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知代に手を握られながら、座敷に座って涙する朝日。その足元で、夕はぴったりくっついたまま動かなかった。何の音もしない駄菓子屋に、朝日の鼻の啜る音だけが響く。
「夕は、いつも私に笑顔を向けていてくれていたんです」
静かに話し始めた朝日に、晴良たちは黙って耳を傾けた。
朝日は、一人っ子だった夕に窮屈な思いをさせないために朝も夜も働いていた。夕が起きる前に家を出て、夕が寝静まった頃に帰ってくる生活。休日は出来るだけ一緒に遊ぶようにしていたが、疲れすぎて寝落ちしてしまうのが大半だった。
「そんな私に、夕は毛布を掛けてくれていたんです。優しい子だって、……思ってたんですけど」
朝日は流れ出てくる涙を拭いながら、話し続けた。
「優しすぎたんでしょうね、私に気を遣って、寂しいって、言えなくて……」
朝日の足元にいる夕が、一生懸命手を伸ばして涙を拭おうとしていた。そんな夕の表情も、泣きそうに歪んでいる。
優しいと評された夕は、間違いなく優しい性格をしていたのだろう。晴良と出会ってからの夕は、子供らしくうるさいのが常だった。だが、ほかの幽霊たちとの接し方を思い出してみればわかる。
「ここでの夕は、どんな感じでしたか?」
涙を流しながら、朝日は顔を上げた。隣にいた知代は微笑んでそうねぇ、と嬉しそうに言う。
「元気で明るくて、優しい子だよ。泣いている人を見たら自分が泣いていようが慰める子だ」
知代は朝日の足元にいる夕を見て笑った。いまだに朝日を慰めようとする夕は、自分の手が届かないことがもどかしくて仕方のないようだった。
晴良の隣にいた颯太が、肘で晴良の腕をつつく。颯太の視線は、ポケットに触れていた晴良の手に注がれていた。言わんとすることが分かって、晴良は朝日の元に歩み寄った。
「……これ、夕が一番好きだったものです」
そう言って晴良はポケットからメンコを取り出した。ずっと夕が使っていた、少しだけ擦り切れたメンコ。勝ったら大げさに喜んで、負けたらいじける夕に、何度も苦悩を強いられてきた。だが、夕を象徴するものはこれが一番なのだろう。
「優しいのは確かに優しいかもですけど……でもちゃんと、子供らしいところもありました」
子供らしく口が悪いところもあったし、晴良を煽るような言動もしてきた。突飛な行動で困らせてくることもあったし、言うことを聞かないことも多々あった。
「あいつがあなたの前で優しかったのは、あなたの優しさを分かってたからじゃないですかね」
だけど、そんな夕が寂しいと言えない程朝日に優しかったのは、朝日の優しさを知っていたから。
そう思えるようになったのは、和仁と出会ってからだが。
「夕はあなたのことが大好きだったから、困らせるようなことは言いたくなかったんじゃないかな。優しいのもあるけど、多分、それが一番だと思う」
そう言って夕の方を見れば、涙をためた目と出会った。否定的な目じゃない。きっと、晴良が言ってることは間違っていない。
朝日は晴良の手からメンコを受け取り、愛おしそうに撫でた。
「メンコは……うちでも何度もやったんです。とても上手で、うちの子には才能があるんだって、親バカみたいなことを思ってました」
涙を流しながらも、朝日は初めて微笑んだ。出会ってからそう時間は経っていないが、ずっと暗く沈んだ表情しかしていなかった朝日。そんな朝日の笑顔に、夕は「おかあさん」と小さな声で呼んだ。
届かないとわかっていても、夕は何度も「おかあさん」と口にする。
「おれ、ボール飛ばすのもうまかったんだよ。かんじはにがてだったけど、たいいくはすきだったもん」
ぼろぼろ涙をこぼす夕に、晴良は朝日に視線を向けた。
「夕はテストの点数悪かったんですか?」
「ええ、勉強は得意じゃなかったみたい」
メンコを撫でながらそう話す朝日は、それでも嬉しそうだった。
