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本棚に追加思い出の代物
北千住駅から歩いて約十分。にぎやかな商店街から少し離れた場所にある、陽が差し込む小さな店。昔から存在しているような古ぼけたその外観は、どこか安心感さえ与えてくれていた。
『駄菓子屋ひだまり』と看板の掛けられたその店内は、外観と同じくこじんまりとしている。古さと新しさが混合するこの街の中でも古い方に分類される建物に比べて、看板だけは少し新しいようにも思える。そのちぐはぐした感じが少しおかしくて、でも背中を押してくれているような気さえした。そんな駄菓子屋と居住スペースを繋ぐ扉の前で、六歳になったばかりの香月晴良は足を抱えていた。
嫌なことがあると、決まってこの場所で涙する。言いたいことも言えず、ため込む癖のある晴良は、小さいながらにこうして小さくなっては一人感情を吐き出していた。
そんな晴良を見た祖母は、ゆっくりと晴良の隣に腰かけた。
「晴くん、これをあげようね」
しわしわの手が、晴良の目の前に出される。その手の上には、一粒の金平糖がのっていた。
キラキラで、ちょっとだけとげとげした金平糖。口に含めば、甘いのが口いっぱいに広がっていった。
* * *
「晴良! 起きなさい!」
薄暗い部屋に突如響いた賑やかな声。バタバタと遠慮なく入ってくる音に、香月晴良は布団に深くもぐりこんだ。
「無駄なあがきはよしな」
「ぐぇッ」
ボフン、と音と共に襲い来る重力。情けない声を上げた晴良が慌てて体を起こせば、布団の上ではつぶらな瞳をした柴犬・まるが晴良を見つめていた。遊ぼう、と訴えてくるそのキラキラしたまんまるな目に、晴良は怒るに怒れず震える拳を握った。
カーテンが閉め切られて薄暗かった部屋に、強い光が入ってくる。まぶしさに唸った晴良が窓を見れば、母である智世が窓を開けているところだった。
「……まだ十時じゃん……ふざけんなよ……」
上にのって動かないまるをそのままに、携帯で時間を確認した晴良は力なくベッドに倒れこんだ。ベッドに入ってからまだ二時間しか経っていない。いつもならまだ夢の中だ。
「ほら二十二歳児! あんた今日から仕事!」
智世の言葉に一度は布団に潜り込ませた顔を、のそのそと出した。未だに上に乗るまるに髪の毛を引っ張られながら、何やら作業している智世の後ろ姿を憐れんだように見つめた。
「頭大丈夫か……? お前の息子は仕事なんて……」
「今日からこの部屋なくなるから」
「はぁ!?」
掛布団を飛ばす勢いで飛び起きた晴良はせき込んだ。久しく大声をあげていない。掛布団と共に吹き飛ばされたまるが上げる抗議の声と、晴良の情けないむせる声が合唱する。
「すまん、まる……わざとじゃない……」
涙目になりながら吠えるまるを撫でた晴良は、再び智世を見た。ちょうど振り返った智世の手には、大きなボストンバッグが一つ。
「今日からばあちゃんの店の店番しなさい」
晴良はまるを撫でていた手がとまった。もっと撫でてと頭を押し付けてくるまるをよそに、晴良は智世を見つめた。
「ばあちゃん、起きたのか?」
晴良の祖母・田町知代は駄菓子屋を営んでいる。だが、一か月前に突然目を覚まさなくなり今もなお入院中だ。その間、駄菓子屋はもちろん休業中。
晴良の言葉に、智世は首を横に振った。
「んだよ……じゃあなんで店番なんか」
「このままなくなるのも、なんか寂しいでしょ」
「母さんがやればいいじゃん」
「嫌よ。まるが悲しむじゃない」
智世は晴良に撫でられずしゅんとしているまるを撫でた。途端に尻尾を振って嬉しそうにするまるをみて、智世はほら、と得意げに笑って見せた。
そんな智世に、晴良は顔を顰めた。祖母の店だとしても、働くという行為をしたくなかった。否、働くという行為そのものよりも、他人と関わることをしたくなかった。
疲れるに決まっている。ただ友達と話すだけでも疲れるのに、それが客となれば余計疲れる。何のために数年間頑丈に引きこもってたと思っているんだ。
「俺に営業する能力があるとでも思ってんのか?」
「あんなに世話になったばあちゃんに、なんの恩返しもしないのは男としてどうなのよ」
