第三章

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「ぅえっ」  ドシャリと乱暴に落とされた史郎は、顔面から地面と対面する。何とか起き上がれば、そこは先ほどいた場所よりもずっと木々に覆われた場所だった。森と言うには木はなく、でも空き地というには茂った場所。史郎の目の前には、朽ちかけた建物があった。 「ここは……?」 『それよりも先にあの人間をどうにかしてくれ』  普通の猫のサイズに戻った黒猫は、史郎の足元に身を隠した。  振り向いた先にいたのは、刀を振り上げた誠の姿。 「おわー!」  咄嗟に足元にいた黒猫を抱え避ける史郎。腕の中で黒猫がおお、と感嘆の声を上げた。 「誠さんは俺ごと斬ることに躊躇ないんです!」 『なんだ。役に立たんな』 「無慈悲!」  叫びながらも誠の刀を避ける史郎の腕から、黒猫が飛び降りた。史郎から離れれば、誠の攻撃対象は黒猫一匹に絞られた。 『刀を振るうことしか能がないのか』  煽られながらも無表情に刀を振るっていた誠は、ピタリと動きを止めた。かと思えば、その視線を近くの朽ちた建物に向けた。  ほとんど瓦礫と化した建物。その場所に足を向けた誠を、今度は体を大きく変化させた黒猫が攻撃する番だった。  攻撃と言っても、誠の道を塞ぐような簡易なもの。  その黒猫の気配を感じ取ったのか、建物の中から小さな影が黒猫めがけて飛び出してくる。  史郎が目を凝らしてみてみれば、それは小さな黒猫だった。 「子猫……?」  史郎が呟けば、黒猫はその子猫を自分の陰に隠した。 「誠さんまって! 黒猫は事情を話してくれようとしてるんです!」  史郎は誠にとびかかった。だが、同じ手は通用しないらしく、誠は飛ぶように後ろに下がった。刀はその手に持っているものの、斬りかかろうとはしない。その視線が、黒猫の足元に隠れる子猫に注がれているだけだった。 『お人好しというのは便利だな。話が早くて助かる』  黒猫は体をかがめ、その子猫に頭を擦り付けた。喜んでいるのか、子猫も短い前足を上げて黒猫の顔に触れる。 「もしかして、その子猫のために食料を?」  史郎が尋ねれば、黒猫は顔を上げて頷いた。 『この子はまだ変化が出来ない。自分で生きていくには弱い子だ』 「子猫ですもんね」 『人間の世界と我らとでは年月が違う。この子はこの見た目だが五十年は生きているぞ』 「すごい年上……」 『だが、この子は話せもしなければ戦うことすらできない。人間界の子猫と同じようなものだ』  黒猫は呆れたように、でも慈しみの目で子猫を見た。無邪気に黒猫と戯れようとする子猫。確かに、見た目だけだと完全にただの子猫だ。 「でも、その子のために食料を取っていたんですね」 『最初は森の中だけで済んでいたのだか……近頃なかなか獲物がいなくてな。騒ぎを起こすのは不本意だったが、この子を守るにはそれしかなかった』  前足で子猫を転がした黒猫は、そのまま制帽の様にぐりぐりと弄ぶ。痛くないのかと心配になりながら見ていたが、子猫は何の問題もなさそうに楽しそうだった。 『出来損ないな子だが、この子は守ってやらなければいけない。いずれ、強い子になるかもしれんしな』  優しい声でそういう黒猫に、史郎は酷く懐かしい気持ちになった。  史郎の母と祖母を思い出す。二人とも、史郎に対して優しく愛情をもって接してくれていた。アヤカシに虐められて泣いていた時も、村になじめず落ち込んでいた時も、「大丈夫」と常に励ましてくれていた。  怒られる時も多々あったが、それでも二人は史郎を見守ってくれていたのだ。  親子の愛情は、アヤカシの世界でも変わらないんだと、史郎は嬉しくなった。 「どうせ、あんたも捨てる」  ずっと黙っていた誠が小さく声を出した。ずっと子猫を見つめていた誠は、刀を持ったまま動かない。どこか様子がおかしい誠に、史郎は名前を呼んだ。だが、誠が史郎を見ることはなかった。 「今は守るべき対象でも、どうせ、捨てる日が来る」  誠の目はどこか寂しそうだった。そして、憎悪も感じ取れた。  黒猫は誠を見て転がしていた子猫を見る。この雰囲気を何も感じ取っていないのか、子猫は遊ぶことに必死だった。そんな子猫を前足で遊んだまま、黒猫は再び誠に視線を向けた。 『親はどうあっても、子を守る本能がある』 「そいつは、アンタの子供なの」 『いいや。違う』  かぶりを振った黒猫に、史郎は顔を上げた。  ずっと本当の親子だと思っていた。だが違うらしい。 『森に落ちていたのを拾ってきた』 「そんなものみたいな……」 『最初はそうだった。暇つぶしのために、この子を育てようと思った』  猫らしい解答に、史郎は瞬きを繰り返した。  さっきまでの雰囲気は、決して暇つぶしのようには聞こえなかったから。そんな史郎に、黒猫は鼻で笑った。 『だが、どうしても情というものは沸いてしまう。本当の子ではなくとも、な』  黒猫はそう言って誠を見た。 『斬るなら斬ればいい。命をもってこの子を守ろう』  その言葉に、誠の持っていた刀がカチャリと音を立てた。反射的に構えようとしたのかもしれない。だけど、誠は動かなかった。  そんな誠に、黒猫の前足で遊んでいた子猫が近づいた。  不思議そうに刀を見つめ、匂いを嗅ぐ。そんな近付いたら怪我してしまう、と史郎が動こうとすれば、刀がすっと子猫から離れる。  それでも近付く子猫に、誠は戸惑いがちに後ずさり刀を離した。  見たことも無い誠の様子に、史郎は目を見開く。だが、黒猫は満足そうに自分の姿を普通のサイズに戻した。 『同じ匂いを感じたんだろうな』  未だに誠から離れない子猫に、黒猫はそう呟いた。  今までさんざん斬ろうとしていた誠は、ただ子猫を見るだけ。受け入れることも、拒むこともしない。そんな誠の足に、子猫は頭を擦り付けた。 「……捨てられるまでは、そうしてれば」  誠はそう言って刀を鞘に戻した。うつむいた誠の表情は制帽に隠れて見えない。だが、その声が弱弱しいことに、史郎は気が付いていた。  不貞腐れたような、おざなりなような言い方。それでも、アヤカシを斬らないことは進歩だ。  子猫は言葉が分かっていないのか、誠の足元でくるくる回って遊んでいる。かと思えば、地面に付きそうなマフラーの裾にちょいちょいと手を伸ばしていた。  この子猫の無邪気さに、毒気を抜かれたのかもしれない。 「一件落着って感じですね」  史郎は子猫の微笑ましさに思わず笑った。
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