第四章

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 ガバリと起きあがった史郎は辺りを見渡した。  決して広いとは言えないその部屋は、間違いなく史郎の部屋。下を見れば、未だ布団の中で眠る誠の姿。苦しそうな表情ではない。  ただ、その首にはひどい手の痕が残っていた。 「誠さん! 誠さん!」  史郎が声をかけても、誠の目は開かない。  どうしよう、誠はまだあの夢の中にいるのだろうか。  一人にしないって約束したばかりなのに、もう破ってしまうのか。史郎は半泣きになりながら誠に声を掛け続けた。  方向音痴だから、帰り道が分からなくなってしまっているのかも。迎えにいてあげなくちゃ。  あの夢に辿りついたあの痣に触れれば、もう一回……。  そう思って史郎が誠の首元を見れば、そこに痣はなかった。 「あれ……なんで……」  痣が消えたことによって、史郎はあの夢から引っ張り出されたのかもしれない。  じゃあ、なんで、誠は。 「誠さん! ねぇおきて! 誠さん!」 「うるさい」  半べそを通り越してもはや本泣きに入りかけた史郎の耳に、聞きなれた声が聞こえてくる。勢いよく誠の顔を覗き込めば、閉じられていた目がゆっくりと開いていく。  吊り上がった、あの誠の目だ。 「ま、誠さん……!」  情けない声が出てしまったが仕方がないだろう。  べそべそと涙を流す史郎を無視した誠は、ゆっくりと体を起こす。だが、どこかが痛むのか身を丸めてしまった。 「ま、誠さん? どっか痛むんですか?」  おろおろと史郎が尋ねれば、誠は緩慢な動きで着物の裾を捲った。  細すぎるその腕には、首と同じように、いや、それ以上に濃く付いた手の痕だった。 「なんで……」  腕の痣を見つめていた史郎は視線を感じて顔を上げた。  誠の目と合って、弾けるように心当たりにたどり着く。  史郎がまだ夢に入り込む前、誠の首には痕がなかった。おそらく、朔に首を絞めつけられたときにできた痣なのだろう。  あの夢の中の朔と、現実世界の誠がリンクしている。  そして一度、史郎は誠に襲い掛かろうとしていた朔を引き留めた。それが現実世界に反映されるのなら……。 「えッ! 俺のせいじゃないですか! 力つよ!」  思わずこぼれ出た感想に自分の手で口をふさぐ。誠の手に残った手の痕は酷いものだった。まさか、こんな痕になるとは。  申し訳なさから、史郎は自然と頭を下げていた。 「すみません……痛みますよね……」 「結果助かってるからいい」 「そこはありがとうって言ってもらって……」 「ありがとう」 「ありがとうございます……」  どんなテンションでこんな会話をすればいいかわからなくて、史郎は頭を下げたままだった。  この痕は結構残ってしまうだろうか。どうすれば痛くないだろうか。そんなことを思いながら史郎がおずおずと顔を上げれば、誠は腕の痣を気にすることなく枕元に置いてあったマフラーと刀を確認していた。  着物のまま赤いマフラーをつけ、刀を鞘から少しだけ取り出しその刀身を確認する。  その表情は無のままだった。  あの夢の中で、史郎は小さかったとはいえ誠の色んな表情を知った。  怯えたり、泣いたり、寂しそうだったり。でも、一番記憶に残っているのはやっぱり初めて見た誠の笑顔だった。  控えめに開いた口から見えた、少し鋭めの八重歯。 「笑った時の誠さんって猫っぽ……」  ガスッと音を立てて刀の柄がみぞおちに入る。鈍い痛みに、史郎は思わず呻きながら背中を丸めた。猫って言われるのは嫌なのかもしれない。  反省しながら体を起こせば、ちょっとだけ嫌そうな顔をした誠と目が合った。  あれ、この人こんなに表情分かりやすかったっけ。 「臭い」 「えッ!?」  ぽかんとする暇もなく、史郎は自分の匂いを嗅いだ。  匂いはしない。 「アヤカシの匂いが強くなってる」 「あ、えっ? 俺からですか?」 「そう」  誠は史郎に顔を近づけ匂いを嗅ぐ。しばらくいろんなところを嗅いでくる誠に思わず身を捩った史郎の膝に、ぽとりと何かが落ちる。  それを、誠が拾い上げた。 「あ、それ」  それは月島からもらったお守りだった。  誠はそのお守りをジッと見つめた後、手に持っていた刀でお守りを斬ろうとする。 「ちょ、ちょっと! 何してるんですか!」  