秋霖

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はっきりわかることは、小さな水たまりのような世界で生きてきた李子の、無垢と言えば聞こえは良いが、強い自己犠牲の精神を水無月はどうしても認められなかった。 いや、見過ごせなかった、という方が相応しい。 では、そこに執着する理由は何なのか。 他の者であれば捨て置けるものを、何故李子にだけは自ら保護司を申し出、長年に渡り生活を援助するなど、極近い距離で関わり続けているのか。 この職に就いて『初めて逮捕した女の遺児であったから』と言うだけでは腑に落ちず、今も考え続けてはいるが答えは出ていない。 「まあ、いいさ。 それで? 戸籍が無事できたら、お前はその李子(リーヅィ)って子を養子に、、、」 鵜飼が次なる好奇心に触れようとしたその時、 「水無月さぁ〜んっっ」 息を切らせた木瀬(きせ) 春馬(はるま)が店に飛び込んで来た。 水無月の懐にぶつかるようにして飛び込んだ後、迷惑そうに剥がされぐらぐらと揺れる。 「静かに入ってこいっつってんだろが」 「そんなこと言ってる場合ではないのです! 何てったって李子さんが行方不明なのですからっ」 木瀬はあわあわと両手を広げその場で足踏みしながら早口でまくし立てた。 「李子が行方不明?」 「今朝様子を伺いに行ったら部屋はもぬけの殻、これはどうしたものかと彼のスマホを追ったところ桃碼(タァマ)さんと老婦(アーイ)さんの所へ寄って一旦は家に帰り、粥屋、そしてまたまた自宅、そこから駅へ向かい電車に乗ってですね、なんとっ、◯◯駅で消息が途絶えたのです! 一体何があったのかと当該駅の係員に確認しましたところ、数時間前に『リーヅィ』という名の不審人物が駅構内のエスカレーターで暴れ、ゴミをばら撒いたとの理由で確保、尋問中に事務室から逃走したとか何とか、、、」 「ほう」 誘拐や拉致では無さそうだと判ると、水無月は意外そうな顔で木瀬を見下ろした。 「僕は李子さんがそんなことをするとは信じられず、鉄道の防犯カメラを一括管理しているセキュリティ会社のサーバーに潜り込み、裏を取ってみました。 するとありゃこりゃ大変、李子さんは暴れたのではなく、男にエスカレーターで突き飛ばされ、落ちた拍子に持っていた紙袋が破れ荷物を散乱させてしまっただけでした」
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