこの体も限界を迎えていた。 そして今――。身も心も壊れかけていた僕は、遂にその体さえも無限に広がる青空へと身を投げようとしている。 新しい季節の予感を含んだ冷たく乾いた風が、これから宙を舞おうとしている背中を後押しするかのように吹いている。 死ぬとはいえ、今の生活が続くよりはずっと楽に思えた。 これでいいんだ、と自分に言い聞かせると自ずと体が傾いていく……。 ギィーン。背後から甲高い悲鳴にも似た音がした。 思わず振り返ると、鍵がかけられてあったはずの扉が開かれ、見知らぬ生徒が逃げ場を求めるように、目に恐怖の光を広げながら、自分の方向へと向かって近づいてくる。 どうしようかと戸惑いを見せたのも束の間、その生徒はすぐに目の前で誰かに拘束されていた。 「おい、てめぇ逃げてんじゃねーぞ」 拘束されている生徒を追っていたであろう肉付きがいい強面の生徒が胸ぐらを掴み声を漏らした。 「や…やめてくれ、な、なんでもするから」 「ごちゃごちゃうるせーな」 掴まれている生徒の泣き出しそうな切実な声に反応するかのように、強面の生徒は片方の口角を少し上げ、ポケットから取り出した青黒い光を放つ刃物らしきもので生徒の体を何度も刺した。 残虐すぎる光景を目の前に自然と物陰へと身を隠す。 恐る恐る覗くと刺された生徒の周りには血の池が出来ていた。 刺した生徒はその生徒を目の前にひざまずいている。 「なんでこういう時に限っていつも……」 思い返してみればいつもそうだ。高校受験に失敗して絶望していた最中での両親の死、両親の死で悲しんでいる最中で始まったいじめなど考えだしたら終わりない。 「あ?誰かいんのか」 独り言のように呟いた一言が聞こえてしまっていた。 刃物と共に返り血が額へと滲んでいる生徒がゆっくりと物陰へと歩み寄ってくる。 咄嗟に息を殺すような勢いで口を手で押さえ込むも既に手遅れだった。 「なんだ、見てたのかよ」 しょうがねーなっと囁くと血をまとっている刃物で体を突きつけた。 希望なき人生の果てに、自分で自分の人生すら終わらせることが出来ないと思うと、涙が溢れ出る。 「なんで俺ばっかり……」 まるで生の世界に言い残すかのように絞り出た惨めな一言。 徐々に視界がぼやけていき、意識がなくなる――はずだった。 「はいカットー」 数秒の静寂の末、次第に瞳をゆっくりと開けると殺されたであろう生徒が身を起こしながら言っていた。それだけではない。 刺されているであろう自分の瞳がパチパチと俊敏に動くことの驚きに打たれる。 「いやー、まさか本番で知らされてないキャストをぶち込んでくるとはねー、臨場感あって良かったんじゃないか」 そう言うと強面の生徒は自分へと手を差し出してくれた。 「え?どういうこと」 刺された生徒は立ち上がりキョトンとした表情で強面の生徒へと視線を向けていた。 ほらっと今度は指を指され、反応に困る。 全く状況が掴めず、迷宮に放り込まれたかのように硬直していた。 頭の中では考えが混沌として雲のごとく動いている。 「いやー、身に覚えがないな」 滲んでいる血を手で押さえている自分を見て、あっ、それ血のりだから大丈夫だよ、と続けた。 「俺ら文化祭の出し物の準備してたんだよ。それで今演技してたんだけど……」 急に声かけたのに手伝ってくれてありがとね、とその生徒は強面の生徒へと言うと、すぐにはいよ、と言って立ち去っていた。 その後ろ姿を見届けると再びこちらへと視線を向ける。 「どうやら君は演技とかじゃなくて本当に死のうとしてたんだ」 傍にあった靴を見ながら納得するように口にする。 不意を突かれてしまい言い返す言葉が見つからない。 「その命、文化祭終わるまで俺に預けてよ」 あっという間の出来事で否定する間もなく彼は校舎の中へと消えていった――。 次の日。彼は屋上で既に待っていた。 「お、ちゃんと来てくれたんだ」 こちらへ歩み寄りながら小さな声で「俺の名前は……」と名を告げた。 佐渡 和真(さわたり かずま)は隣のクラスの同級生だった。予想は出来ていたが学校内で他人との関りを一切してこなかった僕には違和感しかない。決して美男ではないが、顔立ちに懐かしいような爽やかさと無邪気さがあり、悪いイメージではない。 