第五章

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 地面に倒れこんだのは、誠だった。ところどころに切り傷があり、血が土に滲んでいく。 「誠さん!」  史郎は下がってろと言われていたのを無視して誠に駆け寄った。  か細くヒューヒューなる呼吸音が聞こえてくる。まだ生きてる。そのことにほっとしたのもつかの間、史郎の頭上に影がかかった。  傷一つ負っていない月島。いや、誠の刀は何度も月島に傷をつけた。なのに、今の月島に傷は見当たらなかった。  そんな月島は、哀れな視線を向けて誠を見下ろしていた。 「可哀そうに。何も変わらなければ、こうはならなかった」 「お前……」  史郎はずっと体の中でくすぶっていた感情が一気に巡るのを感じた。  気を抜けば遠のいてしまいそうな意識に、目の前が真っ赤になる。これが怒りだと思っていたのは少し前まで。誠が斬られるたびに、誠に突き刺さる言葉を聞く度に、強くなっていくこの感情は、おそらく史郎の中に眠っていたアヤカシの血。  それが、解放されそうになっている。  必死に意識を保っていたが、我慢の限界は近かった。  こんなに誠が傷つけられるなら、我慢しない方が力になれるんじゃないか。  そう思った史郎が抗うのをやめようとしたその時、ぐっと服が引っ張られる。 「……だ、め……」  頭からも血を流す誠が、か細い声でそう言った。  何度も失敗しながら立ち上がる誠に、史郎は手を伸ばし支えた。 「あんたは、そう望まれてる」  肩で息をしながら刀を構える誠。  誠が言っているのは、祖母の意思のことだとわかった。人間として生きてほしいと願った祖母。その意思を、誠は尊重しようとしている。  誠は再び月島に向かっていった。  断然動きは鈍ってる。月島もまるで弄ぶかのように動いてる。  その光景を見て、史郎はどうしていいか分からなかった。  祖母は史郎が人間であることを望んでる。その意思を尊重することを、誠も望んでる。このまま史郎が人間であれば、周りから望まれた自分でいられる。  ……だけど。  ドス、と目の前で誠が腹を刺される。  ゆっくり目を見開いていく史郎は、もはや目の前が真っ赤以外の色を映さなかった。誠を呼ぶ声も出なかった。月島の顔が、達成感を帯びたような笑みになっていく。  だがその瞬間、パンッと乾いた音が鳴り響いた。  月島の目の前に出された誠の手が、クラップ音を鳴らしたのだ。その音に驚いて見せた微かな隙を、誠は見逃さなかった。  腹に月島の刀をさしたまま、誠の刀が月島の胸を貫く。初めて、月島が余裕のなさそうな表情を見せた。 「猫だまし」  八重歯を見せにやりと笑った誠は、立っていることも難しかったのかそのまま背中から地面に倒れこんでいく。それと同時に、月島の身体も地面に伏せられた。 「誠さん!」  史郎は誠に駆け寄った。口から血を流す誠は、必死に目を開けている。虚ろな目は史郎を映さない。史郎は誠の名前を呼ぶことだけしか出来なかった。 「誠さん! 誠さん!」 「本当に……本当に君は惜しい人材だよ」  くつくつ笑う声が聞こえ、後ろを振り向く。  地面に伏していたはずの月島が立ち上がっていた。胸に刺さった刀を引き抜いて、放り投げる。カランカランと音を立てて転がっていった刀には、血はついていなかった。 「こんなに胸が高鳴ったのは久しぶりだ。あぁ、あいつは本当に最期まで良い贈り物を遺してくれる」  月島が歩み寄ってきたかと思えば、史郎は蹴り飛ばされた。一瞬蹴られたことを理解できず、気が付けば木に背中をぶつけていた。いろんな痛みが一気に押し寄せてきて、史郎は腹を抱えてせき込む。  痛みで動くこともままならず、やっとの思いで顔を上げた先には、誠の身体を宙に浮かせる月島の姿があった。  もう抵抗する力も起きないのか、誠はされるがまま。 「ま……ことさ……」  月島は誠の腹に刺さっていた刀を無遠慮に引き抜いた。  その瞬間、大量の血がぼたぼたと地面に落ちていく。 「あぁ、痛いね。大丈夫」  月島は誠の腹に手を当てた。一瞬見えた鈍い発光がおさまれば、月島は手を離す。そこにあった傷は、綺麗さっぱりなくなっていた。 