慌てて誠を止めた史郎が、その手からお守りを取り返す。  庇うように離れれば、誠が親指で鍔を押し、抜く準備をした。 「お、落ち着いてください! 理由を! 聞かせて!」 「それを斬る」 「それは理由じゃなくて行為です!」  史郎が必死にお守りを守っていれば、部屋の中に風が舞った。  扉は開けてないし、史郎は窓を開けた記憶もない。だが部屋の中に風が入りこんでくる。  不思議に思って窓を見れば、そこには一つの影があった。窓枠に四本の足を器用に乗せ、史郎たちを見ている。  その姿は、猫ともキツネとも違う。 『オレの術を破るやつはぁ初めてだ』  この影はアヤカシで、そして誠を襲ったやつだとすぐにわかった。  史郎が理解したその時、視界の端で赤が動く。  誠だ。  すぐに窓枠にいるアヤカシに斬りかかり、逃げるのを追うように窓から外に飛び出した。  その身軽さはまさに猫。猫に育てられていたと言われても何ら不思議じゃなかった。  史郎はすぐに扉から飛び出して正規の道で誠たちの後を追った。幸いにも下宿先の近くで攻防戦が繰り広げられており、すぐに追いつく。  誠は表情を変えることなく刀を振るっている。アヤカシはそれをにやにやと笑って避けていた。 『オレの最期の贈り物はお気に召さなかったか?』 「悪趣味だった」 『じゃあ今度は違う夢を見させてやるよ』  横に薙ぎ払った誠の刀を飛んで避けたアヤカシは、そのまま誠の刀の切っ先に飛び乗った。バランスを崩しかけた誠は刀の持ち方を変え上に向かって振るう。だがそれもお見通しだというように、アヤカシは軽々と横に避けた。 『どんな夢がいい? 生まれる時に殺される夢か? それとも幸せの絶頂で落とされる夢か?』 「いらない」 『ご飯いっぱい食べて毒で殺されるのはどうだ? 好いてるやつに殺されるのもいいな』  誠の刀を避けながら、アヤカシは止まることなく口を開く。  ちゃんと答えていた誠は、途中から返事をしなくなった。制帽のない誠の表情はしっかり史郎にも見えている。  どんどんと誠の目が細くなっていく。あれは多分、嫌なんだろう。 「疲れる」  案の定、誠は遠慮なく刀を振り下ろした。微かなひび割れと共に地面に埋まった刀。その様子に、アヤカシは飛び回るのをやめ誠の様子を窺い始めた。  だがそれが運の尽き。  誠は刀を振り上げるとともに大量の土をアヤカシに向かって投げ飛ばす。予想外の攻撃だったのか、うろたえたアヤカシは間合いを詰めた誠に柄で脳天をぶたれていた。  目を回すアヤカシの首元を掴んだ誠が、くるりと史郎の方を振り向く。 「どうする」  誠に問いかけられ、史郎は目を見開いた。  きっと、史郎がずっと言っていた『斬らずに話を聞け』ということを実践してくれたのだろう。  今までとは違う誠に心の中で拍手を送りながら、史郎は誠に駆け寄った。 「これ、バクなんですかね?」 「多分。人間の夢を食い物にするアヤカシ」 「食料ならこのアヤカシも生きるために必要ですよね……何か違う方法は……」  誠が首根っこを掴むアヤカシを挟んで会話をしていれば、そのアヤカシが意識を取り戻した。  じたばたと暴れるも、誠の力が強いのか抜け出せない様子。 『くそ! なんだよ! 腹が減ってなければオレが勝てたんだからな!』 「負け惜しみ」 『なんだと! 一回はオレの攻撃食らってるくせに!』  一層じたばたし始めたアヤカシに、誠は刀の切っ先を向けた。  このままだとせっかく我慢したのに斬りかねない。 「ま、誠さん! 落ち着いて!」  史郎が誠の腕を押さえる。だがハッとしてすぐに咎めるだけにした。  あの腕の痣が痛むかもしれない。 『あ? お前……』  そんな史郎を見たアヤカシが、暴れるのをやめた。  ふんふんと鼻を動かすアヤカシに、史郎は視線を泳がす。なんだろう、また臭いって言われるのか……。 『千代子(ちよこ)と同じ匂いすんな』  だがアヤカシから出てきた言葉はそれだった。  史郎は勢いのままアヤカシを掴む。 「おばあちゃんを知ってるの!?」  史郎に掴まれたアヤカシは、先ほど暴れまわっていたのが嘘のようにおとなしくなった。  否、史郎に勢いよく掴まれたせいで大人しくなるしかなかった。
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