第三章

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 必死に追いかけても、誠についていくことは出来ない。誠を見失った史郎が音の出たほうを必死にたどっていると、目の前に大きな黒い影が降ってくる。  屋根から降りてきたであろうその影は、月明かりに照らされてその全貌がよく見えた。  史郎の二倍はある四足歩行の身体。史郎が見上げていれば、細い尻尾が揺れた。それと同時に、その影が史郎の方を向く。  猫だ。黒猫のアヤカシだ。  大きさは違えど、きっと今回の依頼のアヤカシだろう。  黒猫は史郎を確認したと同時に、その場から逃げ出そうとする。襲ってくる気配のない黒猫に、史郎は声を上げた。 「あの! あの!」  両手を上げて黒猫に声を掛ければ、黒猫はゆっくりと振り返った。  今ここに誠がいたら、この瞬間に斬りかかっているだろう。まためでたいと言われるかもしれない。だが、史郎は自分のスタイルを崩そうとは思わなかった。  ずっとそうしてきたのだ。傷つけたくないから。 「食堂に入ったりしてるのあなたですか!」  史郎の言葉に黒猫は警戒したように唸った。  それでも攻撃してくることはない。いや、もしかしたら攻撃する機会をうかがっているのかもしれない。 「なんで食べ物を炭にするんですか?」  攻撃性はないと知らせるように史郎は両手を上げたまま問いかける。  前傾姿勢で唸り続けていた黒猫は、史郎の攻撃性がないことが分かったのか、唸るのをやめた。  史郎はほっとしながらさらに言葉を続ける。 「何か事情があるんですよね? 何をしようとしてたんですか?」  黒猫が前傾姿勢さえも外そうとしたその時、耳をピクリと動かし飛び退く。それと同時、黒猫がいたところに降ってきたのは抜刀した誠だった。  ふわりと赤いマフラーが地面につきそうになった時、誠は素早い動きで黒猫にとびかかった。 「あー! ちょっと! 誠さん!」  せっかく話を聞いてくれそうだったのに!  そんな感情を込めて名前を呼べば、誠はぴたりと止まった。珍しい反応に史郎がお、と驚いていれば、誠は流すように史郎を見た。 「僕は誠じゃない」  それだけを言った誠は、逃げ出した黒猫を追うように走っていってしまった。  そんな誠に、史郎は目を見開いた後むっと表情を歪めた。  話せっていた。聞きたいって言った。でも。 「そうじゃないし今じゃない!」  それを言うくらいなら名前を教えてくれ!  史郎はそう叫びながら誠を追いかけに行った。  史郎がヘロヘロになりながらたどり着いたのは街から少しだけ離れた広場だった。  時々見える二人の影を追っていたはずなのに、そこには誰もいなかった。  建物も無ければ人の気配もない。空地のような、まだ発展していない土地。まるで喧騒から忘れ去られたようにポッカリと開いたそこは、何かの建物が崩れたような瓦礫があった。  息を整えようと膝に手を付いた史郎の元に黒い影が飛び込んでくる。さっきも見た光景だ。史郎が顔を上げれば、そこにいたのは黒猫だった。  暗闇に溶け込むような黒い毛並みに、黄金の目が光っている。大きさは普通の猫の姿。だが、それが先ほどのアヤカシだということは史郎にもわかった。四本の足から、微かに靄が見えたのだ。  襲ってくる気配のないその黒猫に、史郎は屈んで目線を合わせた。黒猫も、足をそろえて座っている。 『声は聞こえるのか?』 「わ、はい。聞こえてます」  突然流ちょうに話しかけられ、史郎は思わず背筋を伸ばす。そんな史郎に、黒猫は目を細めた。 『随分変わった匂いをしておるな』 「え、やっぱり臭いですか……?」  誠に言われたこともあり、史郎はショックを受けたように自分を嗅いだ。だがどれだけ嗅いでも匂いが分からない。それでも二人に言われてしまうとなればやっぱり臭いだろうか。  そんな史郎を気遣うことも無く、黒猫は座ったまま史郎を見上げていた。 『普通の猫でないことなど、わかっておるのだろう?』 「アヤカシですよね。分かってます」 『なぜ普通に話しかけてくる? 襲われたことも多々あるだろうに』 「俺はアヤカシにだって事情があると思ってます。それを話し合えば、解決するとも」 『なるほど。お人好しというやつか』  普通に会話ができていることに、史郎は喜びを感じながらその場に正座した。  ゆらゆらと尻尾を揺らす黒猫は、話し方も相まってお偉いさんと話している気分にさせる。 『あの刀を持った人間とは仲間なのか?』 「仲間……どうなんでしょうね、俺もあいまいで……」  そこまで答えた史郎はきょろきょろと辺りを見渡した。  やはり誰もいない。今ここにいるのは、史郎と、この黒猫のみ。耳を澄ましても、時折吹く風の音しか聞こえなかった。 