第四章

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 史郎が真っ赤な目のまま、制帽をもって誠の元に近付く。すでに朔の姿はなく、誠はただ一人で天井を見上げていた。 「……なんで僕より泣いてるの」 「だって……」  誠の目に涙はなかった。  鼻をぐずぐず鳴らしながら誠に近付いた史郎は、その傍に腰を下ろして正座をした。 「なんかいろいろ想像しちゃって……」 「難儀な性格」 「優しいって言ってください……」  何度か鼻を啜り、袖でごしごしと顔を拭った史郎はふと誠の表情が暗いことに気が付いた。  何かを思い出しているような、そんな表情。  いろんな過去を思い出してしまっているのかもしれない。泣いていないけど、心は相当疲れている。史郎がなんて声を掛けていいか迷っていると、誠が体を起こした。 「誠さん?」 「帰り方が分からない」 「え? あ……」  そうだ。首を絞める原因は分かった。きっと、今までの人たちはああやって過去の自分に首を絞められて死んでしまったのかもしれない。そこまでは分かるが、首を絞める原因となった朔は今この場所にいない。  いつかと同じように、すっと消えてしまったのだ。  立ち上がって史郎の手から制帽を抜き取った誠が、お堂から出ていってしまった。その赤いマフラーを追うように、史郎もお堂を後にする。 「何か心当たりがあるんですか?」 「ここが本当に悪夢なら」  誠は迷いのない足取りで森の奥を進んでいく。  やがてたどり着いたのは、一軒の小さな家だった。一目見ただけで人が住める場所ではないことなとわかる。屋根は崩れ落ち、室内にまで雑草が生えている。一部だけ雨をしのげるような箇所はあったが、人が暮らしていけるようなものではなかった。  だが、そこに一人の人がいた。  襤褸布(ぼろぬの)を頭からまとった、史郎よりも少し小さな人。きょろきょろと何かを探していたその人は、すぐに何かを見つけ走り出した。  そこにいたのは、大きな黒猫だった。だが、史郎が知っているあの黒猫じゃない。  尻尾が二本に分かれており、どこか毛並みがぼさぼさだった。  その猫は襤褸布に気が付くとすぐに頭を擦り付ける仕草をした。それを甘んじて受け入れる襤褸布から、細い腕がのびてくる。抱き着いてきた襤褸布を、猫は至極大切そうに顔で抱き込んだ。  この二人の間に深い愛情があることなんて、史郎にでもわかった。  だがすぐに猫はどこかへと去っていってしまい、襤褸布が一人取り残される。どこか寂しそうなその背中は、最初の頃と同じようにきょろきょろと何かを探す仕草をしている。  今度は何を、と少し前に出た史郎が小枝を踏みぬいたその音に反応し、襤褸布が勢いよく振り向く。  顔は見えない。  この人が誠の心当たりなのだろうか。  史郎がうかがっていると、襤褸布は勢いよくこちらへと走りこんでくる。かと思えば、襤褸布に隠れていた刀を振り降ろした。  それを、誠の刀が受け止める。 「えっ? えっ!?」  状況が理解できない史郎を横目に、誠は襤褸布と交戦を開始した。  鳴り響く金属がぶつかる音。  大きく突き出した誠の刀を避けた拍子に、その襤褸布が頭から外れる。  月明かりに照らされた色素の薄い猫ッ毛。前をまっすぐ見つめる吊り上がった目。 「え、誠さん……?」  誠の姿と瓜二つだった。相違点を上げるとするならば、襤褸布の方がまだ幼さをその顔に残している。  大きく距離を取ったその襤褸布は、布を被ることもせずただじっと誠を見つめるだけだった。 「なんで帰ってこないの」  そう声を発したのは、襤褸布をまとった方だった。今の誠よりも幾分か高い声。  きっと朔なのだろう。何かがあって、あのお堂から生き延びここにいる。 「なんで、僕、ちゃんと獲物も捕まえられたのに」  幼い口調でそう言った朔は、再び刀を構えた。  誠も応えるように刀を構える。 「また捨てられたの? 僕は、またダメだった?」  史郎は誠を見る。  もしかしたらあの猫に拾われ、ここで育ち、そして猫が帰ってこなくなった。知らない誠が多すぎて、史郎は頭がパンクしそうだった。 「ほんと、いい趣味してる」  誠はそう吐き出して朔と間合いを詰めた。今度は助けようとしない。小さな朔を抱きしめた時のような優しさはなかった。  触れられる朔と触れられない朔の違いは、きっと過去に忠実な朔かどうか。