三話

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三話

天使の輪を冠した繊細な茶髪、丁寧に漉したミルクさながら白く上品な肌、利発そうな鳶色の瞳。年の頃は同じ位でしょうか。 少年は軽快にステップを下りるや、接近を禁じる御者を窘め、気さくに語りかけてきました。 「君の評判は聞いてる、毎日ここで描いてるんだって?よかったら一枚お願いできるかな」 完璧なクイーンズイングリッシュ。まるで訛りがありません。 正直な所、気圧されました。 彼は貴方が知ってる誰とも違った。 頭のてっぺんから爪先までぴかぴかに磨き上げられ、内側から光り輝いてるように見えました。 翻り貴方は……御者が乞食と間違えたのも無理からぬもの。客が忘れて行ったぶかぶかの外套を羽織り、穴の開いた靴からは、霜焼けだらけの足の親指が覗いています。 少年と相対した貴方は、自分のみすぼらしさを恥じ入りました。 余計な事を考えちゃいけません、雑念を払い集中します。絵ができ上がるまで、少年は興味津々といった様子で待っていました。 スケッチはものの三十分ほどで完成しました。 貴方が無愛想に画帳から破り取った絵を一瞥、少年が息を飲みます。 「エドガー様?」 御者の不安げな呼びかけにもすぐには答えず、熱っぽく潤んだ瞳で貴方を見返し。 「すごい……」 いやはや、一目惚れって本当にあるんですねえ。対象が「人」とはかぎりませんが。 少年は初々しく頬を染め、「すごいすごい」を連発し握手を求めてきました。 貴方は半歩あとずさり、後ろに手を隠します。 「汚えから」 「気にしないで」 なおも拒む貴方の腕を捕らえ、半ば無理矢理握り、少年が名乗りました。 「僕はエドガー・スタンホープ。スタンホープ伯爵家の長男だ」 スタンホープ伯爵の名前に緊張しました。貧民窟の隅で細々生きる貴方でさえ聞き齧ったことがある、英国有数の大貴族です。 ああ、どうりで納得しました。 どうりでコイツは堂々としてるわけだ。 生まれてこのかたずっと、お天道様があたる道のど真ん中を歩いてきたんだろうな。 以来、エドガー少年は三日と空けず貴方のもとに通い詰めました。自分の絵を描かせたのは初回だけで、あとは毎回違うものを頼みます。野良猫、野良犬、街の風景。ロンドン橋を描いてほしいとリクエストされた事もあります。 貴方が描いてる間、エドガー少年は傍らで熱心に見守っていました。目は興奮と期待にきらきら輝いて、気恥ずかしさを覚えます。貴方たちが親しく話を交わすようになるまでさほど時間はかかりませんでした。 最初は途切れ途切れにポツポツと。 やがてエドガー少年は馬車のステップに掛け、あなたは地べたに座り、互いの身の上を打ち明けました。 彼の本名はエドガー・スタンホープ、伯爵位を授与された貴族の長男……早い話が跡継ぎです。 年は十歳、貴方と同じ。学校には行かず、優秀な家庭教師に付いて学んでいるそうです。 「君のこと、馬車の窓から見かけるたび気になってたんだ。もっと早く声をかけたらよかった。僕も絵が好きなんだ。お父様の影響だけど」 「知ってる。スタンホープ伯爵は絵画集めが趣味で、家族の肖像をほうぼうの画家に描かせまくってるって」 「制作中は動いちゃダメだから気疲れするよ」 「後を継ぐのか」 「ううん。画家になる」 「貴族の長男なのに?」 エドガー少年は肩を竦めました。 「簡単には許してもらえないだろうね。でもいいんだ、頑張って説得する。跡継ぎなら養子をとればすむ話だし、僕は好きなことを仕事にしたい」 エドガー少年の言い分は世間知らずな子供のわがままに聞こえました。骨の髄まで貧乏が染みこんだ貴方は、自ら裕福な暮らしを捨て、画家を志す人間の気持ちがわかりません。 将来を語るエドガー少年の澄んだ眼差しとは対照的に、貴方の胸にはどす黒い靄が広がっていきました。 俺がコイツだったら、一日中往来に座って他人の似顔絵を描かなくても、母さんの薬代が賄えるのに。 エドガー少年と一緒にいると卑屈な考えが脳裏を掠め、自分の境遇が惨めに思えてなりません。 いっそ足元に這い蹲り、靴をなめたらどうだろうか。プライドをかなぐり捨てて媚びたら、薬代を恵んでもらえるだろうか。 ダンテの『神曲』において、嫉妬は大罪に定められています。 他者を激しくねたみそねんだものは死後に煉獄の第二冠に行き、瞼を縫い留められて盲人となるそうです。絵描きが光を失うのは致命的ですね。 大前提としてエドガー少年は親切な少年でしたから、貴方が理由を話して頼めば、快くお金を渡したはず。 でも、そうはしなかった。 エドガー少年が捧げた友情は一方的なもので、貴方にとっては得意客の一人にすぎなかった。 ある日のこと、エドガー少年とお喋りを終え娼館に戻ると母が冷たくなっていました。 貴方は心底悔やみました。 くだらないお喋りを切り上げもっと早く帰っていたら、唯一の肉親の死に目に間に合ったのに。 エドガー少年は悪くありません。 単なる逆恨みだと頭じゃ理解しています。 それでも誰かのせいにしなければやりきれず、母の遺体に取り縋り号泣しました。 貴方の小さな胸は罪の意識と哀悼の念に張り裂けそうで、気付けば右手に鉛筆を握り、左手で画帳をめくり、天に召された母の顔を写していました。 あの頃の貴方にできた、精一杯の手向けだったんでしょうね。 お母上の死に顔はお世辞にも安らかとは言い難いものでした。眼窩は落ち窪んで頬はこけ、胸には痛々しく肋骨が浮いています。 貴方はお母上の冥福を祈り、技量が許す限り美しく肖像を偽りました。 小一時間後に描き上げたお母上の似顔絵はそれはもうすばらしい出来栄えで、生前より美しいとさえ言えました。 当初はその似顔絵を副葬品として添える心算でした。ところが、土壇場で気が変わります。上手く描けすぎたせいで、手放すのが惜しくなったのです。 貴方はお母上の唯一の形見である似顔絵を画帳に綴じ、鞄にしまいこみました。 お母上の死体が粗末な棺に寝かされ、貧民用の墓地に葬られたのち、薄情な女主人は貴方を叩き出しました。 庇ってくれる人はいませんでした。娼婦や常連も手のひらを返しで知らんぷり、皆女主人が怖いのです。
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