第三章

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 史郎は誠と共に賑わう街へとやってきた。  行きかう人々の間を通り抜ける路面電車。軽快な足音を立てる馬車に気をつけながら、史郎はとある店へと誠を案内した。  月島が今回のアヤカシは『猫』であると言った途端、誠は拒絶姿勢から一転、依頼を受けることを決めた。 「ここですね」  史郎が足を止めれば、誠も足を止める。  やってきたのは、何の変哲もない食堂だった。老夫婦が営んでいるこじんまりとしたお店。  入口で声を掛けてくれたお婆さんに月島の名前を出せば、すぐに中へといれてくれた。 「食べ物が炭になる?」  史郎が聞いた話を繰り返せば、話してくれた店主が頷いた。  なんでも、夜な夜な物音が聞こえて見にくれば、一部の食べ物が真っ黒い炭に変化しているのだという。  触れればボロボロと崩れてしまい、跡形も残らなくなるんだとか。  しかも、一回だけでなく何度も被害に遭っているらしい。 「物音が聞こえたら、すぐに様子を見に来るんですか?」 「そうだなぁ。鼠だったら早めに対策せないかんし、食料も安くないしな。出来るだけ早く見に来てるさ」 「誰がやってるか、見えたことは?」 「あぁ、オレは見たことねぇんだが……」  店主はそこで店内に出ているお婆さんを見た。  にこにこと客と話すお婆さんは、アヤカシが見えるという。 「一緒にいたアイツが、猫のようだったって」 「その猫はどんな姿だった」  ずっと黙って聞いていた誠が、一歩前に出て店主に尋ねた。  だが、店主はアヤカシが見えないらしく、詳しくは分からないという。 「黒猫さぁ」  接客がひと段落したのか、戻ってきたお婆さんがそう言った。にこにこと人好きのしそうな笑みを浮かべるお婆さんは、少し曲がった腰に手を当てながら目を細めた。 「大きかったから、大人の猫かねぇ。私たちに気が付くと、すぐに逃げてってしまったよ」 「襲ってきたりは?」 「ないよぉ」  史郎の言葉に答えてくれたお婆さんは、またお客に呼ばれ行ってしまう。  お婆さんの証言を聞いた誠は、何かを考え込むように足元を見ていた。 「なぁ、やっぱりこの世に物の怪は存在すんのかい?」  突然、店主はそんなことを聞いてきた。  どう答えていいかわからず、史郎は誠を見る。だが、誠は史郎に視線を向けてくれることはなかった。 「いますよ」  史郎が頷けば、店主はやっぱりそうなのか、と頭を掻く。  その顔は嫌そうではなく、どこか困ったようなものだった。 「あいつが嘘をつくだなんて思わなかったが、見えねぇとやっぱり疑っちまうもんだろ?」 「でも、お婆さんの話を否定しなかったんですね」 「そりゃそうさ。この世に俺の知らねぇことはごまんとある」  考えることも無く答えた店主に、史郎はどこか嬉しくなった。店主とお婆さんの間には固い信頼関係があるのかもしれない。自分の知らないことも、認識できないことも、ちゃんと受け入れようとしている。  母の言葉を思い出して、史郎は口角が上がっていくのを感じた。  それと同時に、視線を感じて史郎は後ろを振り返る。  足元を見て考え事をしていた誠が、いつの間にか史郎を見つめていた。  月島に教えてもらった被害に遭った店を回っていれば、日はすでに傾いてしまった。このままだと、史郎がアヤカシを呼び寄せてしまう確率は高くなる。どうしたものかと誠を見れば、誠はどこか鋭い目をして前を見ていた。  アヤカシが見える人の証言は、猫のアヤカシだと一致していた。そのたびに、誠は容姿の詳しい話を聞こうとする。いつもは話を聞こうとしない誠なのに、今回ばかりは自ら話を聞き出そうとしていた。  その目は鋭く、何人かの証人には怯えられるほど。 「誠さんは、猫のアヤカシに何かあるんですか?」  思えば、誠は『猫』という単語に大きく反応する。  最初の依頼の時も猫っぽいアヤカシだったと言われた途端に依頼を受けたし、猫っぽいと言われれば反応する。今回の依頼が顕著だ。  断固として拒絶していたのに、猫だとわかった途端動き始めた。そして猫に対する証言を詳しく聞き出そうとする。 「……猫のアヤカシを探してたりするんですか?」  史郎はそうとしか思えなかった。怪異探偵をしているのも、そう考えれば色々合致する。でも、誠はその言葉に答えることはなかった。  