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「楽しかったか?マサ」
「うんすごく楽しかった!」
夜道を流れる1台の車。
その後部座席でシートベルトをつけた少年があどけない笑顔を見せる。
両親たちも愛する息子の笑顔に頬が緩む。
家族3人で過ごした遊園地の時間、思い出という名の心の記憶に今日も文章を書きこんだ。
楽しい時間はいずれ終わるが、また作り出すことは出来る。
2つの大きな体と1つの小さな体には興奮も誤魔化せぬ疲労が張り付いていた。
流れる街灯の光を車窓越しに眺める少年は、まだぼやけてもいない記憶を思い出し、笑みを漏らす。
「また行きたいなお父さん」
「おう、何度だって連れてってやるぞ」
「次はジェットコースターに乗りたい」
「ダメだよ、ああいうのはもっと大きくなってからじゃないと」
「おいマサ、またママがつまらないこと言ってるぞ」
「つまらないことじゃない。安全のためだよ。それに身長制限だってあるし」
「ママのケチケチ女ぁ~」
「やめてよ!」
「ママが怒ったぞマサ!こわいなぁ!」
「本当に怒るよ!」
母親は助手席から運転している父親の肩を殴った。
おおげさに痛がる父親を見て、クスクスと少年は笑う。
「ママ!叩いちゃダメだよ」
「えーんえーん!ママが叩いたぁ!マサ助けて!」
「もういい加減にして!」
むすっとした母親はプイッとそっぽを向く。
車の中には少年の好きなアニメソングが流れている。
父親は豪快に笑って、少年の顔をバックミラーで確認した。
「マサ、次どこ行きたい?」
「遊園地!」
「また遊園地でいいのか?」
「うん……だけど……ママが行きたいところでもいいよ」
「マサくん、いいんだよ。マサくんが好きな場所に行こう」
「ううん、ママの行きたいところに行きたい」
「おっ、俺たちの息子は優しいな!誰に似たんだろう」
「それはママよね」
「なんだとー?それよりマサ、パパの行きたいところには行ってくれないのか?」
「だってパパ、パチンコって言うでしょ?」
「俺たちの息子は優しいだけじゃなくて賢いな!」
「あなた変なこと教えないでよ!マサくんに悪影響でしょ!」
「大人になったら連れて行ってやるからな」
「うん!楽しみにしておく!」
「楽しみにしちゃダメ!」
母親はもう1度父親を殴った。
全てが満たされていた。
この家族に不足しているものなどなかった。
みな万事順調に我が道を歩んでいる。
家族として交わり、笑い声と愛情に包まれていた。
少年は幸せだった。
友人も学業も両親も愛情も笑顔も全てを持っていたからだ。
少年は微笑んだ。
暗くか細い光しかない夜道を流れながらも、不安なんてなかった。
心を自らの火と家族の火で灯し続けて、これから先も生きていくのだろう。
「なあマサ、最近学校はどうだ?」
「楽しいよ!あっ!聞いてよ、この前僕告白されたんだ!」
「おおほんとか!?お前はママに似て顔がいいからな」
「パパも格好いいよ」
「はは、ありがとな」
「ちょっと待ってマサくん、告白されたってどういうこと?」
「同じクラスのユミちゃんに」
「え?長野さんのところの?」
「そうだよ」
「もうなんであの子なの……はぁ」
「どうしたの?」
「あの子下品じゃない、この前家に遊びにきたときだって……」
「もう姑になる気か?告白って言ったって単なる子供の遊びだろう」
「あなたは甘いのよ……女の子はそういうの早いんだから。うちのマサくんには似合わないよ。もっと……ほらあの子!種﨑さんのところの娘さん!あの子なんてどう!?」
「ハナちゃん?あんまり話さないよ」
「話せばいいじゃない」
「やめろよお前」
父親は苦笑してまだぐちぐち言っている母親をなだめた。
当の少年はキョトンとしている。
「なあマサ、パパもママもお前のやることに口だしたりしないよ。自分が正しいと思ったことをやればいい」
「……でもこの前は怒られた」
「誰に?」
「先生に……ヨウくんを叩いたから」
「ああ、あれか……あれはお前が悪いんじゃない。あの子が悪いんだ。だってお前の友達をいじめてたんだろう?殴られなきゃ分からないやつもいる。気にすんな」
「そういうものなのかな?」
「そういうもんだ。いいかマサ、お前は優しいやつだ。だからどんなことがあったって乗り越えられる。優しさっていうのは……言い換えれば才能だ。どんなに頑張ったって優しくなれないやつはいる……だから落ち込む必要なんてない」
「そうよマサくん、これから先も……ママとパパはずっと一緒だから。辛いことがあったら頼って。マサくんちょっと頑固なところあるから、言ってくれないこともたくさんあるでしょ?」
「そうだね……なんか……格好悪いなって思って」
「格好悪くなんかない、なあマサ……パパたちはお前の味方だぞ。お前が何をしたってな」
少年は頬を赤らめた。
母親が身を乗り出し、彼の頭を撫でる。
彼女の結婚指輪が少年の額に当たった。
深い愛の象徴……。
鈍く光る銀色が眩しかった。
「うん……ありがとうパパ、ママ」
少年は笑った。
そして耳を潰すような轟音が車内に響き、車体がゴロゴロと転がった。
味わったことのない衝撃に少年の小さな体がちぎれそうになる。
窓ガラスが割れて、ドアは曲がる。
夜の静寂がかき消されて、少年は呻いた。
胸から腹部にかけて激痛が走る。
遠のきそうになる意識の中、彼は目を開ける。
眼前には血まみれの両親の顔が映る。
2人は必死にシートベルトを外し、横転した車の中でもがいていた。
「ママ……?」
「大丈夫!?マサくん!」
「う……ん」
「待ってろ!今助けてやるからな!」
父と母は重症だった。
もう体が動くはずなどないのに、彼らは軋む肉体を動かし少年に近づく。
腕も脚もまともに機能していない。
大型トラックに車ごと弾き飛ばされて、生きているだけでも幸運だというのにそれでも彼らは息子を救うことしか頭になかった。
「シートベルトを外すぞ!」
父親は少年を拘束しているシートベルトを外そうとした。
しかし事故の衝撃で変形し外れない。
父と母は血と汗を流しながら懸命に息子を救おうとする。
車体から煙が出て、火の手があがる。
狭い車内が黒い煙に包まれていく。
少年は何度も咳き込んだ。
「大丈夫よマサくん!大丈夫だから!」
母親はハンカチを息子の口に当てた。
父親は諦めることなく息子の体を車の外に出そうとする。
「パパ……ママ……」
「大丈夫だ!絶対助けるから!」
「逃げて……」
絞りだした少年の声に、2人の体の動きが止まる。
目を見開いて、涙を流しながらも訴える息子の顔を目に焼き付けた。
幸福な時間はここで終わりを告げる。
ガソリンに火が引火して、車は弾けた。
轟轟と燃える炎に身を焦がす3人は、光を夜に捧げたのだ。
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