1807年、ロンドン チェルシー地区

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1807年、ロンドン チェルシー地区

猫の額ほどの裏庭に植わっている、マグノリアの花が咲き、その根本に、生い茂るように突如とラッパ水仙が生え出し、黄色い小さな蕾を膨らまし始めると、ロンドンの社交シーズンは、幕開けとなる。 この季節が、またやってきたのかと、レジーナは、二階の自室の窓から庭を眺めながら息をついた。 住むのは、町屋敷と呼ばれる、小さな邸宅。貴族が住む場所ではあるのだが、皆が想像する、あの大邸宅とは、規模は半分以下、いやそれ以下か。とにかく、中産階級層の、一家が住むにふさわしい大きさの物件だった。 その、いわば、ファミリー向けの屋敷に、レジーナは、一人で住んでいる。正しくは、執事、メイド、料理長、その補佐、も、同居しているが、彼らは、あくまでも、使用人。家族とは、言えない。 ──時は、1807年。 その3月に、イギリス議会で奴隷貿易廃止法が可決された。 もともと、移民や奴隷などは、レジーナの屋敷では、雇っていなかったが、中には、下働きとして、移民を雇っている所もある。なによりも、街の裏方として、重宝されていた彼らが、今後、もう、手に入らないと知った親方達は、どうでてくるのだろう。当然、人手不足に陥るだろうが、それは、レジーナが属する階級にも、影響をあたえるのだろうか。そして、彼女が、行っている、賃貸という事業にも、なんらか、関わってくるのだろうか。 ため息をついていたのは、その、せいでもあった。 この時期、ロンドン有数の、高級住宅街にセカンドハウスを持つ貴族達は、社交パーティー用に、屋敷を貸し出す手はずを整える。 こぞって、借り手は見つかったのかと、お抱えの不動産業者へ催促をかけるのだが、もちろん、業者も心得ており、すでに予約できておりますと、答える。 そして、レジーナの屋敷はといえば、その不動産業者に、逆に発破をかけられる始末だった。 何が嬉しくて、下町(コックニー)訛りの、労働者階級(ロウワークラス)に、しっかりしてくださいよ、やる気あるんすかっ?お嬢さん、などと、毎回言われなくてはならないのだろう。 そもそも、このような具合ですと、頭を下げて来るのが筋なのに……。 田舎貴族ではあるが、男爵家に生まれ育ったレジーナには、屈辱的とも言える、受け答えしかできな男、コリンズと、また、顔を会わすのかと思うと、薄曇りの空の下、芽吹く春咲きの植物は、決して心安らぐ嬉しいものとは思えなかった。 ここは、チェルシー地区なのだ。ロンドン最高級住宅地、メイフェア地区には、劣るけれど、しっかりと高級住宅街と認識されているはずなのに……。 パーティーシーズンを待ちわびていた富裕層(ブルジョワ)達は、(つど)いを開催する屋敷を求め、業者へ問い合わせし、手頃な屋敷を借り受ける。 社交パーティーは、遊興目当て、ロンドンでの人脈作り、などなど、理由は、それぞれであるけれど、目的は、ただ一つ。 見栄を張りたい。これだけだった。 彼らの住む家は、賃貸アバルトマンにしか見えない。ならば、品のよい骨董品が飾られ、教育の行き届いた使用人達が、立ち働く、屋敷を借りて、派手にパーティーを開こうではないか。しかも、その準備は、すべて、使用人達が取り計らい、望み通りの完璧な仕上がりになるのだから、割高であろとも、屋敷ごと借りるメリットは、非常に大きい。 気に入れば、そのまま、借り受け、住むことも、可能なのだから、成り上がりの者達には、実に、うってつけのシステムだと言える。 最高級、から、少しだけ落ちただけの、ここならば、すぐに借り手がつくはずなのに……。レジーナの屋敷だけは、いつも、取り残された。 理由は、様々。しかし、レジーナが、住んでいる、つまり、住人ありきの屋敷であるというのも、理由の一つかもしれない。 隣の屋敷は、すでに、社交パーティー解禁、とでも言うべきか、借り手が見つかっているようで、真新しいお仕着せ姿の使用人達が、準備のために動き回っている。 二階から、よそ様の様子を覗きみしつつ、今シーズンは、うちは、どうなるのかしら?と、レジーナは、深いため息をつくのだった。
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