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「おや、ルナリ。どうしたんだい」
ルナリと呼ばれた少女はためらいがちに口を開く。
「私、昨日見たんです。山に向かう人の後ろ姿。でもまさか山に入るなんて思わなくて……。ごめんなさい、声をかけたらよかった」
消え入りそうな声でそう言うと娘はしくしく泣き出した。大人たちは騒然となる。
「ルナリ、そいつはどんな後ろ姿だったんだい? 誰の後ろ姿か、あんたはわかったのかい?」
サザミ婆は勢い込んでルナリに問うが少女は涙を拭い首を横に振った。
「後ろ姿だけで顔は見てないの。でも女の人だった。とても長い……黒髪が見えたから」
多くの村人が「あっ」と叫ぶ。ルナリの証言はその女の名を告げたも同然だったからだ。なぜならこの村に黒髪の女はひとりしかいない。皆の視線が黒髪の娘、ダニラに集まった。
「ちょっと待って! 私じゃないわ。私、山になんか行ってないもの!」
必死に反論するダニラ。彼女は今年十五歳になる村一番の美しい娘だった。艶やかな黒髪を振り乱し「違うの、違うの」と繰り返す。
「ああ、そうだわ。昨日なら私ディルクと一緒だった。ね、そうでしょディルク」
突然名前を出されたディルクは一瞬ビクッと身を震わせダニラを睨み付ける。
「はぁ? 俺? 俺は昨日お前と会ってなんかないよ、嘘つくな。ははぁ、お前今度が初めてじゃないんだろ。その白い肌もツヤツヤの髪もさてはカシュの実の恩恵だな? 何ていう呆れた奴だ。お前ら家族は所詮よそ者だからな。村の掟なんかどうでもいいと思ってんだろ」
ディルクはやけに早口で捲し立て皆の反応を窺うように辺りを見回した。村人たちは態度を決めかねているようでざわめきながら二人の口論を見守っている。そこへ村長がやってきて「静かにせぃ!」と一喝した。
「話は聞いておった。ディルクよ、今言ったことは本当なんじゃな?」
「もちろんだよ……父ちゃん」
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