第二章

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──食われる、と本能で感じた。  だが、史郎めがけて閉じかかった口が、真っ二つに斬り落とされる。 「話を聞けば、なに」  少女のものとは思えない悲鳴を上げて悶えるアヤカシに、史郎は恐る恐る誠を振り返った。  刀を横一文字に払った誠は、汚れを落とすように刀を払い、地面に転がる少女に近付く。コツ、とブーツの音を鳴らした誠に、少女は負けじと再び襲い掛かろうとする。だが、慈悲も何もない誠の刀によってその体は灰となってしまった。  少女の作り出したものだったのか、一緒に転がっていたものも消えていく。  残ったのは、ところどころはがれたコンクリートの壁と、そこにつながった鎖だけ。  ここで少女は監禁されていたのだろうか。容易に想像させる空間に史郎は何も言えなかった。  コツコツとブーツを鳴らして歩く音に顔を向ければ、誠は勢いよく扉を蹴り上げた。  バコンッと激しい音を立てて開く扉を気にすることなく、誠は部屋から出ていく。その音にビクリと肩を揺らすも、閉まりかけた扉に史郎は慌てて駆け出した。  部屋を出る際に見た鉄の扉は、誠が蹴り上げたであろう箇所がひどくへこんでいた。  応接間に戻ってきた史郎は、せわしなく視線を動かしていた。  ソファに座った月島と、入口付近に無表情で立つ誠。来た時と変わらない構図なのに、その空気感はすこぶる悪かった。要因は言うまでもなく誠だろう。  感情がそぎ落とされた人間だと思っていたが、今は非常に不機嫌だった。  怒っているのか、落ち込んでいるのかは定かではないが、確実に機嫌が悪い。十中八九、アヤカシが原因だ。 「随分疲れているようだね。紅茶をいれようか」  ソファから立ち上がった月島が、壁側にある机の上のポットを取り出してコップに注いだ。  部屋の中に、紅茶の良い香りが立ち込める。 「アヤカシの調査はやはり疲れるのかな。命が短くなる、とも言われるからね。酷なことをしたかな」 「え、そうなんですか……?」 「まぁ、迷信に近いけれど」  史郎が聞き返せば、月島は三つのカップが乗ったお盆を持ってソファへと戻ってきた。  ソファの前にそれぞれカップを置いた月島は、再びソファに座る。 「人ならざるものと接触するからね。生気を吸われると感じる人もいるのかもしれない。見たところ、誠君はこの仕事を始めて長いのでは?」  月島が自分の分のカップを手に取り傾ける。一口飲んだところで誠に視線を向けても、誠は一ミリも動かなかった。 「慣れてしまえば何も感じなくなるというが、積もった疲労は突然襲ってくる」  月島はカップを置いて立ち上がり、ゆっくりと誠に近付いた。それでも誠は動くことはなく、顔を上げることも無い。 「それとも、疲れではないのかな?」  誠の目の前で立ち止まった月島は、手を後ろに組んで誠を見下ろした。  優しい笑みを浮かべる月島は、それでも圧がある。軍の上に立つ者として当然のことだと思うが、そんな月島に近付かれてよく平気でいられるな、なんて関係ないことを頭の片隅で考えていた。 「もしかして、アヤカシに嫌なことでも言われた?」 「今回のアヤカシは子供。おそらくこの地に囚われたまま命を落とした人間の怨念から生まれたもの」  月島の言葉を遮るように、誠は淡々と報告した。顔を上げることも、月島を見ることも無い。  誠の報告に、月島は気分を害すことなくふむ、と顎に手を当てた。 「確かに昔、この地で監禁された少女がいたと聞いたことがあるな」  月島は顎に手を当てたままそう答えた。  思いだすように目を閉じる月島。 「そ、それって忌み子と何か関係がありますか?」 「忌み子……」  月島は目を開き史郎を見た。  監禁された少女があのアヤカシなのであれば、やはりずっとあそこにいたのかもしれない。 「あぁそうだ。昔、ここら辺一体は小さな村だったんだ」  月島は思い出したように話し出した。  明治よりも前。小さな村があったこの土地に、忌み子が生まれた。光に照らされれば黄色く光る目。黒目しか知らない村の人々は、突然変異として生まれてきたその少女に恐れをなした。さらに、少女が生まれた年から不思議な現象が起こり始める。  作物が一部だけ枯れたり、巨人の足跡の様に点々と地面がへこんでいたり、しまいには変な声が聞こえてきたり。  それを忌み子の少女のせいだとして、村の人々は少女を祠へと閉じ込めた。  彼女を贄として差し出すので、どうか。そんな意味のない祈りと共に。 「彼女はアヤカシが見えていたのだろう。作物が枯れたのも、足跡も、声も、全部アヤカシの仕業だ」 「その少女が生まれる前は、アヤカシは来なかったんですかね?」 「おそらくは。彼女はアヤカシに歓迎されていたのかもね」  月島はそこまでいうと、誠をみた。やはり一ミリも動いていない誠。  そんな誠に、月島は微笑んで肩にそっと触れた。 「依頼を受けてくれてありがとう。この感じだとアヤカシは……退治されたのかな」  答えない誠に肯定だと受け取った月島は、満足そうに手を離し後ろで組んだ。  あのアヤカシは本当に遊びたかっただけのかもしれない。何もわからないまま閉じ込められて、突然遊ぶことが出来なくなって、それでも遊びたいと思っていただけかもしれない。 「島村君はどこか不満そうだね」 「えっ」  突然話しかけられ、史郎は素っ頓狂な声を上げた。  なんでもお見通しだというような月島の目に見つめられ、史郎は誠を見て、そして気まずそうにうつむいた。 「なんか……切ないなって。あのアヤカシは遊びたかっただけなのに」 「だけ」  誠の声が聞こえ、史郎は顔を上げた。  ずっと動かなかった誠の目が、まっすぐ史郎を見つめている。 「あれが遊びたかっただけ。どこまでもおめでたいやつ。あのまま食われた方がよかったかもね」 「あ、あれは……」 「話を聞け話を聞けってさんざん言ってたけど、話を聞いた結果どうだった」  饒舌になった誠に、史郎は反論できなかった。ただじっと、誠を見つめることしか出来ない。  吊り上がっていた目が、さらに鋭くなっているよう。 「時間の無駄」 「そ、そんなことはないです!」 「何か変わったことでもあった」 「少なくとも、あのアヤカシがただの悪いやつではないってわかりました」 「……あんたは」  そこまで言って言葉を切った誠は、さらに鋭い目を史郎に向ける。 「あんたは、人の話を聞いてるふりをして聞いてない」  誠の言葉は、なぜか鋭い刃のように心に刺さった。  史郎は人の話を聞くことが大事だと思って生きてきた。思い込みはダメ。何かあっても、その人の話を聞かないと本当のことは分からない。何かすれ違っているかもしれない。勘違いがあるかもしれない。だから、ちゃんと聞かなくちゃ。  じゃないと、その人を傷つけてしまうから。 「自分の現実逃避のために他人を使ってるだけ」  初めてそう言われ、史郎はどう返していいか分からなかった。  誠はそれだけを言うと、くるりと背中を向けた。そのまま部屋を出ようとする誠に、ずっと黙って聞いていた月島が呼び止めた。 「依頼の報酬はどうしようか」 「……刀と服の黙認。それから今後の接触拒否権」 「前者は良いだろう。だが、後者は申し訳ないが聞けないな」  月島の言葉に、誠が微かに振り返った。 「もう一つ、依頼を受けてほしいんだ」
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