「もう一度遊ばないか? こんなに楽しいのは久々でね……年甲斐もなくはしゃいでしまっているみたいだ」  重力に従って地面に落ちた誠の傍に刀が投げられる。その刀を掴んだ誠は、ふらふらしながらも立ち上がった。 「ほんと気持ち悪い」  誠はそう言って月島に斬りかかった。  誠を遊ぶように動く月島と、先ほどよりは月島の動きが読めるようになったのか刀ではじく回数が増えた誠。  史郎は腹を抱えたまま地面にひたいを押し付けた。  何もできないことが歯がゆい。ただ、守られているのを見ているだけ。  〝人間である史郎〟を守るために、誠が血を流している。  本当にこれでいいのか。本当に、これが望まれた自分なのだろうか。  祖母が望んだ史郎は、果たして本当にこうなのだろうか。  激しい土埃と共に、誠が史郎の元へと飛ばされてくる。目の前で膝をついて吐血した誠を見た瞬間、史郎は一瞬景色が見えなくなった。  パチン、と耳元で何かがはじける。  次に見えた景色は、眼前に迫った月島の顔。視界の端の方では、月島が構えているであろう刀が細かく震えている。それを掴んでいるのは自分なんだと、どこか他人事のように思った。 「いいのかい? 言いつけを守らなくて」  月島の声が嫌に鈍く聞こえる。すべてノイズがかかっていて、聞き取りずらい。  史郎は目の前の顔めがけて拳を繰り出した。自分が思ったよりも早く繰り出される攻撃に、史郎はどこか心地よさを覚える。  人生で感じたことのない快感だった。  目に入るもの全てを殴ってしまいたくなるような感覚。木も岩も、今なら簡単に壊せるような気がする。  斬られて痛いはずなのに、殴られて痛いはずなのに、それすらも今は感じなかった。  あぁ、自分はこんなにも強いんだ。守ってもらわなくても……。 「史郎!」  全てが濁って聞こえる聴覚で、はっきりとした声が聞こえてきた。  声のした方を向けば、そこには刀を地面に突き刺して立ち上がっている誠の姿。本能的に従わなくては、と史郎は飛ぶように誠の元へと戻っていった。  その瞬間、頭に鈍い痛みが走る。 「いたッ……あれ?」  頭を押さえた史郎は辺りをきょろきょろと見渡す。  いくつもの木々は倒れており、崩れた岩さえもある。 「あぇ……? なん……?」  呆れたようなため息が聞こえ、史郎は誠を見た。  怒ってる。よくわかんないけど、多分これは自分がやったことなのだろう。それに対して、誠が呆れてる。 「だめって言った」 「で、でも……」  史郎はぎゅっと袴を握った。その袴でさえもボロボロになっていることに気が付く。  確かにダメだと言われた。人間であることを望まれた。だけど、 「たぶん、この状況で俺が何もしないことの方が、おばあちゃんは望んでないと思う……」  素直にそう言えば、誠は史郎を見てくれた。 「言われてないのに」 「言われてないですけど……でも多分、おばあちゃんはそう言います……」  理解できないとでもいうように、誠は眉を顰めた。  だがそれも一瞬で、すぐに史郎の後ろに視線を向ける。史郎も振り向けば、そこには首を鳴らしながら歩いてくる月島の姿がった。 「予想外のおもちゃを手に入れた気分だ。だがしかし、躾がなっていないようだね」  一定の距離を保って立ち止まった月島。その手にある刀は、ボロボロに刃が欠けていた。  そんな刀を捨てることも無く、月島は肩の力を抜く。一つ息を零したかと思えば、まっすぐと史郎を見つめてきた。  息が詰まる感じがする。ピリピリと、肌を刺す殺気が痛い。  ほとんど同時。月島と誠が動いた。互いに間合いを詰めて再び刀を交える。だが体力の違いから、すぐに誠が押されるようになった。  史郎はまた怒られるかもしれないと思いつつ、飛躍した身体能力で戦闘に加わる。  怒られてもいい。飽きられてもいい。  誠が生きているのなら、なんだって。  誠がいったん間合いを開いたその瞬間を狙って史郎が拳を振るう。よけられた勢いを利用して地面に手を付き反動をつけて蹴りを繰り出す。  月島の刀が眼前に迫ってきたのをしゃがんで避ければ、後ろ側から誠がその頭上を横一文字に薙ぎ払う。  先ほどよりは押せているような気もしたが、月島の表情は変わらなかった。  楽しいと、ただそれだけを表わしている。
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