陥ちない男〈ひと〉

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現場は大騒ぎとなったが、李子を引き落とした若い男は逃走、そして事情を聴くためと連れられて行った駅事務室では、被害者である李子が思いも寄らない疑いを掛けられることになった。 まず、 「切符を見せて下さい」 最初の駅で言われたのと同じセリフを受け、李子は慌ててサコッシュを掻き回したのだが、確かに入れておいたはずの切符がどこかへいってしまって見当たらない。 切符が無いと分かると事故の詳細や顛末よりも、何故か駅構内をうろつく理由に焦点を絞って問い質される羽目になった。 「うろついていたわけではありません、切符は◯◯駅で確かに買いました。 僕は、、、えっと、ここ、この駅に行きたくて乗り換えで、、、」 乗り換え案内の画面を見せようと手にしたスマートフォンは角が完全に潰れ、どこをどう触っても画面が真っ黒のままだった。 「き、切符はあります。探します」 持っていた荷物は、、、と辺りを見回すと、事務室の奥、別の駅員の足元にビリビリに破れた二つの紙袋とその中身がゴミのように丸められていた。 「僕の荷物が、、、」 李子が立ち上がりかけると、それを逃げると勘違いしたのか駅警備員が肩を押えて『座れ』と制する。 駅員二人と警備員二人、計四人が立ちはだかり、全員が険しい顔で見下ろす中、李子は腕にあるビニールに包まれた水無月のスーツだけは離すまいと改めて固く抱き、再び腰を降ろした。 「君、名前は」 「り、李子(リーヅィ)です」 「リー、、ヅィ? 中国の方?」 「いえ」 「違うの? じゃあ名字は?」 「、、、、」 「言えないのか?」 途端に横柄になる駅員に、横から一人が耳うちをした。 『不法滞在者かも知れませんよ。 取り敢えず警察に通報、、、』 李子は社会における無戸籍のリスクを耳にし、知っている。 ここで警察に通報され、エスカレーターの一件と同じようにあらぬ誤解を受ければ、保護司である水無月に迷惑がかかることも。 だから、『どうしようどうしよう』と急いで考えた挙げ句、 「待ちなさいっ!」 事務室のドアが開いたタイミングで四人の隙間の一番広い所を選んで走り出、人混みに紛れて改札を抜ける以外の手立てが思いつかなかった。
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