「あの、その誠さんは……?」 『おそらく迷子になっておる』 「迷子!? なんで!?」 『しつこいので入り組んでいる路地で撒いてやった』  普通の道でもたまに迷う誠は、確かに路地裏では迷子になりそう。  おそらく方向音痴というやつだ。  アヤカシの気配を辿れるとはいえ、路地でやられてしまえば方向は分かってもそこにたどり着けないだろう。抜け出せなくなってしまっているかもしれない。  史郎が心配でそわそわしていれば、目の前の黒猫がフッと笑った。 『まぁ、あの身体能力があれば屋根伝いに戻ってきそうだがな。わずかな時間稼ぎだ』  黒猫のアヤカシに信頼を寄せられる誠の身体能力って何だろう。史郎はそう思いつつも、今までの誠の動きを思い出して納得した。  木の上を飛び移ったり、異様に足が早かったりと、ずば抜けた身体能力を何度もこの目で見ている。 「あの、どうして食べ物を炭にしたりしたんですか?」  誠が戻ってくる前に、史郎はそれを尋ねた。  きっと誠はすぐに斬りかかる。その前に、ちゃんと事情を知っておきたかった。こんなにしっかりと話せるアヤカシなんだから。 『炭になるのは体質上しかたがあるまい』 「食べ物をダメにするため、じゃないんですね?」 『その逆だ。むしろ、食料を欲していた』  黒猫はそう答えた途端、すぐに飛び退いた。史郎が振り返ろうとしたその時、視界に赤色が飛び込んでくる。  それは、幾度となく見た誠のマフラーだ。  迷子から脱出した誠は、変わることなく黒猫に刀を向けていた。 「誠さん!」  史郎はその誠の背中にとびかかり、地面へと押し倒した。その拍子に制帽が取れ猫ッ毛が月明かりに照らされるが、刀が離されることはない。  腕ではすぐに抜け出されてしまうが、身体全体を使えばそうやすやすと抜けられまい。史郎自身平均的な体格ではあれど、相手である誠は平均よりも幾分細い。 「話を! 聞くことを! 覚えてください!」 「うるさい」  やはり体全体で押さえ込まれてしまえば、誠も自由には動けないらしい。微かに身じろいでいた誠が抵抗をやめて、大人しく史郎の下にいた。  斬りかかれることはないと判断したのか、優雅に歩いてきた黒猫が二人の前に座る。 『いい格好だな。人間』 「ちょ、煽らないでくださいよ!」  黒猫の言葉に、誠が抜け出そうと力を入れたのが感じ取れ、史郎は慌てて押さえ込んだ。そんなことも我関せず、黒猫は落ちた誠の制帽をちょいちょいと前足で触れる。 『まるで正反対な二人だな。中間がほしいところだ』  黒猫はそう言って器用に制帽を飛ばし、ぽす、と自分の頭に乗せた。  明らかサイズが合っていないその制帽もなんのその、黒猫は満足そうに誠を見下ろした。 『ところで人間。我を見た瞬間自我を失っていたことに気が付いていたか?』  黒猫の証言に、史郎も誠を見た。  黒猫と誠の対面を、史郎は見ていない。現場に向かっている最中に黒猫はすでに誠に追われているところだったから。  答えない誠に、黒猫は腰を上げ歩み寄った。 『ほかの誰かと、見間違えでもしたのか?』  その言葉に反応するように、ぶわりと空気が揺れる。思わず息をのんだ史郎は、誠から目を離せないでいた。  頭頂部しか見えない誠は、間違いなく黒猫を睨んでいる。 『言葉なくとも素直だな。だが、完全に猫違いだ。他をあたってくれ』  頭を振るって制帽を誠の頭の上に乗せた黒猫は、そのまま前足を誠の頭に乗せた。  まるで頭を撫でるように見えるその仕草。口調は煽るようなのに、どこか優しさがにじみ出ている。 『もう斬りかかられるのは勘弁願いたい。まぁ、こちらも食料を炭にしてしまう回数を減らす努力はしよう』 「あ、そうだ。食料が必要って言ってたんですけど、お腹が空いてたからなんですか?」 『その言い方は少々癪に障るな』  黒猫は少しだけ考えた後、その体を震わせた。  ブワッと風が吹いたかと思えば、黒猫の姿は初めて出会った時と同じようなサイズになっていた。  史郎が呆気にとられながらその姿を見ていると、着物の襟足をパクリとくわえられる。その瞬間、感じたことも無い浮遊感を感じた。 「え! え!?」 『喋ると舌を噛むぞ』  そういうや否や、黒猫はそのまま勢いよく走り出した。運ばれている、まるで子猫を運ぶかのように。  史郎は自分の手で口を押えた。 『やはり、あやつは早いな』  走りながらそう零す黒猫に、史郎は口をふさいだまま後ろを窺った。そこには、刀を持ったまま追いかけてくる誠の姿。  運ばれてスピードを実感している史郎は、誠の身体能力の異常さを再確認した。  絶対馬車に乗るよりも早い。
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