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〜江東区清澄〜
高嶺家の邸宅。
執事の八角が主人を迎える。
「お帰りなさいませ旦那様」
「いつも留守をすみません。妻の相手は結構大変でしょう。雅の問題もあるし…」
社長就任から、久しぶりの帰宅である。
志穂とは、テレビ電話で会話はしていた。
「いえ、奥様もお客様が多く、執務室で忙しくされておりますし、新しい乳母はまだ若く、雅様もお気に入りの様です」
「そうですか、それなら良かった。父がどうだったかは知りませんが、私に堅苦しい気遣いはいりませんからね」
「そういうところは、亡き寛三様と似ていらっしゃいます。財閥頭取となると、世間から厳しい人と思われがちですが、お父様は違いました」
それは分かる気がしていた。
仕事の中で、寛三の評判と信頼は、予想外に強く、広かったことを実感する日々。
しかしそれ故に、敵が多いのも分かって来た。
それらが全て、宗治に従っていたことも。
「あらあなた、お帰りなさい。ご夕食は?」
「ああ、軽い物でいいから、頼むよ」
知らぬ間に、すっかり高嶺家に染まっている志穂には、正直驚いていた。
まるで予定通り、準備していたかの様に。
「さてと、雅は元気にしてるかな〜」
雅のいる部屋のドアを、そ〜っと開ける。
丁度乳母が母乳を与えていた。
「あっ💦すみません」
思わずドアを閉める真純。
直ぐに中から声がした。
「ご主人様、どうぞお入りください」
まだ35歳と聞いていた。
その声に、中を窺いながら入る。
「気になさらないでください」
「いや、ノックぐらいするべきでした。しかし、一時はどうしたら…と困っていましたが、直ぐにあなたが見つかって、助かりました」
美人でスタイルも良く、優しい感じの彼女。
「やはり…気になりますよね」
「いえ別に…皆んな色々な事情はあるから」
その応えは、気にしている証拠だと、言って直ぐに気が付いた。
「私の方こそ、子連れでご厄介になって、申し訳ない気持ちです。あの子は母乳が嫌いな様で、毎日困ってました」
彼女は、まだ生まれて1ヶ月ほどの、女の子を連れていた。
「立ち入った話しを聞いてすまないが、父親はいないのですか?」
「私も奥様と同じ、銀座のクラブで働いていて、たった一度の過ちで、この子を授かったんです。子供は大好きなので、産むことに決めて頑張っていました」
「そうでしたか。子供には関係のない、大人の都合ですからね。可愛い女の子だ。私の妻も最初は女の子を授かったのですが、生まれる前に事故で失いました」
少し寂し気に、彼女の子を見つめる真純。
「残念でしたね…でもその子の分も、雅さんは元気に成長しています。驚くくらい早く」
確かに、ほんの少し見ない内に、その成長が分かるほど発育していた。
「私の菜奈も、雅さんといると泣かないし、仲良くさせて貰っています」
「果たして、男か女のどちらに転ぶのか、楽しみでもあり、不安でもあります。君は気にしない様にしてくれて、ありがたいよ」
「そんな、確かに最初は驚きましたけど、調べると、世の中にはたくさんの例があることを知りました。どちらになるのでしょうね〜」
優しい人だと、真純は感じた。
そこへ志穂の呼ぶ声がした。
「おっと、夕飯ができたらしい。これからも、よろすく頼むよ」
そう言って部屋を後にした。
母乳に満足し、絨毯に下りて這って行く雅。
未熟児で生まれた雅は、既に彼女の子よりも大きく、今にも立ち上がりそうな勢いである。
寝ている側まで行き、顔をじっと覗き込む。
小さな掌で、そっと頭を撫でる。
その仕草に驚く彼女。
嬉しそうに笑い声を上げる菜奈。
ニヤリと笑む雅を、知るはずもなかった。
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