第二章

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 刀を抜いたままの誠の後ろを歩く史郎。  アヤカシの気配は微かに残っているらしく、誠は迷うことなく進んでいった。  階段を下った地下。絨毯も無いそこは、歩く二人の足音が響く。  その中に、ひたひたと裸足で歩く音も聞こえ始めた。  史郎が思わず後ろを振りむいても、そこには誰もいない。足音も止まった。誠の後を追って足を速めた史郎の後ろから、再度ひたひたと聞こえ始める。 「ま、誠さん……」  情けない声を出しながら、史郎は誠のマフラーを掴んだ。引き留める手段ではなく、心細くなってしまったから。  アヤカシがいる。確実に。なのに、誠は振り返ることなく進んでいく。  史郎が振り返れば、足音は止まる。史郎が前を向けば、足音と笑い声が聞こえ始める。  まるで、『だるまさんが転んだ』をしているようにさえ思わせた。 「ぅえぶッ」  突然誠が立ち止まったことによって、史郎はその背中にぶつかってしまう。  鼻をさすりながら誠の肩越しに顔をのぞかせれば、鉄の扉があるのが見えた。今までの部屋とは違う雰囲気に、史郎は息をのむ。  冷気が漏れ出てくるようなその鉄の扉に、誠が手を伸ばす。  その瞬間、誠の腕に何かが絡みついた。かと思えば、それは史郎にも伸びてきて、二人同時に部屋の中へと勢いよく引きずり込まれてしまう。  突然の力に対応できなかった史郎が地面に転がったと同時、鉄の扉が音を立てて閉じた。 「ま、誠さん!? いますか!?」  真っ暗で何も見えない。その場に誠がいるかもわからない。  だが、誠は何も答えてくれない。そんな気はしていたが、心細さに加えて恐怖がじわじわと史郎を侵食していく。視覚を奪われるだけで、こんなにも変わるのか。  ジワリと目に涙が浮かんだその時、ガキンと何かがぶつかる音が聞こえてきた。 「誠さん!? いますね!? もしかして斬ろうとしてます!?」  史郎の言葉に返事をするように、もう一度ガキンと音が聞こえてくる。  もしかしなくても、誠が振るった刀が地面にぶつかっているのだろうか。 「え、見えてるんですか!? そんなところも猫に似てるんですか!?」  まるでその言葉に反論するように、先ほどよりも激しい音が聞こえてくる。まるで会話するようなその音に、史郎は誠が出している音だと確信した。証拠はない。だが、きっとこれは誠だ。 「誠さん! 返事してくれるのはありがたいんですけど! アヤカシは斬っちゃだめですよ! 聞こえてますか! 誠さん? 誠さん!」 「うるさい」 「うわ吃驚した!」  突然後ろから声を掛けられ、史郎は文字通り飛び跳ねた。  どくどくと激しく音を立てる心臓を押さえながら、史郎は誠を掴んだ。 「今のは良くない! 良くないです! 心臓が!」  暗闇の中で見えないが、確実に今誠は無表情で史郎を見ているのだろう。  情けないと思うかもしれないが、驚いてしまうのは人間の性なので仕方がない。むしろ誠の動じなさが異常なのだ。史郎は悪くない。  そう心の中で唱えながら史郎が自分の心臓を落ち着かせていれば、ぽ、と明かりがついた。  カンテラのような淡い明かりは、二つ三つと円を描くように数を増やし、部屋の中を照らしてくれる。照らされたその部屋は、まるで独房のような場所だった。  そのところどころに、色んなものが転がっている。鞠や破れて綿が飛び出たぬいぐるみ、よれた本など。小さな子供が持っていそうなものばかりだった。  史郎がそれに気を取られていると、鞠が宙に浮かんでは勢いよく襲い掛かってくる。しゃがんで避けた史郎は、誠が刀を構えたのが見えた。 「誠さん! 待ってください!」  斬らせるわけにはいかない。まだ、アヤカシが何なのか見ていないのだ。  史郎は慌てて誠に掴みかかったが、史郎めがけて飛んできた鞠は斬り落とされてしまった。 「あの! 何処にいますか! 出てきてくれませんか!」  史郎が部屋いっぱいに響く声で叫べば、クスクス笑う声が聞こえてきた。