新世界~魔王の課外授業③〜

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 樹海にぽつりぽつりと明かりが灯り始めた。複雑に絡まりながら四方八方に伸びた木の枝にはミノムシのように大小の家屋がぶら下がり、そこで民が煮炊きをしている。家屋から漏れる明かりは、木々で羽を休める発光生物のようで弱々しく儚げだが、その一つ一つが平穏な日常の証であり、一日が無事に終わりを迎えたことを告げる印だった。  ベルゼの口から無意識に小さなため息が漏れた。仮に誰かがそばにいても気づかなかっただろう。彼のため息はそれくらい小さかった。  塔の最上階にある執務室にベルゼは一人きりだ。だが、油断はできない。魔王は常時、監視されている。どれだけ防御を張り巡らせても、敵はそれをかいくぐって来る。一挙手一投足に細心の注意を払わねばならない。弱みを見せたら終わりだ。小さなため息を魔力の衰えと見て、敵が王座を奪いに来ることもありえるのだから。  それでも、雲間からオレンジ色の光の群れを確認すると、ベルゼは安堵せずにはいられない。夜の(とばり)が下り、執務室を離れるとき、ベルゼは、地上を眺めて誓う。灯をこれ以上減らしてはならないと。  ベルゼが魔王の座を継承してからどれだけの月日が流れただろうか。魔界歴で六年、太陽暦ではわずか三年だ。先の大戦で魔界は塵芥(じんかい)と化した。同胞の力を結集して瞬時に再建したが、人心はなお荒廃している。人口の半分を失ったのだ。無理もない。心の傷は魔力で癒すことはできない。平和な暮らしの中で徐々に傷口をふさいでいくしかない。長い時間がかかるだろう。だから魔王は絶対王者であり続けなければならない。魔王が圧倒的な力で君臨していればこそ、魔界の平和は保たれるからだ。  だが、魔王の力はいずれ衰える。ベルゼは先の大戦でかなり無理をした。その分、ピークは予想以上に早く訪れる可能性がある。 ―――私がもっと早く先代を超えていれば……。  悔恨の念がまたベルゼの胸を締め付けた。彼が無敵の魔力に目覚めたのは、大戦の最中だった。先代が討たれ、大勢の同胞が命を失い、ようやく尻に火が付いた。先代にあれほど目をかけてもらっておきながら、平和裏に王座を譲り受けることができなかったのだ。  同胞たちはベルゼに自分を責めるなと言ってくれた。同じ失敗は何度も繰り返されてきたのだと。その通りだ。自分など足元にも及ばない偉大な魔王はこれまで何人もいたが、王座を巡る大戦が幾度となく起こった。  それは、魔界の住人が特異な能力を授かったゆえの悲劇とも言える。力のある者は皆、頂点に野心を抱き、虎視眈々と王座を狙う。だから魔王の在位は短い。長くて数十年。三日で(ほふ)られた王もいる。最強の魔力を維持しながら後継者を育て、平和裏に王座を禅譲するのは至難の業なのだ。  困難だと分かっていても、ベルゼは、失敗の歴史に終止符を打ちたいと願わずにいられない。魔界の衰退は著しい。先の大戦のような争いが起これば、生存できる者はごく少数だろう。それは事実上、魔界の民の滅亡を意味する。  サタナキア、ラーヴァナ……。敵対する派閥の長はいずれも強敵だ。そしてずる賢い。大戦となれば魔界が滅亡することを奴らは知っている。にもかかわらず、ベルゼの戦争放棄の呼びかけに応じる気配はない。なぜか。それは奴らにとって、現在の魔界はでしかないからだ。異世界との交流を禁じるベルゼが王でいる限り、奴らは好き勝手ができない。魔界は呪縛でしかないのだ。奴らの彼岸は、ベルゼを討ち取って自らが魔王となり、異世界を侵略して手中に収めることだ。それが叶わないのであれば、ベルゼともども魔界を滅ぼし、自らを野に解き放つまでだと考えている。  ベルゼにとって唯一の救いは、二人がそろって「唯一最強」を目指していることだ。サタナキアとラーヴァナに連合はありえない。打倒ベルゼで手を組んだとしても、それは一時で、いずれ血で血を洗う戦いになる。二人とも戦いに勝利して我こそが次の魔王になると信じているようだが、どうやら100%の確信はないらしい。二人の魔力は拮抗している。  魔界の存続と平和を願っているのは、もはやベルゼと彼の派閥だけとなった。それは同じ派閥出身である先代の影響が大きい。先代は常々、自らを戒めるように語っていた。「力を持つと盲目になる」と。ベルゼは今でも後継指名された当時の先代との会話を鮮明に覚えている。その頃、ベルゼは、先代の右腕として派閥間の調整役を任されていた。硬軟織り交ぜて敵対勢力を抑え込み、動向に気を配る重要な役職だった。
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