「きっと中学に上がったらもっと苦戦していたかも」
あるべきはずだった未来を話した朝日は、喉を詰まらせながらメンコを撫でた。その目からは、再び涙が零れ落ちる。
「二十年も経ってるんだから、前を向かなきゃって、わかってるんです……。でも、もし今も夕が生きていてくれたらって、思っちゃって……」
もし中学に上がったら、もし高校に通うようになったら。大学は行ったのかな。やりたいことは何だったんだろう。就職は出来たのだろうか。そんなことばかり考えては、涙が止まらない日々を送っていたという朝日。
精神がすり減ってしまい、仕事もままならず、病院でメンタルケアを受けているのだという。
「想像してもいいさ。泣いたっていい。それだけ夕くんのことを大切に思ってたんだから、当たり前だよ」
ずっと黙って聞いていた知代が、そう声を掛けた。
「一人で思い出すのが辛かったら、ここに来てくださいな。私も一緒に、夕くんのお話がしたいよ」
そう言って笑った知代に、朝日は笑みを浮かべた。だがすぐに、堪えきれず大粒の涙を流す。
ずっと一人で苦しかったのかもしれない。ずっと一人で、寂しかったのかもしれない。
どうすればいいかもわからなくて、頼る人もいなくて、一人でどうにかしなくちゃいけないと思っていたのかもしれない。
晴良は朝日の泣く声を聞きながら唇を噛んだ。朝日の横にいる夕が、今までにないくらい苦しそうな表情をしていたから。
また来ると言い残して、朝日は駄菓子屋を後にした。泣きはらしながらもすっきりしたような笑顔でそう言ってくれた朝日を、どこで聞いていたかわからない智世が出てきては送っていくと背中を押していった。
しばらく智世のうるさい声が聞こえていた駄菓子屋の入り口で、夕は去っていく朝日の背中をじっと見つめていた。
二人の姿が見えなくなっても、夕が入り口から動くことはなかった。
「夕」
「おれ、すっごくさみしかった」
晴良が名前を呼べば、夕は視線を動かすことなく口を開いた。
「ひとりって、びっくりするくらいさみしいんだよ。しってたか?」
「俺は常に一人だったからな」
「そういうのぼっちっていうのしってるぜ」
「余計なことばっか知ってんな」
いつもと同じ軽口の応酬。だが、夕の声に覇気はない。
晴良は、そんな夕の近くまで歩み寄って入り口から顔を出した。
水たまりが多く残る道。そこに歩く人の姿はなく、車がたまに通るくらい。静かなその道を、夕はじっと見つめていた。
「あのさみしいってかんじ、おかあさんにさせてんのかなぁ」
少しだけ揺れたように感じた声。晴良は下を見るのをぐっとこらえ、道に残った水たまりを見つめた。
「……なんで母さんのとこじゃなくてこの店に来たんだ?」
晴良は疑問に思ったことを口にした。
「……はじめは、おかあさんとこいたよ」
返ってこないと思っていた答えに、晴良は思わず下を見た。
未だに視線をそらさず朝日の帰っていった道を見つめる夕。丸っこい頬に涙を伝わせていた。
「でも、おれの声、ぜんぜんとどかなくて、さみしくて、おれ、にげてきちゃった」
泣き暮れる朝日に何度話し掛けても届かない声は、次第に死んでしまったことへの後悔を募らせていった。
生前感じていた寂しいという想いは死を選んでからも消えず、日に日に増す一方。それが耐え切れず、夕はこの駄菓子屋へと逃げてきてしまったのだという。
──『生きてるやつに何かいえるのは、生きてるやつしかいないんだよ』
以前春香に言っていた言葉は、夕が経験したことなのだと今になって理解する。
声が届かない寂しさを、身をもって経験した夕だからこその言葉だったのかもしれない。
「お前さ、まゆちゃんに言った言葉覚えてるか?」
夕がゆっくりと顔を上げ、その大きな目と視線が合う。
「『言わなきゃ分かんない』って、お前言っただろ」