「あ、僕の名前は……」 名乗るのを妨げるかのように「伊谷野 柊でしょ。さっき名簿見たから分かる」と、話を遮った。 「それで、僕は何をすればいいの?」 「文化祭で芝居をしたいんだけど、なんせ俺一人でさぁ……、ちょうど困ってたから協力してよ」 そんな理由で「命を預けてよ」なんて言われたのかと思うと、どこかもどかしいが生きる意味が与えられたようにも感じ、渋々受け入れることにした。 「じゅあ早速説明するね」 手伝うことを承諾したことに気持ちが高ぶったのか、和真は真剣な眼差しと共に情熱を込めて話し出す。 和真が考えた脚本は殺された男が奇跡的に生き返り、殺した男を殺し返すというデジャブとも言えそうなありきたりな復讐劇だった。正直見慣れたストーリーで面白みが感じられないが真面目に話す彼の脚本に口を出せずにいた。 「何を手伝えばいいの?」 一通りの流れを理解したというサインと同時に問いかける。 「柊には復讐される男の役をやってほしい」 撮影や小道具の準備くらいの手伝いだと思っていたが、まさかのヒロインに近い役を演じろと言われ動揺してしまう。 「む、むりだよ……そんなの。俺そういうの興味ないしやったこともない。キャストなら昨日の人とかに手伝ってもらえばいいじゃん」 「昨日のあれは通りすがりの人に手伝ってもらっただけだから……、キャスト固定したほうが都合も合わせやすいし」 「いやぁ、でも……」 「お前は部活もやってないし、クラスの出し物も手伝う予定もなさそうだし暇だろ」 今お前の命は俺が預からせてもらってるから断る権利ないよっと最後に一言添え、明日もここ集合な、と釘を打つようにして言うと、昨日と同じように颯爽と姿を消していった――。。 それからの日々はあっという間だった。 学校が終わるとすぐさま屋上に向かい、和真との芝居を繰り返えした。 「それにしても演技上手いなぁ……、将来俳優にでもなれば」 そんなの無理に決まってる、和真が買ってきてくれた暖かいココアを片手に夜の気配が混じっている夕焼けに向かって言い放つ。 「なんで出し物芝居にしたの?」 「んー、なんとなくかな。でも映画好きなんだよね」 既に和真と出会って二週間。誰よりも長く過ごした彼とはすっかり打ち解けていた。 「文化祭、みんな見に来てくれんのかなぁ」 不安溢れる和真に前向きな声をかけようとするが、実際どうなるか分からない僕は無責任な声をかけられずに黙っている。 「あと文化祭まで一週間かぁ。ラストスパート頑張ろうな」 うんっと頷くと和真は軽く微笑んでいた。 微笑んでいる彼の瞳の奥底には自分と似たものを感じる。 それが何か分からないでいる僕は和真のことをもっともっと知りたいと思うようになっていた。 「お前らもう高校三年生だかんなー。週末には文化祭もあるが卒業後の進路についてもちゃんと考えとけよ」 担任の低くはっきりとした声が教室に響く。 手元には「進路希望調査」と記載されているプリントが配られていた。 高校三年生の秋、進路という大きな岐路に立たされているが数秒の思考の末、文化祭終わりに死のうとしている自分には関係ないと考え、くしゃくしゃにし机の中へと放り込んだ。 ホームルームが終わり、いつものように屋上へと向かおうとしていると、 「あれれー、今日もまた屋上で変なおままごとでもするんですかー」 気がつくといつも僕をいじめている奴らに囲まれていた。 いつも通りこの後悲惨な暴力が始まるのかと思いつつ、心の中で「和真、すまん」と言った。 髪を掴まれ、日々散々な目に合っている倉庫へと連れていかれそうになる。 「横からごめんよー、柊の命は俺が預かってるんで」 聞き馴染みのある声を発しながら和真は彼らの腕をなぎ払い、僕を彼らから解放し、屋上へと向かった。 「ありがと。助けてくれて」 「柊。お前いつまであいつらのおもちゃになるつもり?」 和真は僕の感謝の声に耳を傾けることなく悲痛な切迫した口調で問いただす。 「いいんだよ。もう慣れたことだし。それにあいつらに何言っても無駄だよ」 「あのさ、言葉って自分を助けるためにあるもんじゃないの?」 「……」 「それに友達が目の前で傷ついてるのに、もう慣れたからとか仕方ないとかの一言で処理されたくない」 友達っ……自分の人生に馴染みのない言葉の響きに、つい鼻の奥がツーンと痛み目の縁から涙が染み出そうになる。 