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 心臓がばくばくと速く脈打ち、全身からどっと汗が噴き出すが、雨に打たれてすぐに感覚がわからなくなる。あと一瞬遅かったら、彼女の身を聖王槍が貫いていた事実に、頭から血の気が引いた。大将同士が向き合い、しかし刃を交わさない事に、両軍の兵が戸惑い、自然と戦いを中断して、二人に注視する。 「アルフォンス、ですね」  生命の危機にさらされた恐怖を押し込めているのか、エステルが、少しだけ引きつった笑みを向ける。 「はじめまして、って言うのも、変かもしれませんけど。一緒に生まれたのだから」 「エステル、王女」  彼女は既に自分達の関係を知っている。それを承知の上で、アルフォンスは他人行儀な呼び方をしながら、槍を持つ手をだらりと下げた。 「頼む、剣を取ってくれ。僕には、退けない理由が、貴女を倒さなくてはいけない理由があるんだ」 「わかっています。ファティマさんの為でしょう?」  何故それを知っているのか。軽く目を見開くと、エステルは懐から一通の封筒を取り出した。封蝋に刻まれた刻印は、よく文を交わして見慣れたものだ。今回ばかりは助け船を出してくれなかったと諦めていたジャンヌ王女が、裏で手を回していてくれたのか。 「愚かだと思うだろう?」  だが、それが何になるのだろう。義妹を人質に取られている事実がエステルに知られたところで、状況は何も変わりはしないのだ。アルフォンスは唇を自嘲気味に歪めた。 「実の姉より、血の繋がりも無い妹の方が大事な弟なんて、貴女にはいない方が良い。退く事も討つ事もできない身なんだ、いっそ貴女の手で、この首を落としてくれ」  エステルが、驚きに目を真ん丸くする。後は彼女が剣を抜き振り下ろすだけで、全てが終わる。両目を閉じたアルフォンスの耳に入ってきたのは、しかし。 「――何て事を言うの!!」  雷鳴すら凌駕する、物凄い剣幕の怒鳴り声だった。予想外の反応に、閉じていた目蓋を持ち上げれば、エステルはまなじりに涙をため、凄まじい眼力でこちらを睨みつけていた。 「貴方が死んだら、ファティマさんはどれだけ悲しむと思うんですか!? 彼女だけじゃないわ。やっと会えた、私のたった一人のきょうだいなのに!」  雨なのか涙なのかわからぬ水分で頬を濡らしながら、彼女はまっすぐにこちらを見すえてくる。心の内を全て見透かすかのような翠の視線を直視できなくて、「それでも」とアルフォンスはうつむき、絞り出すように続きを紡いだ。 「それでも僕は、カレドニアを裏切れない。僕が裏切れば、ファティマが殺される。それに、背後に控えるエルネスト将軍の『青矛隊』が、僕ら両軍を潰しにかかってくるだろう。僕の勝手で、部下まで巻き込む事になる」 「『青矛隊』は来ません」  きっぱりと言い切るエステルの言葉に、またも吃驚(きっきょう)する羽目になった。あっけに取られるアルフォンスの理解が追いつくのを待つかのごとく、エステルは噛み締めるように先を継ぐ。 「別働隊が撃破する手筈になっています。ブレーネ砦にも、私の信頼する仲間が到着しているはずです」
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