何かを言いたくてしり込みしていたまゆに、夕はそう投げかけた。子供らしくまっすぐな言葉だったのだろうとずっと思っていた。
「さみしいって、本当は言えばよかったって、後悔してるんだろ」
きっと、朝日は寂しいって言えばもっと一緒にいてくれた。あれだけ息子想いの人なんだ。どうにかして一緒にいる時間を作ってくれたのかもしれないのに。
夕はそれを言わなかった。そして、耐え切れず死を選んでしまった。
その後悔をずっと抱えている夕は、成仏することもできずに二十年以上この世にとどまり続けている。
「……だったらなんだよ」
「俺さ、すっっっっっっっごい癪だけど、お前に気付かされたんだよ。癪だけどな」
眉間にしわが寄るのを自覚しながら、晴良は口を開いた。
「言わなきゃ分かんないとか、当たり前だけど欠如しがちだよなって。俺もずっと、なんで気付いてくれないんだろって、そんなことばっか考えてた」
他人に合わせている自分を、誰かが気付いて無理すんなって言ってほしかった。
自分を繕ってる自分を、誰かが気付いてそのままでいいって言ってほしかった。
だけどそれを隠したのは他でもない晴良自身だ。気付かれないようにしてるくせに、気づいてほしいだなんて傲慢にもほどがある。
「気づいてほしいなら、言わなきゃだめだよな」
晴良は夕の目から視線を逸らし、空を見上げた。灰色の雲が流れる空は、少し前よりも明るく見える。
「『次の俺』はちゃんと言えるようになるから、お前も『次』はちゃんと寂しいって言えよ」
夕はそうやって言える強いやつだと、晴良は知っている。ここで過ごした短い時間の中でも、夕はちゃんと言葉にして言えることを身をもって理解している。だから大丈夫。
「自殺したことを後悔してるなら、『次』はそんな選択取らない生き方すればいいだろ」
人の数だけ考え方も生き方もある。もしかしたら、颯太みたいに我慢を強いられる生活に直面してしまうかもしれない。春香やまゆのように、望まない死を迎えてしまうかもしれない。田本のように、人のために死を迎えてしまう可能性もゼロではない。
だけど、それでも生きることを望めばいい。
「ここに来たら、俺がそう思わせてやるから」
どんな人生でも、生きたいと望みを持てるようになればいい。
晴良は、そうさせたいと思うまでに長い時間を経た。この駄菓子屋でたくさんの幽霊たちの未練を見てきて、やっとできた目標だ。
希望をもって成仏していく幽霊たち。それは、まるで陽だまりで温められて空に帰っていく水たまりの様にも思えた。
決して綺麗なだけではないけれど、晴良は言葉にしがたい感情を手にしていた。
力強く告げた晴良に、夕はいびつな笑顔を見せた。
「……しゃくってなに」
「おま……ここは感動してありがとうっていうところだろ」
「じゃあありがとうって言えって言えよ」
涙を流しながらけらけら笑った夕は、くるりと晴良に体を向けた。
「おれ、またここにきていいの?」
不安そうに見上げてくる夕に、晴良は大きく頷く。
「ここは誰でも受け入れる場所だからな。お前がめんこだったとしても、受け入れてやるよ」
晴良の言葉に声を上げて笑った夕。その声につられたのか、まるが中庭から駆け寄っては夕の足元でくるくると回って見せた。
「またくるからな! そのときはまたあそぼーぜ!」
まるに声をかけた夕の手が、徐々に透けてくる。未練を解消して、次に進んでいくのだ。
何度も声を上げて夕に話しかけるまるに、夕は元気よく返事をする。その姿を見守っていれば、声を聞いた知代と颯太も奥から出てきた。
晴良も颯太も知代も何も言わない。ただ、尻尾を振りながらくるくる回って吠えるまると、嬉しそうに応える夕の声が駄菓子屋に響き渡る。
この声が聞こえなくなるんだと思ってしまえば、晴良は鼻の奥がツンとするのを感じた。
「晴良!」
ふいに名前を呼ばれ、晴良は夕を見た。もうほとんど透けている夕は、出会った時の様に無邪気な笑顔でこちらを見ていた。
