困った婚約者

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困った婚約者

ドアをノックする音がする。執事のビートンだろう。   「お入りなさい」   レジーナは、どこか冷たく返事をした。 (いいかい、レジーナ、使用人には、甘い顔をしてはならないよ。)   兄の言いつけが、レジーナの脳裏をかすめる。   使用人というものは、甘やかすと、すぐに、盗みを働く。が、兄の口癖だった。   確かに、兄は、盗まれた。弟分のように可愛がっていた、馬丁(ばてい)に、妻を寝取られたのだ。   若き男爵夫人は、田舎暮らしの貴族の本宅生活に刺激を求め、近場の男で手を打った。そして、駆け落ちしてしまった──。   以来、兄は、使用人への態度を改め、さらに、妹が、退屈から間違いを起こさないようにと、レジーナの相続分である、この町屋敷を管理させるという名目で、ロンドンという大都会へ送り出した。ただし、当然の如く、お目付け役をつけて。   その相手とは、親が決めた婚約者、ディブだった。いずれ一緒に暮らすのだからと、兄は、彼を選んだ。 しかし、レジーナにとっては、悪夢としか言い様がなかった。   この、子爵家のご子息は、事あるごとに、彼女の資産を狙ってくれる。    早い話、賭けの負け分を、レジーナに持たせようと、適当な嘘をつくのだ。   初めは、レジーナも、コロリと騙され、必ず返す。暫く立て替えて欲しい。との、常套句を信じていたが、今、廊下に控えているであろう、ビートンが、悪魔のような、いや、天使なのかもしれない、囁きを与えてくれた。   それは、ロンドンに越してきたばかり、ディブのたかりが、本格的に始まった頃の事……。 「レジーナ様、そろそろ婚約者通しで、ガーデンパーティーにでも、参加なされたらいかがでしょう?」と、ビートンは言ったのだ。   レジーナもディブも、田舎貴族の出であるから、当面は、と、集まりへの参加は、様子伺いしていた。 しかし、お薦めの行き先とやらは、一等地メイフェアは、グレーシー伯爵が所有する町屋敷──。   子爵家子息と男爵家令嬢のカップルは、伯爵家からの招待状を、ビートンから手渡され、取りあえず、ロンドンの社交場なるものを探りに行ったのだ。   ……は、レジーナだけだった。   さすがは、メイフェアの御屋敷などと、手入れの行き届いた庭で、紅茶を嗜みながら、挨拶してくる、見知らぬ人々と、適度に歓談していたその隙に、ディブの姿が見えなくなった。不振に思いつつ、執事に連れの事を尋ねてみると、気のあった者通しガードゲームを行っていると、執事は、妙に明るく答えた。 「化粧室(ラボラトリー)を、お借りできるかしら?」と、レジーナは、とっさに、屋敷へ足を踏みいれる。   カードゲームなど、とんでもない。どうせ、賭け事なのだろうと、思いつつ、ディブの姿を探していると、確かに、婚約者である男は、ゲームを楽しんでいた。   ただし、それは、カードゲームではなく、人妻との逢引という、恋愛ゲームだった。   廊下に置かれた、アンティークの、立像の影でグレーシー伯爵夫人と抱き合うディブを見たレジーナは、黙って踵を返すと、そのまま、辻馬車を拾い、帰宅した。   以来、レジーナは、ディブからの婚約解消の一言を待っているのだが、一等地に町屋敷を持っている女から、離れるような男ではないと、彼女が一番知っている訳で……、どう、手を切るか頭を悩ましている。   そして──。 「レジーナ様、お客様です」   ドアを開けたビートンが、折り目正しく女主人へ、告げた。   「どちら様?どなたとも、約束はしていないはずよ?……つまり、それは」   屋敷にとって、レジーナにとって、真似かねざる客の来訪ということ。   社交シーズンが、来ましたぜと、訛りの強い言葉を発する男か、婚約者という名の、たかり屋か──。   入り口に立つ、四十がらみの男は、そのブルーの瞳を曇らす事もなく、プレスの効いたお仕着せ姿で、此方の返答を待っている。 「それで、どちらなの?」と、レジーナは、任務に忠実な執事へ、ただした。 「両方、で、ございます」   「なんですって!!」   淑女らしからぬ声を、レジーナは上げていた。
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