第四章

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第四章

 史郎がお世話になっている下宿先の部屋。決して広いとは言えないその部屋で、史郎はどうしていいか分からなかった。  部屋の中央に敷かれた布団に寝ているのは、誠だ。  どんな時でも動かなかった表情は苦しそうに歪められており、額には汗がにじんでいる。時折魘される誠に、史郎は傍から離れられなかったし、離れる気にもなれなかった。 「お邪魔するよ」  ノックと共に声が飛んでくる。  振り返ったそこにいたのは、月島だった。仕事中だったのか軍服に身を包んで腰に帯刀したままの月島は、史郎の後ろにいる誠を見た。 「ずっと目を覚まさないのか?」 「はい……」  子猫を庇って倒れた誠。もう一日経っているが、起きる気配はなかった。  月島は腰の刀を抜いて、誠の頭元にやってきてはその場に座った。史郎も、再び誠に視線を移す。  軍服では寝苦しいだろうと、今は史郎の着物を身に着けている。そんな誠に、月島がおもむろに手を伸ばした。 「え、ちょ……!」  ぐったりと眠っている誠の布団を剥いだ月島は、そのまま誠の身体を抱き起した。そして、ぐっと着物の襟足を引っ張る。  突然の月島の行動に驚いていた史郎は、違う意味で目を見開いた。  細すぎる誠の身体には、ところどころ傷がついていた。それは、着替えさせたときに見たから知っている。だが、誠の首元に、見たことのない痣が浮かんでいた。  歯形を思わせる楕円を描いた点線。それが、鈍く紫色に光っている。 「それ……」 「やはりな」  月島はその痣を確認した後、着物を整える。そのままぐったりとしたままの誠を抱いたまま、しばらく考えるそぶりを見せた。 「月島さん……?」 「最近、この症例が増えているんだ」 「え?」  月島曰く、最近眠ったまま起きない人が多発しているらしい。その人たちは皆、苦しそうに魘されているのだとか。原因不明の症状に陥った人たちは、皆一様に痣が浮かんでいるのだという。 「この痣はいつ?」 「昨日着替えさせたときにはなかったです……」  場所といい、不思議な発光といい、十中八九アヤカシの仕業で間違いないだろう。昨日襲い掛かってきたアヤカシ。子猫を守るように攻撃を受けた誠は、それから目を覚まさなくなった。  誠をここまで運んできてくれた黒猫は、アヤカシの正体を探ることを約束してくれた。それまでは、誠の傍にいてやって欲しいと。 「あの、この症例が多発しているって……その人たちはまだ眠ったままなんですか……?」  目が覚めた人がいるのなら、解決方法があるかもしれない。  史郎がそんな期待を込めて尋ねれば、月島は真剣な顔つきになった。ゆっくりと誠を布団に戻し、掛布団をかけなおす。 「……全員、誰一人例外なく亡くなっている」 「え……?」  誠を見下ろすようにしていた月島は、小さくそう答えた。  亡くなっている。全員が。 「目を覚まさず魘され続け、四日後、自ら首を絞めて死ぬ。そう報告が上がっている」 「そんな……」  史郎は誠を見た。相も変わらず苦しそうに顔を歪めている。  まさか、こんな形で誠の無以外の表情を見るなんて思わなかった。  何か出来ることはないのだろうか。誠がこうなってから一日は経ってしまっている。残された時間は、あと三日。  史郎が誠を見つめたまま考えていると、月島が立ち上がった。 「月島さん?」  傍に置いてあった刀を腰に差した月島は、制帽を整え誠を見下ろした。 「私の方でも色々調べてみよう」 「あ、……ありがとうございます……」  頭を下げた史郎の視線の先で、月島の足が扉の方に向かっていくのが見えた。  月島がここにいたって、何も解決しないことなどわかってる。でも、少し寂しいような気がした。  