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決断
「ビートン、聞こえなかったの?」
レジーナが、強い口調で言った。
とっさに、ビートンは、執事であることを思いだしたかのように、かしこまりましたと、2階へ向かう。
ビートンが、レジーナへ秘めた想いを告白出来ないのと同様に、レジーナが、言いださない以上、今の現状について、そして、これからについて、も、ビートンから問いただす事も意見することもできない。
主人と執事の関係とは、そういうものなのだ。
そして、レジーナはというと、兄、ミドルトン卿へ、さらにキツイ口調で、向かって行った。
「お分かりになったでしょ?ロンドンというところが!そして、あなたの、妹も、男に騙され、たかられ、逃げられるところだった!兄妹揃って、社交界の笑い者になるところだったのですよ!」
妹の視線が定まっているのは、卿が手にするゴシップ紙で、ミドルトン卿は、その言い分に、ぞっとする。
「レジーナ!つまり、これは!」
「実際は、それ以上よっ!!!」
今や、二人の言い合いは、完全に兄妹喧嘩の域に達していた。
玄関ドアは、ミドルトン卿の怒りに任せて、開け放たれたままだった。
二人の騒ぎ声に、隣近所の使用人達が、表の掃除を行う振りをして、様子をうかがっている。
「さあ、お兄様、ごらんなさい!皆、興味津々、これが、ロンドン、少しの油断が、格好の噂のネタになるんですよ!」
レジーナに、言われ、卿は、背後を見た。
パッと蜘蛛の子を散らす様に、それぞれの屋敷へ、逃げ込む使用人達の姿がある。
「なんたること。私は、これでも、男爵だぞ」
「そして、私の婚約者は、子爵でありながら、とんでもない、食わせ者!お兄様!もう、おわかりですね!」
ミドルトン卿は、ここまで、感情をあらわにする妹を見たことがなかった。何故、これほどまで、激昂しているのか?
言ったことは何でも通る、その時々の事を考えなくても良い田舎育ちの男爵には、レジーナの意図が、まだ、わからない。
「ビートン!」
思わず、ミドルトン卿は、助け船を呼んだ。
レジーナの鞄を両脇に抱え、ビートンは、階段を降りて来た。
「失礼ながら、お二方とも、いさか、声が大きいような気がいたしますが?」
落ち着き払った執事の、提案という名の注意に、二人は、思わず、うつむいた。
確かに、外へ丸聞こえ。レジーナは、ほらご覧なさいなどと、兄へ注意しつつも、自らも、非常に、声を荒げていたと、恥ずかし紛れか、目が泳いでいた。
「レジーナお嬢様、お荷物は以上で?」
「ええ、ありがとう。このまま、去っても良いのだけど、私達、少し、興奮しすぎたようだわ。お茶の用意を、お願いできる?」
と、言う、レジーナからは、ほんのりと、アルコールの香りが漂っていた。
ビートンは、昨日のワインの空き瓶を思いだす。
あれこれ理由付けているが、レジーナは、確実に、二日酔いで参っているのだ。
「では、落ち着く為に、ペパーミントティをご用意いたしましよう。この時間に飲む物ではございませんが、今は、致し方ないでしょう」
庇っているのか、嫌みなのか、どちらとも取れる、執事口調で、ビートンは言うと、ひとまず、奥の間へと、二人を誘った。
ちょうど、リジーが、誇りを払い終え部屋から出てきた所だった。
その姿を目にしたビートンは、部屋の用意も出来たようですし、と、リジーへ、ハーブディの用意を指示し、自分は、馬車へ荷物をと、外へ出て行った。
おそらく、他家の使用人達を押さえる為もあるのだろう。
「そうね、お願い」
レジーナは、ビートンへ答えると、何事も無かったように、兄を応接間へ案内した。
その姿を見つつ、ビートンは、思う。
自分達の思っていた形とは違うが、きっと、レジーナにとっても、ここの皆にとっても、最善の策が取られるであろうと。
一方、裏方では、騒ぎの落ち着きと、リジーからの注文を受けて、マクレガーもジョンも、ひとまず、息をついていた。
「どうあれ、レジーナお嬢様は、戻られる、訳か」
「でも、マクレガーさん、レジーナお嬢様は、ミドルトン卿をあれだけやり込めたんっすよ?なんか、いい感じじゃねぇーすっか?」
まあな、と、マクレガーは、答えつつ、ジョンへ、皿洗いをさっさとしろと、咜りつけた。
「えっとー、お茶は?」
リジーの催促に、マクレガーは、少し考え込む。
「ペパーミント、か。さて、どうするかねぇ」
「マクレガーさん、ってことは、レジーナお嬢様、二日酔いっすかねぇ?」
皿を洗いながら、ジョンは、言う。
「やっぱり、そうだろう。あんだけ飲んでんだ。それで、馬車に揺られて、レジーナお嬢様は、大丈夫なのかねぇ?」
「ひまし油の方がいいんじゃないんですかっ?!」
洗った皿を片付けつつ、ジョンが言うが、マクレガーは、呆れ顔を見せた。
「ジョン、そりゃー、子供の薬だろ。ってーかな、ありゃー、そもそも、便秘の時に飲むもんで、年寄りが万能薬と、思ってるだけなんだぜ?」
えー?!俺、婆ちゃんに、しょっちゅう、ひましの飲まされてましたよー!と、ジョンは、驚いている。
「ねぇー、お茶は?フレッシュなら、ペパーミント、庭から採って来るけど?」
リジーが、たまりかねたのか、二人の会話に割って入る。
「ああ、そうか。ちょっと、まて、ドライハーブより、フレッシュの方が、良いかもなあー」
と、マクレガーは、呟きつつ、リジーへ、庭からペパーミントを採って来るよう言いつけた。
「あれ?あいつ、なんで、お茶に、詳しいだろ?」
ジョンは、不思議そうに、裏口へ向かうリジーを見ていた。
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