「……それは」
「ばあちゃん、あんなに可愛がってくれてたのに。あんたが一緒に手伝ってくれるだけで嬉しがってたのに……それを……あんたは」
智世はわざとらしい泣きまねをしながらまるに抱き着いた。何も状況をわかっていないまるは、元気よく一つ鳴くだけ。
「……あんたとの思い出が詰まった大切な店だって言ってたのに……」
智世はおよよ……と変な声を出して晴良を見上げた。
散った桜が道を微かに彩る静かな歩道。
閉まり切ったシャッターの前で、晴良はただ突っ立っていた。智世に持たされたボストンバッグは少しだけ重たい。自分の家の部屋がなくなる代わりに、知代が使っていた駄菓子屋の奥にある居住スペースが、今日から晴良の生活場所になるらしい。
シャッターに貼られた『店主体調不良のため臨時休業』と書かれた紙をじっと見ていた晴良の目の前に、上からにゅっと少年の顔が出てくる。
「だれだお前」
重力に逆らうような少年の顔。上から降ってくるようなその少年に、晴良は全身の血がさっと抜けていくような感覚に陥った。
そんな晴良に、少年は目を見開いて体勢を整える。間近に見える少年は、何度見ても浮いていた。
「ああああぁ!? ヴッ」
思わず出た叫び声は、静かな街中に響き渡る。だが慣れない大声に喉はすぐに叫び声ではなく情けない咳を生み始めた。自転車で通り過ぎていった少女が訝しげな視線を投げてきたがそんなことはどうでもいい。
人間が浮いている。浮くわけのない人間が浮いている。
「おれのこと見えるのか? な、声聞こえてる?」
少年の言葉に、晴良は涙目になりながらぶんぶんと横に首を振る。それが肯定であることなど、今の晴良には判断できなかった。
「聞こえてんじゃん!」
「聞こえてません!」
「こたえてんじゃん」
「答えてません!」
なおもぶんぶんと首を横に振る晴良に、少年は「へんなやつ」と呟いた。
浮いている奴に変な奴と言われるのは心外だ。晴良はガードするようにボストンバッグを前に抱えて少年を見た。
前髪が短く風にさらされたきれいな形のおでこ。子供らしくかわいらしい目は少しまるにも似てる。まだ春先だというのに半袖パーカーに半ズボン。そこから伸びる足は、綺麗に透き通っていた。
「ゆうれい……」
「見えてんじゃん!」
「うわぁあああ! ごめんなさい!」
本日三度目になる酷使に、晴良の喉は限界を訴えた。
ハッと我に返った晴良が辺りを見渡せば、幸いにも通行人はいなかった。だが、賑やかな商店街から離れているとはいえここも人が通る道。晴良は急いでボストンバッグから鍵を取り出してシャッターを開けた。
こんな得体のしれないものと一緒にいることは出来ない。普段使うことのない腕力を使って最低限シャッターをあげて体を滑り込ませる。全力でシャッターを閉じれば、少年の姿は見えなくなった。
肩で息をする晴良が電気をつければ、強すぎない光で店内が灯される。それと同時に、懐かしいにおいが鼻腔をかすめた。
陽だまりのような匂い。温かくて、優しいその匂いは、いくつになっても安心感を与えてくれた。
「お前この店のやつか!?」
だがその安心感はすぐに壊された。にゅるっと眼前に現れる先ほどの少年の顔。驚きで腰を抜かした晴良を見下ろした少年は、何が面白いのか腹を抱えてケタケタ笑っていた。
「大人のくせにびびってやんの!」
馬鹿にしたような少年の言葉に、晴良は恐怖よりも苛立ちが勝った。どことなく智世の煽りに似ている。
「ビビってねぇし! 脅かしてくんのが悪いんだろ!」
晴良はシャッターをあげ外を指さした。
「誰だか知らんが帰れ! ここはまだ閉店中です!」
「ばあちゃんいないの?」
少年は浮いたまま店内を見渡した。きょろきょろと何かを探す少年に、晴良は首を傾げた。「ばあちゃん」とは、知代のことであってるのだろうか。
「ばあちゃんって……この店の?」
「おう! どこにいるんだ?」
「……入院、してるけど」
晴良は外を指さしていた腕を下ろした。少年は知代のことを知っているのだろうか。にゅーいん、と晴良の言葉を繰り返した少年は、先ほどまでの元気の良さはどこに行ったのかという程しょぼんとしていた。入院の意味をしっかり理解しているらしい。
