新世界~魔王の課外授業③〜

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「魔王様、火急の要件とは何でしょうか」  執務室の窓から下界を見下ろしていた魔王は、ベルゼの声に振り返り、穏やかな笑みを浮かべた。魔王という称号には似つかわしくない柔和な顔立ち。頭髪はすっかり白くなり、笑うと顔全体に深い皺が刻まれる。在位三十年の苦労がしのばれた。 「おおっ、ベルゼか。すまんな急に呼び出して。派閥の会合はどうであった」 「どうもこうもありません。戦争放棄に話が及ぶと、相変わらずのらりくらりです。やつらの面従腹背は明らか。魔王様のお力で成敗すればよろしいかと」 魔王は、憤懣やるかたないベゼルを見て寂しげに笑った。 「奴らを討伐する力はわしにはもうない。やつらもそれに気づいておる。どの派閥の長が次の魔王になるか。奴らはその駆け引きの真っ最中じゃ。決まれば、わしを討ちに来るじゃろう」 ベルゼは蒼白になった。「そ、そんな……。私はまだが整っておりません」 「わかっておる。おぬしの責任ではない。おぬしを後継と決めたわしの選択に誤りはない。だがな、無敵の魔力が覚醒するタイミングは人それぞれじゃ。自らの意志で決められるものではない」 「そ、それでは……」 「うむ。戦は避けられぬ」  ベルゼは平伏したまま声を絞り出すように言った。「無念です……無念でなりません。魔王様、私には時々、わからなくなるのです。なぜ我々のような愚かな種族が存在するのか。種の絶滅が目前に迫っているというのに、殺し合いを止められないのですから。異世界のどこを探しても、これほど愚かな種族はおりますまい」 「……それは力のせいじゃろうな。魔力が我々を盲目にしたのじゃ。力を持つ者は、力を使わずにはいられない。強さと可能性を試したくなる。その力を使って万物の頂点に立ってみたくなるのじゃ。いずれ取って代わられる運命と分かっていても誘惑に抗えない……」 「魔王の座は、私には重荷でしかありませんが……」偽りのないベルゼの心境だった。 先代はかかかっと笑った。「わしも同じじゃよ。魔王となって以来、熟睡した夜は一度もない」 「臆病な私に魔王が務まりましょうか……」 「むしろ逆じゃ。臆病でなくては、魔王は務まらぬ。わしはな、ベルゼ。この世に意味のない存在はないと信じておる。力のない者も理由があって存在しておると。無慈悲に命を奪ってよいわけがない」 「だから、魔界を閉じられたのですね」 「そうじゃ。力が全てと信じて疑わぬ連中に異世界を蹂躙させてはならぬからの」 「賢策と存じます。サタナキアやラーヴァナのような連中を野放しにはできません。ですが、魔王様。魔界に閉じこもって権力争いに明け暮れている我々に存在理由はあるのでしょうか。滅亡へと突き進んでいるだけではありませんか」 「わしの答えは同じじゃ。魔界の民にも存在理由があると信じておる。だから、わしは魔王となった。魔界を守るために……。ベルゼよ。なぜ、我々は、死を乗り越えることができないのだと思う? 呪文と魔力によってこの世の全ての摂理を作り変えることができるのに、どうして大戦で亡くなった愛する同胞を生き返らせることはできないのであろうな」  魔王の問いは、ベルゼも常々考えてきたことだった。魔界に生まれた者であれば誰もが一度は自問自答するだろう。 「我々を超える能力の持ち主がいるのではないでしょうか。その絶対的な存在だけが死をなかったものにできる……。異世界には、その絶対的存在をとして崇め奉る種族があると聞きます」  魔王が「我が意を得たり」とばかりに頷く。「神……。おるのならば一度お会いして問うてみたい。なぜ、我々のような種族をお創りになったのか。我々はなぜ存在しているのかを……」  先代は、それ以上語らなかった。魔界が存在する理由について、先代は仮説を持っているように見受けられた。ベルゼは「魔王様の考えをお聞かせください」と請うてみたが、先代は「それは、またの機会にな」とはぐらかした。ベルゼは深追いしなかった。先代が確信に至るまで待とうと思った。「またの機会」がもう二度と訪れないとは知らずに。
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