第四章

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 史郎は岩に座る誠の傍にただ立つことしか出来なかった。  遠くから聞こえていたざわめきはなくなり、ただただ静かな時間だけが流れていく。 「……さっき、悪夢って言いましたよね」  小さくても、史郎の声は響いた。  誠は動かない。座ったまま、頭を下げている誠の表情を知ることは出来ない。だが、史郎は話を続けた。 「ここは、誠さんの夢の中なんですか?」 「……逆に、あんたはこの光景に見覚えあるの」 「ないですけど……」  史郎は眉を下げた。  項垂れたままの誠は、どこか弱弱しい。いつも伸びている背中も、今この時だけは丸まっていた。 「……誠さんは、あるんですか?」  史郎がそう尋ねた時、がさがさと物音が聞こえてきた。アヤカシか、と身構えた史郎の横で、誠が勢いよく立ち上がる。  赤いマフラーが揺れ、重力に従ったその時、一人の少年が転がるように飛び出してきた。  さっきの少年だ。女性になじられ、泣きそうな顔で逃げだした少年。  史郎の腰下までしかないその少年の身体は、ひどくボロボロだった。  その少年が立ち上がったその時、史郎はひゅっと息をのんだ。  色素の薄い猫ッ毛に、吊り上がった目。まだ齢一桁ほどのその少年の顔に、ひどく既視感があった。 「(さく)! 出てきなさい!」  男の声が聞こえ、少年はビクリと肩を揺らした。だが、もう動ける気力はないのか、ただ震えて声の聞こえてきた方を見るだけ。  そんな少年・朔が見ていた方から、男女が現れた。 「全く、手間をかけさせやがって……」 「ちがう、ぼくじゃない、ねぇ、ぼくじゃないってば……」  朔は自分の身を守るように両手を胸元でぎゅっと握りしめた。だが、やってきた男は朔に歩み寄ったかと思えば、勢いよく殴りつけた。  朔の小さな体が、激しく地面にぶつかる。 「嘘をつくなと何度言えばわかるんだ。お前がやったんだろう」 「ち、が……」 「なんでまだ認めないんだ!」  男は朔の頭を踏みつけた。苦しそうに呻く朔を見下ろす男は、何度もその頭を踏みつける。一緒にいた女性は、ただ見ているだけだった。 「ちょっと……!」  反射的に動いた史郎の服が掴まれる。 「言ったでしょ。僕らは認識されない」 「でも!」 「無駄。行ったところで、なにもできない」  そう言った誠の顔は制帽に隠されて見えない。だけど、その声は確実に震えていた。  史郎の服を掴むその手も、震えているのが分かる。 「ぼ、くじゃない……きいて、はなしを、……ッ」 「お前のせいだ! お前の、お前のせいでめちゃくちゃだ!」  ダンッと勢いよく踏みつけた男性は、しゃがみ込んで朔と目を合わせる。その行為に、朔は必死になって目を開けようとしていた。ボロボロと涙を流しながら、朔は必死に訴えかける。 「おと……さん、ぼく、ぼくじゃない……」  だが朔の必死な訴えにも、男は聞く耳を持たなかった。髪の毛を鷲掴み、顔を上げさせたかと思えば殴りつける。  史郎はその光景を見て、ブツンと何かが切れるような音を聞いた気がした。  目の前が真っ赤になる。 「おか、あさ……」 「呼ばないで」  必死に伸ばした朔の手が、女性によって拒絶されていく。それどころか、その手が男の足によって踏みつけられた。  ふつふつと腹の底から何かが沸き上がってくる。  怒りだ。これは、怒りだとわかる。  明らかに、史郎は目の前の男女に怒りを感じている。それも、相当な。  朔は男を「お父さん」と呼び、女を「お母さん」と呼んだ。そして「ちがう」と、「きいて」と何度も訴えた。なのに、それを拒絶しあまつさえ暴行を加えている。  未だ止むことのない目の前の行為に、史郎は殴り掛かりそうになった。  話を聞けって。朔にだって、事情があるんだろ。  だが史郎は動けなかった。  何も言わない誠が、強い力で引き留めるから。 「お前が物の怪を呼んだせいだ! お前がいなければ良かったんだ!」 「お前なんて、産まなきゃよかった」  その言葉はナイフとなって朔に突き刺さる。さんざん暴行を加えられた朔はぐったりとし、もう言葉を発することも無い。  そんな朔をみた男女は、侮蔑の目を向け、やがて去っていった。  足音が遠くなり聞こえなくなれば、誠の拘束が緩む。 「朔くん!」  史郎は誠の拘束を抜け、ぐったりと倒れる朔に駆け寄った。  鼻からも口からも頭からも血を流している。きっと体中痛いに違いない。  史郎は朔の身体をゆっくり抱き抱え、着物の袖で血を拭ってやった。痛みからか瞼が震えるも、その目が開くことはなかった。 「ねぇ、なにがあったの? 俺いっぱい聞くよ、話したかったよね」  史郎は朔に何度もそう話しかけた。  殴られたであろう腕をそっと抱え、踏みつけられていた頭から優しく土を払ってやる。  痛かったよね、苦しかったよね。何度もそう声を掛けていれば、朔の身体がふるりと震えた。 「朔く……」 「なんで」  その目が開いたかと思えば、朔の視線がぐるりと史郎の後ろに向けられる。 「なんで、たすけてくれないの」  朔の小さな体が、史郎の腕から抜け出る。怪我をしているはずなのに、その動きは俊敏だった。史郎が止めるよりも前に、朔は誠に襲い掛かる。  そのまま、朔は誠を押し倒しその首を絞めた。 「なんで、なんで? なんでたすけてくれなかったの」 「ぅッ……」 「誠さん!」  史郎が駆け寄ろうとしたその時、朔を中心に強く風が吹く。