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翌日の桃姑、
───
「投君懷抱裡〜 ────
───── 流鶯宛轉啼、、、
水鄉蘇州〜 ──── 」
「あ、それ知ってる。『蘇州夜曲』」
夕刻には少し早い男娼達の待機室。
いつもの窓から両腕を投げ出し、海に向かって口遊む春蕾に仲間が声をかけた。
「タイトルは知らないんだよね」
「だろうな、歌詞もあやしいもん」
「メロディだけは完璧に耳コピできてるはず。
おふくろが良く歌ってたんだ」
春蕾は空に向けて広げた手の指先にスマホを乗せ、弄ぶようにゆらゆら揺らし、歌の続きをハミングに変えた。
相変わらず突然音を立てるだけのエアコンは用を成さず、海風を受けようと春蕾に並んだ男娼は、海に面した広場の右奥に目を遣り、うんざりした顔で眉間に皺を寄せた。
「最近多いよな」
「前からだろ」
数分前、少し離れた工場へ送る海水の取り込み口に人が飛び込んだのを春蕾は知っていた。
随分前から特に珍しい光景でもなくなっている春蕾には、むしろその場で目撃してしまった者らの衝撃を見るのが習慣になっていた。
それら観光客によって警察なり消防なりに通報はされたのだろうが、一足先に到着したのは紺色の制服を着た作業員数人で、彼らにより今は人集りが後退させられている。
大型スクリューに巻き込まれ、砕けた肉塊の回収作業が始まるのだ。
「飛び込んだ奴見た?」
「うん。
お疲れ風な若い男だった」
春蕾は薄く笑って視線を海に戻す。
そこへ、
「春蕾、指名」
マネージャーの男が顔を出し、客の来店を告げた。
「こっちは勢力旺盛のジジイだ」
身を翻し部屋を出ようと歩きかけたが、思い出したように手にあるスマホをタップして、少し前にあったばかりの送金受取通知を確認する。
「どした、、、」
立ち止まり固まる背に男娼が声を掛けた瞬間、大きく息を吸った春蕾が窓から空に向かって勢いよくスマホを投げ飛ばした。
「え、まじっ?」
長方形の機器は光を浴びて一瞬間銀色に光り、少し留まった後は優雅に回転しながら広場に落ちて周囲に細かな部品を散らせた。
落下音と転がるスマートフォンに気がついて上を見上げる人々。
慌てて窓から顔を引っ込めた男娼は驚きのまま、部屋を出て行く春蕾を見つめた。
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