それは反響して、どこにいるかを探すことは出来ない。  史郎が必死になって辺りを見渡せば、部屋の隅に置かれていたぬいぐるみが微かに動いた。 「いた!」  史郎が指させば。ぬいぐるみの陰から黒い影が顔を出す。それは史郎の腰元ほどしかなく随分小さい。  着物を着たおかっぱ頭の少女は、口元に手を当てて嬉しそうにはにかんでいた。 『みつかった、みつかった』  くすくすと笑う声に混じって、確かにそう聞こえた。その声に、史郎は一つの仮説が浮かんだ。ゆっくりとそのアヤカシに近付いて、膝をつく。 「もしかして、遊びたかった?」  史郎が尋ねれば、おかっぱ頭の少女はこくこくと頷いた。 『おにごっこ、かくれんぼ、だるまさんがころんだ!』  少女はそう叫んで飛び跳ねた。キャッキャと無邪気に跳ねる少女は随分楽しそう。  史郎はそんな少女に頬が緩むのを感じた。 「遊びたかったみたいですね。ほら、話しを聞いてみればアヤカシだって……」 『いっしょ、おまえも、いっしょ』  史郎の言葉を遮るようにして、少女は飛び跳ねながら誠の周りをぐるぐると走り回った。  無邪気な子供の行動に、誠は冷たい視線を投げつける。そんな誠を宥めようと史郎が立ち上がれば、少女はまたクスクスと笑いながら口を開いた。 『おまえもいっしょ、いみご、ここからでられない、いっしょ!』  無邪気な少女から聞こえてきた物騒な単語に、史郎は耳を疑った。だが、それと同時にガンッと鈍い音が部屋中に鳴り響いた。  誠が、少女に向かって勢いよく刀を振り降ろした音だった。だが、少女は軽々とよけキャッキャと声を上げていた。 『いっしょ、いっしょ! あそぼう! いっしょなら、ひとりぼっちじゃない!』  その少女の声に応えるように、周りにあった物たちが宙に浮かぶ。それは次々に史郎と誠に向かって飛んできた。それを何とか躱しながら、史郎は誠を見る。  今まで以上に鋭く、色のない目で少女を睨んでいた。 「ねぇ、君!」  史郎が話しかければ、少女はくるりと素直に振り返った。  物が飛んでくるのは変わらないその空間で、史郎は必死になって声を掛ける。 「どういうことなの? いみご? ここから出られない?」 『でられない! でられない! あそぼう!』  会話というよりは同じ言葉を繰り返す少女に、史郎はもしかしてとアヤカシを見つめた。  無邪気に見える少女の足首には、鎖のようなものが見えた。  その先がどこにあるかなんてわからないが、普通に生きていてそんなものはつけないだろう。  ここに、閉じ込められていたのかもしれない。『忌み子』として、ずっと。  そのまま命尽きてしまった少女は、ただ遊びたいという強い未練を抱いてアヤカシになった。  そして、『一緒』だと繰り返される誠は……。  史郎が誠に目を向けた瞬間、足を振り上げた誠が少女を地面に踏みつけた。それに合わせるように、飛び交っていた物が一斉に地面に落ちていく。  誠の足元でじたばたともがく少女に、誠は無常にも刀を構えた。 「誠さん! 待って!」  慌てて駆け寄った史郎が誠の腕を止めれば、温度のない目を向けられる。 「遊びたいだけなんです、この子は! 遊んで満足すれば、きっと!」  史郎が止めている間に、少女は誠の足元から抜け出した。それを見てほっとした史郎は、まっすぐ誠に向き合う。  もともと無表情だった顔に、一切の感情がない。冷たい印象がさらに強くなっていて、史郎は若干の恐怖を覚えた。それと同時に、どこか胸が締め付けられる感覚も覚える。 「アヤカシにだって事情があるんです。こうやって話を聞けば、穏便に……」  史郎がそう言った瞬間、後ろから大きな影かかかる。  振り返った先にあったのは、大きく口を開いた少女。おおよそ子供の口ではない。軽々と史郎も誠も一口で飲み込めてしまえそうな大きさに広がった口に、史郎は体が硬直した。  食われる、と本能で感じた。
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