弾き飛ばされた史郎は、そのまま背中から木に激突してしまった。肺から押し出されるような酸素にせき込み、苦しくなる。涙で滲んだ視界の先では、朔に首を絞められ苦しそうにしている誠が映る。  あの表情は、眠っていた時の誠と同じ。  もしかしたら、現実世界で今、誠は自分の首を絞めているのかもしれない。 「まって!」  史郎は痛む身体を無視して誠に駆け寄った。だが、それもまた弾き飛ばされてしまいまた木と激突する。  認識されないと言っていたのに、朔は誠を掴んでる。その誠も、朔の手を掴んでいた。思えば先ほども、史郎はしっかりと朔を抱いていた。  近くにいた男女は史郎たちのことを見えていないようだったことも踏まえて、誠が言っていたことは間違いではないのだろう。  この違いは、一体なんなのか。 「なんで、なんで? 見てたじゃん、どうして」  子どもとは思えない程の強い力で首を絞めているのか、誠の呼吸がどんどん浅くなっていく。このままじゃ……、このままじゃ、誠が死んでしまう。 「なんで、たすけてよ、なんではなしきいてくれなかったの」 「……ッたら、……」  木にもたれかかって動けなかった史郎の耳に、微かに誠の声が聞こえてくる。  何かを伝えようとしている。  史郎は痛む背中を無視して立ち上がった。 「きいてよ、ねぇ、ぼくは、ぼくは……!」 「朔くん!」  立ち上がることもやっとな史郎が名前を叫んでも、朔は見ようともしない。ずっと誠の首を絞めている。誠しか見えていないのか、それとも、無視をしているのか。それは定かではなかった。  史郎はふらつく足で一生懸命朔の元へと歩み寄った。 「ねぇ、誠さんが話してるよ、話そうとしてる、聞いてあげてよ」 「だって、ぼくはちがう、ぼくは、きいてよ!」 「うん、聞く、君の話も聞くから」  朔は誠から手を離した。突然入ってきた空気に驚いたのか、誠がせき込む。慌てて駆け寄った史郎は、朔が一点を見つめていることに気がついた。 「朔く……」 「ぁ、くる……」  怯えたような眼差しで見つめた先からは、何やらオレンジ色が近づいてきていた。それは一つではなく、足音も複数響かせている。  人が来る。  朔は怯えたようにその場から逃げ去った。朔の背中が見えなくなると同時に、なぜかそのオレンジ色も消えてなくなる。足音さえも聞こえなくなった。 「誠さん大丈夫ですか?」  呆気に取られていた史郎だったが、誠の苦しそうな咳で我に返った。  地面に伏せたままだった誠が、ヒューヒュー喉を鳴らし、上を見上げている。その目は、どこか虚ろだった。 「誠さん……?」 「助けてなんて、愚かなんだ」  起き上がろうとしない誠の首元には、手の痕がくっきりと残っていた。赤いマフラーで隠れるとはいえ、痛々しい。乱れたマフラーを直すこともしないまま、誠は口を開く。 「聞いてもらえないって分かったなら、すぐ逃げればよかったのに」  史郎は何も言わず、その傍で膝をつく。誠は上を見上げたまま動かなかった。 「そしたら、あんなに痛くも苦しくもなかった」 「でも、誠さんは聞いてほしかったんですよね」  史郎の言葉に、誠は口を開きかけて、そして閉じた。  虚ろな目は揺らいでる。もしかしたら、泣きたいのかもしれない。 「朔くんって、誠さんですよね」  ここがもし本当に誠の夢の中だとすれば。これは誠の過去の映像なのかもしれない。  本当に起こった、昔の記憶。  何らかの理由で誠の住んでいた村にアヤカシが襲ってきて、それを誠のせいにされた。違うと言っても聞いてもらえなくて、実の両親にさえ突き放されてしまった。 「何があったんですか?」  出来るだけ優しく問いかければ、誠の目は微かに揺らいだ。しばらく黙り込んだ後、言いたくないと思ったのか誠は起き上がろうとした。その誠の肩を押さえつける。 「言うまで行かせませんよ」  史郎は強気な声でそう言った。逃がさないと伝えるように、しっかりと誠を見つめる。揺らいでいた目をしていた誠は、しばらく史郎を見つめた後、諦めたように目を閉じた。 「聞いて何になるの。起こったことは変わらない」 「真実が知れます」  史郎はそれが一番だと思っていた。  確かに、もう起きてしまったことは変わらないかもしれない。だけど、誰か一人でもいいから本当のことを知っている人がいたらいいと思う。  本当は違った。本当はこういう事だった。本当はこうしたかった。  その感情を吐露するだけでも、心が軽くなるような気がするから。 「誠さんの本当のことを、俺は聞きたいです」  目を閉じていた誠が、ゆっくりとその目を開く。吊り上がった目は、もう不安な揺れなどなかった。いつも通りの、鋭い目。  何か怒らせてしまっただろうか。少しだけビクビクしながら誠を見つめていれば、誠は史郎の手に触れた。かと思えば、勢いよくその手を引かれ逆に地面に沈められてしまう。 「痛い!」  思わず叫んだ史郎を見下ろした誠は、乱れた衣服を整えた。そして、くっきり手痕が付いている首元を隠すように、マフラーを巻きなおす。 「俺今ちょっとかっこいいところだったじゃないですか!」  史郎が駄々を捏ねるようにじたばたと足を動かせば、衣服を整え終えた誠がどこかに向かって歩き始めた。  史郎が慌てて体を起こせば、誠は一度止まって振り返り、再度足を進める。まるでついて来いとでもいうような誠の仕草に、史郎は黙ってついていった。
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