【①初体験(大学生×大学生)】

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【①初体験(大学生×大学生)】

◆ 初体験 一日目:夕方 ((あかね)視点) ◆  十一月七日、月曜日。いつものように大学の最寄り駅に着くと、彼はふと足を止めてこう言った。 「週末、(うち)に泊まらない?」  付き合って半年の恋人から言われた一言は、私の思考を停止させる。  こうなる可能性を考えていなかったわけじゃない。いつかこういう時がくるんじゃないかって、想像することもあった。  ただ、あまりにも突然の“お誘い”に驚いて、どう言葉を返していいか分からないのだ。  口ごもることも、黙って首を縦に振ることも出来ない。どうしよう、どうしようと困惑しながらも、私は懸命に彼にかける言葉を探し続けた。 「悪い。もしかして用事あった?」  そうだったら遠慮なく断ってほしい。  ――なんて言いそうな顔でこっちを見つめる紅羽(くれは)の誤解を解くために、私は力いっぱい頭を左右に振った。 「よ、用事はない! 特に、ない……です」 「そっか。ならよかった」  さっきまで微塵も動かなかった身体が強引に動いたせいか、僅かな余裕が生まれる。  顔を上げると、そこにはみんながいう“常に落ち着いている”紅羽の表情があって、だけど私には彼の表情はどこか嬉しそうに見える。  あまり感情を表に出さない紅羽でも、このお誘いは緊張していたのだろうか? 足を止めた時はそんな素振り、少しも見えなかった。  そう考えると、私もちゃんと紅羽に応えなければいけない。そう思えて思わず声を上げる。 「あのさ!」 「ん?」 「えっと、その……」  けれど勢い任せの行動に、言葉はついてきてくれない。  お互いお酒も飲める年齢になっているし、相手の家に泊まって何をするかは言わなくても察することはできる。  ただ、何もかもの私にとっては、どうすることが正解で何をすればいいのか分からない。  口ごもってしまう私に対し、紅羽はしばらく考えた後に言葉をかけてくれた。 「必要なものはこっちで用意するけど、着替えとか化粧品は持ってきてくれると助かる、かな?」 「……は、はい」  紅羽の気遣いが籠った言葉を受けて、私は反省する。後先考えずに口を開かないで、ちゃんと言いたいことを纏めてから喋ろう、と。  六割の自己嫌悪と、四割の気恥ずかしさを抱えていた時だった。  ふと目の前に立つ紅羽の視線を感じ、私は逸らしていた顔を彼と合わせて尋ねる。 「えっと、何?」  変な反応ばかりしてしまう恋人に呆れたか。それとも、そろそろバイトの時間だからここで別れるのか。  そのどちらかと考えて相手の反応を待つ私に、今度は紅羽は少しだけ口ごもる。 「いや。ただ――」  今、自分が伝えるべきことをどう口にするべきか。  悩んだ結果。彼は遠慮という気遣いを何処かへ投げ捨て、ストレートな物言いで私に尋ねた。 「俺のシャツでよければ貸すけど、茜はそっちの方が良かった?」  多分サイズは合わないと思う。  そう言葉をつけ加えた紅羽の言葉に、私の顔は一気に熱を持った。 「だ、大丈夫! ちゃんと着替えは持って行くから!」  自分よりも一回り以上大きな紅羽のシャツを着る。  頭の中の自分がどうして下着をつけていないのか。なんで彼のシャツに顔を埋めたのか。そんな妄想の真意を追求しちゃいけない。  言い訳を探すように追及すればするほど、私は頭の中の私に羞恥心を煽られ、どんどん顔が熱くなっていく。  恥ずかしくて紅羽と顔を合わせられないのに、視線を逸らすと今度は大声に反応した通行人の人達を目が合ってしまう。  居た堪れなくなった私の体は縮こまり、周囲の好奇の目から逃れることが出来たのは、紅羽がさりげなく私を壁と自分の間に隠してくれた後だった。 「声、少し大きかったな」 「……ごめん」 「俺は気にしてないから平気」  さっきまでは紅羽と顔を合わせるのが恥ずかしかったのに、今は紅羽が側に居てくれることにホッとする。  まだ耳は熱いけど、頬の熱が徐々に引き始めた頃だ。 「こ、今度は何?」 「…………」 「紅羽?」  周囲の視線から私を隔離した紅羽が、ジッとこちらを見下ろしている。身長差があるから必然の体勢だけど、少し覚えた違和感に身構えてしまう。  嫌な気分はしないけど、違う何かは感じてしまう。  このままだとまずい気がするというか、話題を変えた方がいいというか……。  考えだけをぐるぐると巡らせる私の思考を止めたのは、またしても恋人からの一言だった。 「やっぱり、もう限界だなって実感しただけ」  身体を寄せ、耳元で紡がれた本音。  小さく笑った彼の吐息だけが今も熱い耳を掠めて、心臓を煩いぐらいに高鳴らせ、身体の内側を熱くする。 「週末、よろしく」  土曜日まであと五日。  それまで大学で顔を合わせることはあるし、メールも電話も何度だってする機会がある。  けれどこんなことを言われて、私は明日からどんな顔をして紅羽と接すればいいのか。  心が限界を迎えている私と違い、笑って駅の改札を通っていく紅羽。  彼の余裕のある姿が羨ましくて――けれど埋められない経験の差は覆しようがなくて。私は多くのを前に、しばらく顔の赤みがとれることはなかった。 <次回:十一月八日(火)夜> ⇒
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