第4章:緋翼(1)

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 衛兵達に連行され、地下牢に押し込められて、どれくらいの時間が過ぎただろうか。国土の大半を占める不毛の山肌を穿つように建設されたカレドニア首都ノーデの城は、夏は酷く暑く、それ以外の季節は極端に寒い。温まる食事どころか毛布一枚与えられず、ぴちゃん、ぴちゃん、と、どこかから雨漏りする牢内は冷え込み、喉が渇いて、アルフォンスからまともに思考する能力を奪ってゆく。  だが、心が折れ、唯々諾々と従う人形に成り果てる。それこそが主君の狙いだと気づけば、ここで屈する訳にはいかないと、彼は湿った壁をじっと見つめ、思案を巡らせる事を諦めなかった。  解放軍はまず、『青矛(せいむ)隊』とぶつかるだろう。『緑楯(りょくじゅん)隊』はカレドニア本城へ続く要所を守り、積極的に討って出る事はすまい。エルネストの軍が充分に解放軍を引きつけたところで、『緋翼』ジャンヌ王女の魔獣騎士(グリフォンナイト)部隊が一気に襲いかかれば、五千まで数を増やしたという解放軍も、地上と上空双方から挟撃を受け、無傷では済むまい。  何とか。何とか、エステル王女に知らせる方法は無いだろうか。ラドロアで見た、あの純粋で真剣な翠の瞳は、この数ヶ月、アルフォンスの脳裏に焼き付けられ、まなうらを()ぎり続けた。彼女を討ち、その血に汚れる両手を夢に見ては飛び起き、悪夢だったとベッドの上で膝を抱える夜中もあった。  ここまで彼女に肩入れするのだ、バルトレットに忠義を疑われても仕方が無い。それでも、アルフォンスの心の(うち)には、エステルと武器を向け合う事を恐れる自分が棲んでいる事を、認めざるを得なかった。恋心など野暮ったいものではない。もっと深い感情に依るものだ。  だが、運命はそんな彼を冷淡に嗤笑(ししょう)するのか。廊下を歩く靴音が近づいたかと思うと、 「出ろ、アルフォンス・リードリンガー。陛下がお呼びだ」  先程自分を連行した衛兵が、居丈高に告げながら牢の鍵を開けた。あの頑固な国王が、一体どういう心境の変化か。疑問に思いながらも、「ぐずぐずするな!」と、衛兵に鞘に収まった剣で強く背中を叩かれ、ひりひりとした痛みを抱えて、先程連れ出された謁見の間へと戻る。  そこにいた人物に、アルフォンスは心臓を鷲掴みにされるような驚きのあまり、目を見開いて入口で硬直してしまった。  玉座にかけるバルトレット。かしこまる将三人は変わらない。だが新たに現れた一人は、あまりにも戦事の話にそぐわぬ、たおやかな雰囲気をまとっていた。  小柄で華奢な身体。腰まで流れる薄緑の髪。カレドニアには咲かぬ菫を思わせる瞳は、髪と同じ色をした長い睫毛に縁取られて、まっすぐにアルフォンスを見つめている。その人物は。 「ファティマ……!?」  我が家で自分の帰りを待っているはずの妹であった。
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