和真の言葉を胸に、僕は心の奥底で素直になろうと強く刻んだ。 次の日。屋上へと向かおうとしていた僕を昨日と同じように奴らが囲んだ。 「てめぇ、今日は逃がさないからな」 奴らはボキボキと指を鳴らしながら、不気味な笑みと一緒に口にした。 昨日の和真との会話を思い出すと、決意を決めたかのように顔を上げて彼らを睨みつける。 「こっちの台詞だよ。お前らいつまでこんな幼稚なこと続けてんだよ」 「あぁ?お前自分の立場分かってんのかよ」 抵抗すると同時に、彼らはすぐに手を振りかざそうとしていた。 「刺すよ。ガチで」 ポケットから演技として使っていた偽物のナイフを彼らに向けると、固唾を呑むようにして振りかざしていた手を止め、立ち尽くしていた。 本物のナイフであるかのように、事前に準備していた血のりがポタポタと流れている腕を見せつけると、引き攣った表情を見せながら彼らは目の前から去っていった。 ちょっと卑怯な手段ではあったが、自分で自分の身を守れたことに心が躍るような嬉しさを覚えた。 それ以降、彼らが僕に対しいじめと呼べるような行為をしてくることはなかった――。 文化祭前日。いつもの屋上。ではなく体育館のステージで明日に向けてのリハーサルをしていた。 「柊。それもっとこっちにやって」 明日に控える本番に緊張を感じているのか、和真はいつもよりやる気に満ちているようだった。 一方の自分も手伝いという形といえど半月かけて二人で作り上げた芝居が無事終われるように気持ちを込めながら最終確認へと力を注いでいた。 「やっぱ演技上手いな」 リハーサルを終えて休憩していると、自分の隣へ座り込み和真は言った。 「なんか手伝わしてるんじゃなくて逆に俺が手伝ってもらってるみたいだな」っと微笑を口角に浮かばせながら続ける。 「それなら良かった」と、軽く受け流す。 「明日頑張ろうな」 「そうだね」 歯切れのよい会話を終わらせるかのように、和真は拳をこちらに向けている。 ほい、というように顎先をクイっとやると、それに応じるかのように僕もその拳に自分の拳を重ねた。 文化祭当日。 その日は珍しく夜明けの薄青い空が広がる早朝に目を覚ました。 地獄の底でも彷徨うかのような息苦しい眠りに沈んでいた。 芝居が無事に終わってほしいという願いと、それが終わると死ぬことが出来るという二つの複雑な気持ちの狭間に追いやられ、気持ちが落ち着かずにいたのだ。 時間が進むにつれ人生という脚本が終わりに近づいていると考えると不思議と心の重心の置き場がない。 和真と出会うまではこんな気持ちになることはなかったのに――。 学校に着くと、既に校内は賑わいを見せていた。 学校全体が鮮やかな装飾に覆い隠され、生徒が誰これ構わずに呼びかけをしていて、あちこちで様々な声や響きが遠く近くで交差している。 「おはよ」 校舎の前で唖然としていた自分に向けて、和真はいつもと変わらない声のトーンで話しかけてきた。 「おはよ」 「あれ、目の下真っ黒やん。よく眠れなかったんだ」 「う、うん……、ちょっと緊張しちゃってて」 ハハっと笑うと大丈夫だよ、と囁いていた。 「俺らの公演午後からだし、せっかくだから他の出し物回ろうぜ」 そういうと僕の前を勢いよく歩き始める。 う、うん。和真の後ろについていくかのように止めていた足を再び動かした。 「お、おめでとうございます!」 胸を刺すような鋭い鈴の音と一緒に傍にいた生徒の声が響く。 「お前うますぎ!」 最初に寄ったクラスの出し物である射的にて見事に一等を撃ち倒したのだ。 「さてはお前、本当に撃ったことあるな」 和真の少し重たく感じる冗談に、自分の表情に微笑が浮かぶのを感じる。 その後もお化け屋敷や迷路、輪投げなど色んな箇所を和真と共に巡った。 人生で最初で最後の学校生活の延長線と呼べる文化祭を楽しんでいることに、とても愉快でたまらなかった。 それだけじゃない。芝居という名目でしか一緒にいなかった和真と、こうして他の何かを一緒に楽しむことが出来て嬉しく感じた。 意外と怖がりなこと。方向音痴なこと。運動が苦手なこと。