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第五章
史郎が勢いよくつかんだことで首が締まったらしいアヤカシが嫌そうに史郎を見つめている。
反省の気持ちを込めてその場に正座する史郎の後ろで、誠が興味なさそうに刀をいじっていた。
『よくねぇよ、いきなり掴んでくるのは』
「はい……すみませんでした……ところであの……」
『千代子だろ?』
正座をしたまま、史郎は頷いた。
祖母を知っているバク。もしかしたら、お守りを直すことについて何か知っているかもしれない。
「祖母とは、どういった関係で?」
『昔助けられたんだよ、千代子に』
バクはそう言って史郎に近付いてきた。その細長い鼻を史郎に近付けふんふんと揺らす。身じろぎする史郎を横目に、バクはやっぱり、と声を漏らした。
『お前、必要以上に千代子の血を受けついじまってるみたいだな』
「え? おばあちゃんの血を?」
首を傾げた史郎にバクは頷く。
『アヤカシを引き寄せるだろ、お前』
バクの言葉に、史郎は頷くことも忘れていた。
繋がりが見えない。祖母の血を必要以上に受け継いでしまっていることと、アヤカシを引き寄せることに何の繋がりがあるのだろう。
そんな史郎の困惑が伝わったのか、バクは大きくため息をついた。
『あいつ……もしかしていってなかったのかよ』
「な、どういうことですか……?」
もったいぶるようなバクに、史郎は顔を近づける。
逡巡するよな表情を見せたバクは、しばらく迷って口を開いた。
『千代子は?』
「俺が五歳の時に……いなくなりました」
母から詳細は聞いていなかった。だけど、ひどく落ち込んでいたのを覚えている。私のせいだ、と何度も泣いているのを史郎は見ていた。
史郎の言葉を受け、バクはそうか、と視線を落とした。
『アイツには負けっぱなしだったのにな』
何処か寂しそうにそう言ったバクは、気を持ち直したように顔を上げた。
『アイツは、……千代子はアヤカシだった』
「え……?」
考えもしなかった事実に、史郎は思わず誠を見る。だが、誠はさほど驚いた様子もなかった。もともと感情が豊かではないが、それとは違う、知っていたとでもいうような様子。
『お前も薄々気づいてたんじゃないのか?』
史郎の視線を追うように、バクも誠に声を掛けた。
いじっていた刀を鞘に戻した誠はうん、と答える。
「アヤカシ臭かったから」
誠の言葉に、史郎は自分の手を見た。
祖母はアヤカシで、その血を必要以上に受け継いでいる自分は……。
「あ、アヤカシ……?」
『正しくは人間とアヤカシの血が混ざった〝半妖〟だな』
アヤカシの血の方が濃いけど、とバクは付け足した。
『アヤカシはアヤカシの匂いに強く反応し、人間の匂いに強く惹かれる。縄張り意識が強いアヤカシ同士は避けるためにその匂いに敏感になる。人間の匂いには少々疎いが、あれば食らおうと近付く』
「つまり、俺が狙われやすいのは……」
『強いアヤカシの匂いで気付かせやすく、人間の匂いで獲物と判定される』
史郎の言葉を受け継いだバクは簡潔にそうまとめた。
ずっと気になっていたこの体質は、祖母の血を強く受け継いでしまっていたからだったのか。
「それをおばあちゃんは分かっていたから、お守りを持たせてくれたってことですか?」
『おそらくな』
「……このお守りって、直すことは出来ないんですかね……?」
史郎はポケットの中からちぎれたお守りを取り出した。
それに鼻を近づけたバクは、なぜか誠に近付いて行ってはその鼻を揺らす。誠の手が刀に伸びかかって寸のところで止まったのを、史郎は見てしまった。
『やっぱりな、同じ匂いがする』
バクは誠の匂いを嗅いでから納得したように声を上げた。
誠の足元に腰を下ろしたバクに、誠の視線が突き刺さっている。
『お前、こいつと一緒にいる時にはそんな襲われなかっただろ』
「え?」
史郎は必死に記憶を呼び起こした。
街に出るたびに襲われていた史郎だったが、誠と出会ってから街中で襲われることがなかった。森の中にいても、出会ったときに襲われるくらいで、おびき寄せることは確かになかった。
昼間でも学校を破損させてしまうようなこの体質なのに。
初めて出会った時くらいだ、たくさん引き寄せてしまったのは。