触れられない朔は過去に本当に起きた映像の中にいる。だけど、触れられる朔はそれがアヤカシの力によって怨念になったもの。怨念と化した朔は過去の誠とは全くの別物だ。  だが、その朔が言っていることはきっと、その時の誠の本心なのかもしれないと史郎は思っていた。  誠は分かってる。自分の本心だから。  見ないふりをしてきた本心が具現化しているこの夢は、まさに悪夢なのかもしれない。 「来ないよ。もう、帰ってこない」 「なんで? 僕は悪い子だったから?」 「そうかもしれない」  刀を交えていた誠が朔の刀をはじき返す。一瞬出来たその隙を見計らって、誠の蹴りが朔の腹に入る。そのまま足で地面に押し倒して固定した。 「誠さ……」 「僕は帰ってこなかったことを憎んでた」  踏みつけた朔を見下ろしながら、誠は言葉をこぼす。  朔も暴れることなくただじっと誠を見つめていた。もうこの時から、朔はすでに今の誠に近かったのかもしれない。諦めることを強く覚えてしまった誠に。 「また裏切られた。だから、僕は探し出して殺すことを目標に生きてきた」  誠の刀が、朔の首筋にあてられる。にもかかわらず、朔は動揺しなかった。 「何かあったのかも、なんて思わないで憎んでた僕は多分、悪い子だった」 「どうして? 捨てたんだよ? 裏切ったんだよ?」 「うん。ずっとそう思ってた」 「捨てられてないの?」 「わかんない。どうだと思う」 「わかんないや」  こんなに話す誠を、史郎は初めて見た。  いつもは淡々と、必要なことだけを話す誠。時には必要なことさえも話してくれないけれど、今だけは違った。  ちゃんと話してる。ちゃんと、話を聞こうとしてる。 「もう帰ってこない?」 「帰ってこない」 「ずっと待ってても?」 「五年間待ってても」 「……また、ひとりぼっち?」 「…………うん。そう」  誠と朔の声が徐々に小さくなっていく。  朔は、誠はひとりぼっちを二回経験してる。一度は救われたのに、またひとりぼっちになってしまった。  史郎はまた溢れ出そうになる涙をこらえて一歩前に出た。 「ちがいます! 今の誠さんは、一人じゃないです!」  誠と朔の目が向けられる。  その四つの目は、同じように寂しそうだった。 「俺がいるじゃないですか!」  どん、と自らの胸を叩きそう叫ぶ。真っ赤な目をしている自分はもはや情けなさまであると思う。だが、史郎はそれでも誠に言いたかった。  最初は依頼だった。お守りのことを知りたかった。それに誠を利用しただけ。  何度も喧嘩したし、誠のやっていることが理解できないこともあった。言われたことに腹を立てたこともあった。  だけど、今ならわかる。  誠は望んでそうなってしまったわけじゃない。そうなってしまう環境があっただけなのだ。 「誠さんの話いっぱい聞きたいし、ちゃんとわかりたいです! あ! でも俺の話もちゃんと聞いてください! 俺短く話すの苦手なんです! ずっと一緒にいるから、時間はたくさんありますからね!」  一人が寂しいなんて知ってる。  大切な人がいなくなる寂しさを、史郎も知っている。  でも誠には学友がいた。いろんな話が出来る、学友が。だから寂しさを紛らわせることだってできた。  だけど誠は違う。今まできっと、なんでも一人で抱えることしか出来なかった。  今更すべてを話せなんて言わない。でも、誠が話してくれるなら、何時間かかっても全部聞きたいと思う。 「誠さんは一人じゃないです! 俺がそうさせません!」  史郎がそう叫べば、ぽかんとしていた誠が微かに開いていた口を閉ざした。  でもすぐに、その表情は柔らかいものになった。 「ほんと、めでたいやつ」  目を細めて、誠はそう言った。その口角はしっかり上がっている。  今までほとんど見えなかった歯が見えるようになったことで、初めて誠に八重歯があることを知った。  笑ってる、あの誠が、笑った。 「だって。僕は一人じゃないみたい」  誠はそう言って朔を見下ろした。その首元にあてていた刀を持ち上げ、両手で柄を持つ。  ふわりと吹いた風が、誠の赤いマフラーを優しく揺らした。 「ばいばい、ひとりぼっちだった僕」  その言葉と共に、誠は朔の胸元に刀を突きさした。  途端、景色がゆらりと揺れた。  ここに来た時と同じ、意識を強く引っ張られる感覚。史郎は咄嗟に誠に手を伸ばした。
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