③母親の意地

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「いえ、その……。……、この弟子の花南を預かった、ついでといいますか……」  どうも人からお礼を言われるのが苦手なようで、いつだったか、義兄だった耀平のお礼の言葉もはねのけて、もうすぐに山口に帰れ――と突き放された日を、花南は思い出してしまっていた。  なのに。親方も感慨深そうにため息をつくと、初夏の空をふと見上げている。 「古都の霞が似合う、朧の夜空ですね」  芸術家である芹沢親方がそう呟くと、皆が空を見上げ、その静かな空気に引き込まれていく。 「花南が私の工房で銀賞を取った作品は、山中湖の空、満天の星がモチーフでした。思い出します。航と、彼女の母親の静佳さんが、家出娘だった花南を追って会いに来た冬です。別れの前夜、この叔母と甥っ子が、凍った湖畔でふたりきり、空を見上げて語り合っていたあの日……」  星の数ほど嘘をついた――と、航に話した日のことだと、カナも気がつく。 「重く暗い富士の冬空の下、訳がある女と、訳がある少年が、澄んだ空気の中、離れそうだった手と手を繋いで、これからも離れないと誓っていた夜です。その時から……、私は、この空の下の誓いを見届けた一人として、いつか、この子たちの重みを私も共に分け合いたい、軽くしてあげたいと思っていましたから」  関わった以上、最初からそのつもりだったと言ってくれる。  またカナの目に涙が浮かぶ……。この人も、カナにとってはある意味お兄様でもあった。 「私も、振り返れば取り返したい過ちがあります。私のところに、倉重の人間が流れ着いたのもご縁、そうさせていただきたかっただけです。私の自己満足です」  親方らしい言葉だった。  だから、もう女将も弦もなにもいわなくなる。でも、やっぱりお二人とも嗚咽を堪えて涙を流している。
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