【4】刃

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【4】刃

〜葛飾区京島〜 新龍会本部ビル。 「ご苦労様でした」 一言で電話を切る神林。 (もう少し使う予定だったが、バカな奴だ) 地下3階でエレベーターを降りた。 新龍会の組員で、この階へ行ける者は少ない。 殆どの者は、あることすら知らないフロア。 「順調ですか? 草吹甲斐博士」 「愚問。頼まれていたものは完成したが、高嶺が真純の手に渡った今、どうやって続けるつもりだ? まぁ、私にはどうでもよいことだが」 ひたすら沢山並んだモニターの数値をチェックし、タブレットに転送して解析を行う甲斐。 「既に買い手は入金済み。ご安心ください」 「問題は、どこで行うかだ。それなりの設備がないと、いくら私でも不可能だ」 「それももう手配済み。あなたは、あなたの研究と目的を進めてください」 そう言って、完成品を確かめる神林。 「それから、彼女は見つかったのか? あれ程の成功例は貴重だ」 「それが、なかなか知能も高い様で、記憶はないはずですが、自分の能力を知ったのかも知れません。警察内でも失踪者として、捜索を始めていますので、見つかれば内通者から連絡が来ます」 「頼んだぞ、彼女は…」 「分かっております。こちらの方は上手く行きそうですか?」 部屋の中央に置かれた大きなガラスケース。 そのケースを満たした赤い培養液。 アミノ酸、ビタミン、核酸、炭水化物、微量金属等の栄養成分混合液に、甲斐が自分の血液から精製した血清を、15%添加したものである。 「興味もないくせに聞くな」 冷たく(あし)らう甲斐。 ニヤりと笑んで出て行く神林。 赤いガラスケースの中には、大人の女性の裸体がゆらゆらと漂っていた。 〜渋谷区松濤(しょうとう)〜 最近引っ越ししてきたばかりの稲村夫婦。 ある出来事をきっかけに、佐藤(さとう) (ひとみ)と再会した稲村(いなむら) 和樹(かずき)。 その後は交際を続け、同じ国際医療テクノ大学を卒業し、直ぐに結婚をした。 父が院長を務める、稲村総合医院の外科医になった和樹と、内科医の瞳の腕と評判は良く、渋谷という好条件も重なり、来年には病棟を増やすまでになっていた。 出産予定日を来月に控え、アパートを出て、モデルハウスの中古物件を購入した。 庭も広く、2人で住むには少し大きな家ではあったが、思い切ってローンを組んだ。 そんな2人には、ある秘密があった。 それは、妻の誕生日に定時で仕事を切り上げ、オーダーしておいたケーキを買い、車に戻った時にふらりと現れた。 「君、大丈夫ですか?」 その声に答えることはなく、倒れた少女。 薄汚れたサイズ違いのコートを被る様に着て、靴も左右が違う物を履いていた。 どう見ても訳ありだと分かった和樹は、少女を抱き上げ、後部座席に寝かせて連れ帰ったのである。 休職中の瞳は、驚くよりも女医としての意識が先に働き、彼女を受け入れた。 しかし、コートを脱がせた瞬間、血だらけの服には驚き、直ぐに診察を始めたのであった。 「ただいま、瞳」 翌日は普通に出勤した和樹。 さすがに気になり、早めに帰って来た。 「おかえりなさい、カズ」 「彼女はどうだ?」 「あれから、まだ眠ったままよ。点滴をしているし、バイタルは安定しているから、心配はないと思うけど…」 「安心しろ、ただ捜索されているだけで、指名手配じゃないから、罪にはならない。渋谷署の友人にも聞いたが、家出人でもない様で、詳細は不明らしい。よほど疲れていたんだろう」 靴を脱ごうとするカズ、背を向けた彼から鞄を受け取り、振り向いた先に…少女がいた。 「あの…私は、どうしてここに?」 「藤堂…美波さん、だよね?」 うなずく少女。 「心波しなくていいわよ。あなたは夫の車の側で倒れたの。夫のカズは外科医で、妻の私は内科医の瞳。よろしくね、美波さん」 昨夜血だらけの衣服を脱がせ、診察したが、どこにも怪我はなく、傷跡すら無かった。 瞳が全身を拭いて綺麗にし、寝たままで髪も洗ってあげた。 「ありがとう…ございます」 「丁度良かったわ、今夜はすき焼きだから、一緒に食べましょ。2人じゃいつも何だか寂しくてね。お腹…すいてるわよね?」 2人の優しい言葉と笑顔に、表情から警戒心と緊張感が消えて行くのが見てとれた。 「はい…おなか…すいてます」 少し恥ずかし気に答える少女。 「よし、じゃあ準備出来るまで、先にシャワーでも浴びるといい。ほら、着替えも幾つか買ってきたから。気にいるといいが」 下着を買うのは、かなりの勇気が必要であったが、医者という職業を利用し、身寄りのない少女の患者に…と言って、とりあえず変態とは思われずにすんだ。 袋の中を除いて、笑いを堪える瞳。 こうして、不思議な3人の生活が、始まったのであった。
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