『こいつにはアヤカシの加護が付いてる』
「か、加護?」
『マーキングみたいなものだ』
バクは誠を見上げ、その鋭い視線に気が付いたのか微かに距離を置いた。
その間も、誠の視線はバクに突き刺さったままだが。
『こいつは人間だが、アヤカシの匂いが付いてる。それも結構強めに。ここまで強くついていれば、人間の匂いがしたところでアヤカシは寄ってこない。おそらく、これをつけたアヤカシは相当お前を敵から守りたかったんだろうな』
誠に匂いをつけたアヤカシを、史郎は知っている気がする。
あの夢の中で見た、二本尾の猫。
誠も気が付いたのか、何か考えるような目になっていた。
『そのお守りは千代子の代わりだった。あいつは強いアヤカシだったから、あいつの匂いが付いたそのお守りを持ってれば、お前も加護が付いてるのとおんなじだったんだよ』
「……おばあちゃんの」
史郎は手の中のお守りを見た。
祖母も史郎を守ろうとしてくれていたんだ。人間の匂いもアヤカシの匂いもさせてしまう、狙われやすい史郎を。
「でもなんでお守りにしたんだろ……? 誠さんは直接加護? を受けてるんですよね?」
『千代子は衰弱してたのかもな。一気に力を使うことが出来なくて、少しづつ力をそこにためていったのかも知らん』
あくまでも推測だが、とバクは言った。
「……俺、半妖ってことは戦えるの? アヤカシってみんな強いですよね?」
『おそらくはな。でもやめといたほうがいい』
「え?」
『そのお守りには、アヤカシの力を封じ込める力もある。きっと、千代子はお前に人間として生きてほしかったんじゃないか?』
アヤカシである祖母が、史郎に人間の生活を願った。アヤカシとして何か思う部分があったのかもしれない。
『まぁ色々脱線したが……そのお守りを直すことは千代子以外できない。代わりのお守りを作るなら、ほかの強いアヤカシに頼むしかないな』
祖母のように、誠の猫又のように力の強いアヤカシに頼むしかない。
『ただ強いアヤカシってのはそれなりに厄介だ』
バクはそう言って地面を蹴り上げる仕草をした。
強いアヤカシの多くは意思の疎通が取れるが、敵になればひとたまりもない。普通に戦ったところで勝ち目はないという。小さな傷をつけても血は出ず、治癒の能力を持っているアヤカシが大半。倒すには、最低でも同じくらいの強さで相殺するしかない。
唾を飲み込んだ史郎に、バクはまぁ、と笑った。
『こいつと一緒にいればお守り代わりになるってことよ』
「誠さんが……」
バクと同時に、史郎の視線が誠へと向けられる。それが気に食わなかったのか、誠は無表情のまま睨みつけて抗議した。
最初はおっかないと思っていたが、今はそんな誠の表情も感情が読み取れる気がした。誠は複雑なのかもしれない。憎んでいたアヤカシから、ずっと守られていたと知って。
「聞いてるふりをしているだけだ」と言われた意味が、なんとなく分かった気がする。
今まで分からなかった誠が、言葉なくともはっきりとわかる。
「悪夢を見させていたのは食事のため」
『んぇ? ……あぁ、そうだ。……お前、聞いてんのか断定してんのか分かんねぇな』
「食事は人間を殺さないとできないの」
『それが一番の贅沢ってやつよ』
バクと会話をする誠。今まで見つけ次第殺す派だったのに、ちゃんと話を聞けるようになっている。
史郎がしみじみとそう思っていれば、誠が刀を構えてバクを狙っていることに気が付いた。
「ちょちょ! なんで!? 誠さん!?」
「話は聞いた。斬る」
「そんな義務みたいな!」
慌てて誠を押さえつけたことによって、史郎のポケットからもう一つのお守りが落ちる。それを見たバクが、目を見開いて鼻を近づけた。
『おい、これは誰のだ?』
バクに尋ねられ、史郎は振り返った。
そこに落ちていたのは、月島からもらった丸いお守りだった。
「あ、それ俺のです。月島さんからもらって……」
『月島……?』
名前を聞いてピクリと耳を揺らしたバクは、すぐにそのお守りを噛みちぎろうとした。だが、それを狙っていたかのように、飛んできた刀の切っ先がバクの身体を貫く。
誠は動いていない。じゃあ、あの刀は……。
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