「お前はいーやつだってみとめてやるから、ビビりはなおせよ!」
そう言い残して成仏していった夕に、晴良は気の抜けた笑みを浮かべた。
静かになった駄菓子屋に残ったのは、寂しい孤独ではない。次に進んでいった夕が置いていた、希望の木霊だ。
「お前って言うなって」
もうすでに聞こえていないだろうと思いながらも、晴良は鼻を啜りながらそう言った。
その言葉に返事をするよう、店の中からカラン、と音が聞こえてくる。
レジ横に置いてある金平糖。晴良はその小瓶を手に取り、中の金平糖たちを見つめた。
最初は一粒から始まったこの小瓶。今ではもう、入らないのではないかと思う程たくさん詰まっていた。
「金平糖は、生きる希望なんだよ」
後ろから知代の声が聞こえ、晴良は振り返った。
「いろんな色があって、色んな形がある。人生みたいだねって、和仁さんと話してたんだ」
ゆっくりと歩み寄ってきた知代は、晴良の手の中にある金平糖の瓶を撫でる。その顔は、嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「だから、苦しんでる子に金平糖をあげたくなったのさ」
「じゃあ、増えていったこの金平糖は、知代さんが今まであげてきた希望のお返しなんだね」
「おや、それは嬉しいねぇ」
颯太の言葉に、知代は嬉しそうに声を上げて笑った。
だけど、あながち間違いじゃないような気もする。この金平糖がたまって、ずっと寝たきりだった知代が起きたのだ。今まで知代に希望を貰っていた子たちが、知代に恩返しをするためにこの駄菓子屋に来てくれたのかもしれない。
「……じゃあ、最初の一粒は誰のだったんだ?」
そう小さく呟いた晴良の言葉は、まるの声にかき消されて誰にも届かなかった。
晴良がこの店に来た時、まだ夕としか出会っていなかった時にすでにあった一粒の金平糖。その金平糖だけ、晴良は誰の成仏も見守っていなかったのに。
「なぁ、これ……ってまる! なにしてんだ!」
晴良が顔を上げた時、まるが棚の下に顔を突っ込んでいるのを見つけた。
金平糖の小瓶を近くにいた颯太に渡し、慌ててまるの体を抱き上げる。まるの口にはしなびた何かがくわえられていた。まるの体を下ろしてそれを受け取れば、四角く折られた折り紙だということが分かる。
「メンコ……?」
見慣れたその形の折り紙を裏返せば、そこには下手くそな字で『夕』と書かれていた。
「あぁ……ふふ、懐かしいねぇ」
「夕って、あの夕?」
「そうよ。夕くんが自分で作った自信作のメンコさ」
埃をかぶったメンコを撫でた知代は、優しい目で晴良を見上げた。
「晴くん、これからどうするんだい?」
晴良はメンコを眺めながら、うん、と頷いた。
「この店、まだ店員やっててもいい?」
何人もの幽霊と出会った。生きている子たちとも出会った。
子供たちは声も大きくて自由で疲れる。だが、それでも笑顔で帰っていくのを見ると、晴良まで嬉しくなったのを覚えている。
「ここに来る人を、陽だまりみたいな気持ちにさせたいんだ」
ずっと目標も何もなかった晴良が、初めて抱いた夢だった。
それを聞いた知代は、そうかい、と何度も頷いた。
「それじゃあ、智世にも話さないとね。ちゃんと後継者ができたって」
「後継者って……そんな大げさな……」
そう言いつつも、晴良は嬉しそうな笑みを浮かべていた。
空を覆っていた雲は切れ間をみせ、そこから日が差しこんでいる。静かではあるけれど、孤独のような寂しさは感じられなかった。
「最初の金平糖は、晴良さんのだったりね」
しゃがんでまると話す颯太の言葉は、帰ってきた智世の嬉しそうな声と晴良の反抗する声にかき消され、誰にも届くことはなかった。
満杯になった金平糖が、窓から差し込んだ陽に照らされてキラキラ輝いていた。
終

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