螺旋

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螺旋

 若くして亡くなった母方の祖母の葬儀が終わった。享年七十歳。真冬の寒さの中、北風に攫われるように居なくなってしまった。  祖母はとても優しくて、話の面白い美人だった。若い頃は国際線のキャビンアテンダントとして世界中を飛び回り、数々の男性を虜にしてきた、と言っていた。もちろん英語も堪能だったし、立居振る舞いのパリッとしたひとだった。高校生の私から見てもカッコいい自慢の祖母だった。  そんな祖母に癌が見つかったのが数年前。治療の手を尽くしたが、がんはあっという間に祖母の体を蝕み(むしばみ)、亡くなってしまった。祖父と母は泣き崩れた。毎日毎日、後悔の涙が枯れることはなく流れ続ける。ああしておけばよかった、これをやってあげればよかった……。そんな彼らを私の父と私が支えている状況だが、私自身も悲しくて寂しくて、祖母を思う日々が続いた。  葬儀から数ヶ月後、桜舞う季節になったある日、母に頼まれて祖母の遺品整理をすることになった。「私はまだ悲しすぎるからできない」という理由で。  祖母の部屋は少し埃っぽかったので窓を開けて遺品整理を始めた。  祖母の遺品はたくさんの海外の小物やら、おしゃれな洋服やらで見ていて楽しかった。「欲しいものはもらっていいから」とのことだったので海外のアンティークのアクセサリーをいくつかもらう事にした。これらをつけていた祖母の姿が目に浮かぶ。  いつかこんなアクセサリーの似合う大人になりたいな、と思った。それから祖父から贈られた婚約指輪も出てきた。大きなダイヤモンドのついた豪奢なもので、これは祖父に持っていてもらおうと思い避(よ)けておいた。  祖父と祖母はお見合い結婚だったが、仲睦まじく、まさに理想の夫婦そのものの姿であった。お互いのことをよく理解し、想い合っていた。雨の日に祖父が祖母に傘を差し出していた様子が印象的だった。そしてそれは私の父母も同様で、思いやりのある幸せな私の理想の結婚の姿がそこにはあった。  洋服も何着か、ブランド物を譲り受けることにした。祖母はスタイルも良かったから、身長の低い私に着こなせるかわからないけれど、やっぱり憧れがある。  祖母は整理整頓好きだったのと、さっぱりとした性格からか、ものも少なくあっという間に遺品整理は終わろうとしていた。最後に机の中身に取り掛かる。  大切な書類や通帳関係は母に確認しなければと思いこれも避けておいた。  あらかた書類も整理し終わろうとした時、一通の手紙が机から出てきた。宛先は父方の祖父。差出人の名前が祖母になってはいるが、消印が押されていないので出されなかった手紙らしい。  紙質の劣化具合から見て相当前の手紙のようだ。  出されなかった手紙。好奇心にかられた私は内容を読むか読まないか一瞬躊躇(ちゅうちょ)したが、魂とか天国とかそういうものを一切信じない質(たち)なので思い切って開封して読んでみた。 三好 喜助様 前略 お変わりはありませんか。  私は祝言をあげ、新妻としての務めを日々果たしております。  今でも思い出すのは、両親から貴方の友人である袴田 俊哉と結婚せよ、と言われた日の絶望感。あんなに愛し合っていた貴方とお別れをせざるを得なかった、あの屈辱と身を裂かれるような悲痛。貴方と過ごした三年余りの時間の重さ。  貴方は私と居ると幸せだ、一生守ってやる、そう言ってくれました。貴方と寄り添い歩いた並木道。毎年一緒に見ようねと言った上野公園の桜の美しさ。  貴方との恋愛では狂おしいばかりの感情を抱いていた私も、これからは夫の妻として夫へ尽くすつもりです。  しかしながら、私は貴方のことを一生愛し続けます。貴方と過ごした日々を心の糧とし、一生を終える積り(つもり)です。同時に夫を心の中では裏切り続ける、そんな人生を歩みます。  このことは墓場まで持っていく積りでしたが、私一人の身には重すぎる事実でしたのでこの手紙を書きました。  どうか、心の弱い私をお許しください。                                   草々                               袴田 ルリ子  驚きの内容に息を止めて読んでしまった。祖母と父方の祖父が恋愛関係にあったなんて。  祖母はどういう思いでこの手紙をしたため、そして出すことができなかったんだろうか。一生夫を裏切り続ける覚悟なんて高校生の私には想像もつかない重いものだ。あのお互いを思いあっていた姿は虚飾のものだったのだろうか。傘を差し出され「ありがとう」と毎回言っていた祖母。  数十年後、彼女は私の父母が恋愛結婚すると聞いた時にどんな気持ちだったんだろうか?  確か私の父母は、父方と母方の祖父が友人同士であったことが縁で出会い、結婚している。父母の結婚式の写真もビデオも見させられたことがあるが、親同士が知り合いということもあってか温かく幸せいっぱいの結婚式のように見えた。しかしその裏にこんな真相があったなんて。  ……祖母はもしかしたらこのことを予見して、この手紙を出せなかったのではなく、出さなかったのではないだろうか。三好家に男子が生まれると知って、自分が自由恋愛できなかったその悔しさ、口惜しさに自分の子と自分が愛する人の子を結び合わせたかったのではないか。  そしてその子供は――私である。私の中で父方の祖父と母方の祖母の遺伝子は溶け合い、結ばれていると言っても過言ではない。  そう思い至った時私はゾッとした。あの颯爽としたカッコイイ祖母がうちに秘めていた執念に。さっぱりとした性格とは裏腹の、蛇のような情念に。  開け放った窓から庭に植えているソメイヨシノの花びらがくるくると舞い込んで螺旋を描く。  日本のソメイヨシノはすべてクローンであるという。……祖母にとって私の父母は父方の祖父と自分のクローンに過ぎなかったのかもしれない。                     
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