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事務室のちいさなキッチンで紅茶を煎れている傍ら。一花が持ってきてくれた雑誌をふたたび開く。樹社長が撮ってくれた『己』をじっくりと眺める。
モノクロで仕上げられた写真、フレーム内には透明のグラスを持ちグラインダーに向かう老眼鏡を掛けた男。
丸まっている背中、視点を合わせているために目を細めている。そのために浮かび上がる眉間の皺、ぼさっとした白髪頭、質素な身なり。荒れて皺だらけの手、手の甲のシミ。たるんだ頬。『老人』がいる。
自分でもわかっているつもりだったが、こんなに年老いていたのかとじわじわと心に迫ってくる落胆を覚えた。
なのに、手の中で生まれ出ている『透明な切子ガラスの輝き』。身につけ磨かれた技の煌めき。それが余計に強調されている。
人々は、この写真を見て思うだろう。『この年齢まで真摯にガラスに向き合ってきた職人の老い姿、しかしそれは比例して美しい切子ガラスを生み出しているのだ』と。老いはしたが生きてきた分、美しさを生み出す揺るがない技を身につけた努力とか真摯とか……愚直とか……。そんな言葉で讃えてくれるのだろう。
でも潔は、この写真の中に居る本人だ。
職人として全うに生きてきたところで、晴れないものが残っている。
本当の意味で『作りたかった輝き』をまだ持っていない。
そう、急に羨ましくなってきた。花南が。
心残りをガラスで打ち消した彼女のことが。
雑誌をそっと閉じ、一花にわからないよう背表紙を握りしめていた。
樹社長は『本物の写真』を撮っている。
潔だけにしかわからない『心』をこの写真で引き出してしまった。
臆病なまま老いた後悔が押し寄せてくる。
最後に出てきた心の声は、『花南に会いに行こう』だった。
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