史郎は誠から空へと視線を移す。  もう暗くなり始めた空は、そろそろアヤカシの活動時間が近づいていることを知らせている。  今回の依頼のアヤカシは森に出るわけじゃない。室内とはいっても、どこの店に出るかはわからないので室内で待機することもできない。 「誠さん、一つ聞きたいんですけど、今回のアヤカシを見つけたらまず何をしますか?」  その言葉にも答えはしない誠に、史郎はきゅっと眉間にしわを寄せた。 「斬っちゃだめですよ。話を聞き出して下さいね」  ずっと無視を決め込んでいた誠が立ち止まった。しっかり反応出来た史郎も立ち止まり、誠を見る。 「あんたの記憶は一日しか持たないの」 「え?」  すっと向けられた目は、今までよりずっと鋭かった。前髪に隠れがちなその目に睨まれ、史郎はしり込みする。 「話を聞いて何か変わったの」 「それは……アヤカシの事情は分かったじゃないですか」 「事情が分かったからなに」  風が誠のマフラーを揺らした。少し冷たく感じるその風に、史郎は身震いする。自然に吹いた風なのに、なぜか誠の心情に反応して吹いているような気がしてしまった。 「それで事態が良くなったの。逆でしょ。話を聞いたところで、何も変わらない」  冷たい風に吹かれながら、誠は強く言いきった。  史郎はぎゅっと袴を握った。そのポケットの中にはちぎれたお守りが入っている。祖母がくれた、大事なもの。 「なんで……」  微かに震えてしまった史郎の言葉に、誠は背を向けることはしなかった。  鋭い視線のまま、それでも史郎をじっと見つめている。 「なんで誠さんは話を聞こうとしないんですか?」  尋ねられていることも、話していることも、誠は一向に受け取ろうとしない。分かりやすく無視を決め込んで、突っぱねる。 「まずは、聞くことから始めるべきなんじゃないんですか?」  確かに、聞いたところで変わらないこともあるかもしれない。でも、ほとんどの場合はそうじゃないのだ。  自分に事情があるように、相手にだって事情がある。その事情で、もしかしたら自分に被害が及ぶ可能性があるかもしれないが、それは聞いてみないとわからないことだ。  話を聞いてみれば、違う解決策が浮かぶ可能性だってあるのに。  史郎がそう言えば、誠は色も感情もない表情で史郎を見つめていた。  月島の別邸でも見た表情と同じ。 「聞いてもらえないのに、なんで聞かなきゃいけないの」  まるで子供のような声だった。  凛としているくせに、駄々をこねるような声。ちぐはぐな感じが否めない。反応に遅れた史郎に、誠は視線を逸らした。 「誠さん!」  歩き始めた誠の腕を、史郎は掴んだ。  別に史郎は記憶が一日しか持たない訳じゃない。誠から言われた言葉だって覚えている。  人の話を聞いてるふりをして聞いていない。  誠は史郎に対してそう言った。現実逃避に他人を使っているだけだと。 「誠さんこそ記憶一日しか持たないんですか!」  ぐっと力を入れれば、誠の鋭い視線が向けられた。骨に近いほど細い手首。こんな細い腕で刀を振り回しているのだと思うと、この世はやっぱり見ただけじゃわからないことも多いな、なんて大きなことを思う。 「俺言いましたよね? 誠さんは聞かな過ぎもありますけど、話さな過ぎだって」  誠はほとんど話さない。普通の会話も、自分自身のことも。  未だに史郎は誠のことをほとんど知らない。 「それなのに聞いてもらえないは違いませんか?」  誠は聞いてもらえないから自分も聞かないという。だけど、史郎は誠が聞いてほしいと話しているのを見たことがない。  過去に何かがあったのかも知れない。だけど、そこを基準にしてしまうのは少し寂しい気がする。 「俺は聞きますよ。聞きたいです」  だが史郎の腕は振り払われてしまった。睨んでいたはずの誠はすでに史郎に背中を向けていて、拒絶されたのだとわかる。  史郎はそんな誠に再度声を掛けることが憚られた。  向けられた背中が、どこか丸まっているような気がしたから。  史郎がどうしようかと考えあぐねていたその時、遠くの方で騒ぐ声が聞こえてきた。それと同時に、ガシャン、という音も聞こえてくる。  前にいた誠が走り出したのに続いて、史郎もついていった。
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