誠がこんなにも苦しんでいるのに、こんなにも早く帰っていってしまうのだ。 「あ、そうだ島村君」  うつむくように誠を見つめていた史郎は、名前を呼ばれ顔を上げた。  その眼前に、一つのお守りが現れる。 「まだ詳しくは分かったわけではないが、お守りの代わりにはなるだろう」  史郎が持っていたお守りとは違う、丸い形をしたものだった。  お守りの代わりということは、アヤカシを引き付けなくなるという事だろうか。お守りを受け取った史郎は、勢いよく月島を見上げた。 「ありがとうございます……!」 「今はこれくらいしか出来ないが……悪いね」 「い、いえ……!」  制帽に触れ微かに頭を下げた月島に、史郎は額が畳につくほど頭を下げた。  その後、ぱたんと扉が閉められる音が聞こえてくる。  史郎は顔を上げ、手元にあるお守りを見た。丸いそのお守りは、どこか温もりを感じる気がした。直接的な感じではなく、感覚的な感じだが。  お守りがあるという安心感が、そうさせているのかもしれない。  史郎はそのお守りをポケットにしまい、誠に向き合った。  どんなに資料を読んでも、誠に掛けられたアヤカシの術は分からなかった。  アヤカシを追ってくれている黒猫も、未だに正体はつかめないという。時折訪れては、誠の額に前足を置く。心配の色が浮かぶその黒猫は、まるで親のようだった。子猫に至っては、誠の身体の上で寝ようとしていた。  史郎は常に真の傍にいた。苦しそうな誠を一人にしていられない。  それに、自らの首を絞めて死んでいくと聞いたら、一人にする気なんて起きなかった。もし一人にしてしまって、その時に誠が自分の首を絞めようとしたら。そう考えたら、どこに行く気も起きなかった。  だが、誠が眠ってからもう三日。残された時間は、もう二十四時間も無い。  史郎は誠の汗を拭って扉を見た。  最初に来て以来、月島が姿を現すことはなかった。  情報収集に苦戦しているのかもしれない。それとも、月島自身にも何かあったのだろうか……。そんな心配が常に渦巻いていた。  こぼれそうになるため息を飲み込んで、史郎は桶に入った水を変えようと立ち上がった。  時刻が深夜を回ったその時、史郎は不穏な気配を感じ取った。魘され続ける誠の傍に座っていた史郎は、顔を上げ辺りを見渡す。  さわさわと、風の中を進むような気配。本能的に嫌だと思うようなその気配は、史郎の心拍数を上げていく。  アヤカシが近くにいるのかもしれない。史郎は月島にもらったお守りを取り出し、ぎゅっと握った。  その時、目の前にいた誠が動いた。 「! 誠さん!」  正しくは、誠の腕が。  魘されながら苦しむ誠は、自らの手を首元へと持っていった。慌てて止めた史郎は、顔を顰めた。  眠っているとは思えない程強い力。折れてしまいそうな誠の腕を、史郎は布団に押さえつける。だが、それでも誠は自分の首を絞めようともがき続けた。 「誠さん! 誠さん!」  今までの比じゃないくらい、誠は苦しんでいた。  眉を下げ、はくはくと口を開けている。必死に酸素を求めようとしているかのように見える誠が、もがきながら体を動かす。史郎も必死になって押さえ込む。  そんな攻防戦を繰り広げていた史郎は、誠の首元にある痣の光が強くなっていることに気が付いた。  鈍く光るだけだったその痣が、主張するように光を放っている。  もしかしたら、ここが痛むのかもしれない。 「誠さん……! 誠さん……っ」  泣きそうになりながら、史郎は誠を抱きしめた。  痛いのかな、苦しいのかな、だから、首を絞めようとしてるのかな。  でも、そんなことをしたら死んでしまう。だから、やめてほしい。  史郎はそんな願いを込めて誠の首元に触れた。  瞬間、意識が勢いよく引っ張られる感覚に陥った。
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