今まで知ることのなかった和真の一面を沢山目の当たりにして新鮮な発見に思えた。。 「よし、そろそろ行くか」 出店の焼きそばを食べ終えると和真はあと三十分後に迫る公演へとやる気を露にしていた。 それに続くように、うんっと引き締まった声で返事をする。 体育館に設置されていたパイプ椅子には既にポツポツと観客の姿があった。 よく聞かされていないが、和真は事前に観客を呼ぶためにチラシを作って配っていたらしい。 緊張が極限まで高まる中、遂に公演三分前となっていた。 ステージが舞台幕で閉じられている裏で僕らは二人して息を潜むようにその時を待っていた。 金属を引っ?くようなブザーが鳴り響くのと同時に、目の前の舞台幕が開かれていく――。 さっき見たのとは比べ物にならないくらいの観客が視界の先に広がっていた。 思いがけず呆然としてしまい、記憶が奈落の底へと落とされたように感じる。 それからのことは鮮明に覚えていない。 たった一つ、暗闇の中で僕らに向けて照らされた輝かしいスポットライトと一緒に観客から浴びせられた学校全体に響き渡る拍手を耳に、僕は今まで満たされたことがない何かが満たされる。 そんな感覚がしたのだけは覚えていた――。 「柊の演技、今までで一番最高だった」 公演を終えると共に文化祭が終わり、静寂に包まれていた学校の屋上で僕らは背中合わせで座っていた。 頭上には出会った時と同じような晴天が広がっている。 「この半月近い短い間だったけど、楽しかったな」 「会場全体から賞賛の声が上がってたもんな、まるで有名人にでもなったような気分だったわ」 実際公演が終わるとしばらくの間拍手が続き、僕らの公演は学校での話題となっていた。 「伊谷野の演技見た?上手くね」 「二人ともめっちゃ演技上手かったんだけど!」 「普通に感動しちゃったんだけど」 「よく知らないやつだけどあんなやつだったんだ」 そんな会話が公演を終えたばかりの廊下では飛び交っていた。 こうして、僕らの公演は見事文化祭の出し物ランキング一位へと輝いた。 僕も和真も特別狙っていたわけではなかったが、いざ選ばれたと知ると純粋に嬉しく感じた。 「お前がいなかったら一位取れてないし、そもそも公演すら出来てなかったかもな。ありがとう」 「そんなことないだろ、そもそも和真が考えた物語が面白かったってのもあるし」 お世辞は駄目だよ、とでも言うように背後から微笑みと一緒に腕を突っついてくる。 充実した密度が濃い時間を思い返していると、和真はその沈黙を切り裂いた。 「文化祭が終わった今、お前の命はお前のもの。死にたいなら今ここで飛び降りてもいいよ」 再び僕と和真との小さな世界に沈黙が訪れる。 またしてもその沈黙を破るかのように和真はよいしょっと立ち上がり、じゃあな、と言葉を吐き捨てるようにそう伝えると姿を消そうとしていた。 「生きることにした」 校舎へと戻る和真の後ろ姿に、喉から絞り出すように言い放った。 その声に和真もピタリと足を止めて振り返る。 胸ポケットにしまってあったくしゃくしゃの「進路希望調査」と書かれたプリントを地面に広げ、ペン先を流暢に滑らす。 「俳優になる……」 和真は見せつけられたそのプリントに書かれた文字を小さく声に漏らす。 「死なない。和真のおかげで夢、見つけられたから。何もない人生、せめて自分のために夢だけでも叶えたい」 この瞬間。人生で初めて、自分の思いを胸張って誰かに伝えることが出来た。 不思議な沈黙が二人の間に流れているのを感じていた。 「そっか、柊ならそういってくれるんじゃないかって信じてた。じゃあ次は柊が俺の夢、預かってくれよ」 胸のつかえが取れたかのように、満面の笑みを浮かべると和真は続けた。 「俺、脚本家になりたいんだ。そしてお前と一緒に作品を作りたい。柊が俳優で、俺が脚本の映画。柊の夢叶えるついでに俺の夢も叶えてくれよ」 和真の言葉が、僕の人生に新たな光を放った。そんな感覚がした。 「必ず叶えよう」 眉間に決意の色を浮かべ、意を決した声を果てしない空へと響かせた。 あの時と同じ冷たく乾いた風が後押しする。 和真と柊。二人の人生という脚本を。
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