「……お前、ばあちゃんのこと知ってんのか」
「うん。おれ、ずっとばあちゃんにあそんでもらってた。でも、さいきんずっといなくて」
俯いた少年は、小さな声でそう言った。
幽霊になっても、ずっと知代のことを待ち続けていたのだろう。晴良は視線を泳がせた後、気まずそうに後頭部を掻いた。幽霊と言ってもまだ子供だ。急に一人になってしまえば、寂しいものだろう。
「……あー……えっと、お前、名前は?」
でもどう声を掛けていいかわからず、晴良はしどろもどろにそう尋ねた。うつむいていた顔をあげた少年は、じっと晴良を見つめる。
「ひとのこと聞く前にじぶんからはなせよ」
「かわいくねぇなお前」
せっかく人が気を遣ってんのに、と手が出そうになった晴良は、懸命に我慢して息を吐いた。やはり他人の相手は疲れる。
「香月晴良。ここのばあちゃんの孫」
それだけを答えれば、少年はパッと顔を明るくさせた。表情が豊かなのは、人間の子供と何ら変わりがないらしい。
「じゃあこの店あけんのか!」
曖昧に頷いて見せた晴良に、少年はその場でくるりと一回転して見せた。喜び方が普通の子供ではない。晴良はぶるりと身震いした。
「おれ! 穂村夕! てつだってやるよ! なぁ良いだろ!」
「いや……えぇ……」
無邪気とはいっても幽霊は幽霊。出来ることならあまり関わりたくはない。だがここで変に断って呪われでもしたらそれこそ嫌だ。晴良が懸命に言い訳を考えていると、ポケットの中で携帯が震えた。その音に心臓を跳ねさせながらも画面を見れば、智世からの着信だった。
『お店ついたー?』
「おい! ふざけんなよ!」
『なぁに開口一番……やだ! あんたの大事にしてたぬいぐるみ、まるにあげたことバレた!?』
「なんだよそれ! ふざけんなよ!」
『何だ違うの』
今日一日で何度智世に怒りを抱いただろう。体力のあまりない晴良は早々に会話を諦め、声を潜めた。ちらりと見た夕は、晴良を気にすることなく店内を飛び回っている。
「この店出るとか聞いてないんだけど」
小さなころから何度も訪れていたが、知代にも智世にも聞いたことがない。実際に見たのだって今日が初めてだ。だが夕の言い分が正しければ、今日昨日の出来事ではないのだろう。
『出るって……あんた男ならそれぐらい退治しなさいよ。まるでさえ戦ってるのに』
「は!? うちにも出てたのか!?」
それこそ初耳だ。もうこれからどんな感情で家に帰ればいいかわからない。混乱を極める晴良に、智世は軽い口調で続けた。
『まぁ一匹や二匹出るでしょ。でも一応食品扱ってるんだから、対策はしなさいよ』
じゃあ頑張れ。と無慈悲な音を聞いた晴良は耳にあてていた携帯を離した。映る画面は真っ黒。
「虫じゃねぇよ!」
「なぁ、はるよし!」
「ぉわあああ!」
怒りに身を任せて叫んだ晴良の目の前に、再びにゅっと夕の顔が現れる。何度されても心臓に悪いその行動。律儀に叫ぶ晴良に気を良くした夕は、ずいっと何かを目の前に差し出した。
「……金平糖?」
小さな丸い瓶の中に入った一粒の金平糖。光に反射するその丸いとげとげは、いつか晴良がもらった金平糖に似ている。
「これ、よくばあちゃんがくれてたやつ! 食べたい!」
夕から瓶を受け取った晴良は、懐かしそうに瓶の中身を見た。あの頃はこの瓶いっぱいに入った金平糖を眺めて、食べるのがもったいないと思っていたっけ。
「……あれ」
ぐっと力を入れて蓋を開けようとするも、びくともしなかった。いくら引きこもっていたとはいえ、蓋の一つや二つ開けられていたのに。
服の裾を使って力を入れやすくしてみたり、意味もなく声をもらして力を入れようとしても、開く気配はなかった。
「あのぉ……」
情けないものを見るような夕の視線に文句を飛ばそうとすれば、入り口から夕ではない違う子供の声が聞こえてきた。
──しまった、シャッターを開けっ放しにしてしまっていた。
晴良が慌てて声のした方を見れば、そこに立っていたのは一人の少女だった。
六歳くらいであろうそのおかっぱ頭の少女の足も、夕と同じく透けて見えなかった。

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