秋霖

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店の裏には木立に挟まれた路があり、その奥に小屋よりは大きな、煉瓦でできた建物があった。 息を整え、表の門同様に少しだけ開いているドアを引くと、広い空間の左端に置かれているソファに水無月が座っており、その手前に見知らぬ大柄な男が立っていた。 「いらっしゃい。 ようやく辿り着いたね、李子君。 昨日から水無月(こいつ)と二人で気を揉んでたんだよ」 男が満面の笑顔で言うと、水無月は大きく伸びをして立ち上がった。 「っとに待倦(まちあぐ)ねたぞ。 ちょろちょろ寄り道しやがって」 「コ、、、」 「んなもん大事に抱えて。 裸足で。 全身濡れて。 (ねぐら)のない小烏(こがらす)そのものだ。 風呂沸かしといたから取り敢えず入、、、」 「コウさんっ」 水無月が言い終わらないうち、李子は飛んでその懐にぶつかりながら入った。 細い腕にあった水無月のスーツは手から落ち、黒髪と服からは水滴が垂れ、木の床を濡らした。 「僕には苗字も戸籍も学歴もちゃんとした仕事もないけどっ。 でもっ、それでもコウさんの側にいたい、迷惑だと言われても。 お願いだから僕から離れないで。 コウさんが、、、」 一度言葉を飲み、 「コウさんがいなきゃ生きて行けない、コウさんがいなきゃ、、、」 「李子」 「ここに置いて、、、僕を拒まないで」 しがみついて離れない李子を、水無月は雨の匂いごと抱え、いつかのように肩へ担ぎ移した。 「拒むも拒まないもないだろ。 これまでお前の側から離れずにいたのは俺だ、見縊(みくび)んじゃねぇ」 足裏に食い込んでいた小石がポロポロと音をたてて落ちる。 李子を肩に乗せたまま風呂場に向かう水無月の背中を見送る鵜飼は、安堵と同時に、この場に居続ける己の野暮に気付いた。 「帰るわな、水無月。 この際だから二、三日ゆっくり休めよ。 その子を引き取るつもりなら手続きやら物揃えるやら、いろいろやる事あるだろ」 「だな」 が、 こんな時でも水無月という男は実に無愛想だと、バスルームに消え行く姿へ一言 言ってやりたくなり、 「お前にもとうとう男の弱み(・・・・)ってもんを知る時が来たな! いい気味だ! 精々大事にしてやれよ!」 叫んだが、当の本人は『とっとと出てけ』とばかりに上げた片手をひらひら揺らし、身を起こそうとする李子を担ぎ直した。           ── 了 ──
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