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「あぁ、なんだもう終わりか?」
月島の冷たい声が落ちてくる。
もう体を動かすこともできず、史郎は倒れこんだまま鉛の様に重たい頭を必死に上げた。
ざり、と土を踏みしめる音が聞こえてくる。影がかかった頭上には、声と同様冷たい顔をして見下ろしてくる月島が見えた。
「楽しませてくれたことは感謝するよ」
冷たい表情のまま、月島は刀を振り上げた。
もう、終わりかもしれない。
抵抗する力もなくなった史郎は頭のどこかでそう思った。
だが、来るはずの痛みは来ず、何かがぶつかる音が大きく響いた。そして、ぎりぎりと金属の擦れる音が耳元で聞こえてくる。
史郎に振り下ろされるはずだった刀が、違う刀によって止められていた。
「……素晴らしい。やはり素晴らしいな君は」
感嘆の声を上げる月島。
刀を止めたのは、ボロボロになった誠だった。
意識があることも不思議なくらいの出血量。それでも、誠はしっかり月島の刀を自分の刀で受け止めていた。
月島は刀を投げ捨て、誠の首を掴む。苦しさにうめき声を漏らした誠の身体が、地面から離れていく。
「本当に君をなくすのは惜しいよ。なぁどうしても私の話を聞き入れてはくれないか?」
カランと誠の刀が足元に落ちる。首を絞める月島の腕をつかむ誠の手は、もはや力が入っていない。
それでも、誠は命を乞うことはしなかった。
「し、……つこい……」
「あぁ残念……」
何度言っても誠の答えが変わらないと判断したのか、月島は眉を下げた。
誠の首を掴む手に力が入ったのか、誠の表情は先ほどよりも苦しそうなものになった。
「ま……ことさ……!」
身体を起こして手を伸ばすも誠には届かない。
あぁ、どうやっても守れない。こんなにも守られてきたのに、自分はその恩返しさえもできない。
史郎が必死に手を伸ばしても、誠に近付こうとしても、史郎の手に触れるのは空気だけ。
――悔しい、守りたい、守りたい。
史郎の視界が涙で歪んだその時、目の前に黒い影が飛び出してきた。
その影が月島めがけて飛んでいったと思えば、その手に誠の姿はなかった。
『遅くなってすまないな』
史郎の目の前に降りてきたその影。そっと優しく誠を地面に下ろしたのは、黒猫だった。
突然のことに呆然としていた史郎の元に、子猫がやってくる。
『大丈夫か、人間』
「……首を触られるのが嫌になりそう」
『しっかりマフラーで隠しておくんだな』
首をそっと撫でる誠に、黒猫が鼻で笑った。
だが和やかな空気もそこまで。黒猫は威嚇するように姿勢を低くして前を見た。
『近頃森の獲物がいなくなっていたのは、貴様の仕業だな』
唸るような黒猫の声に、誠を締め上げた体勢のままだった月島が手を下ろした。
そしてゆっくりと前を向く。
「あの森は弱いアヤカシばかりだったからな。掃除しないと」
『お前が掃除したせいで人間にまで危害が及ぶようになったのは予想の範囲内か?』
「そうだね。それで弱い人間もいなくなってくれたならいい」
『とんだ横暴人だな』
「誉め言葉として受け取っておくよ」
静かな会話が終わったかと思えば、その場に強い風が吹く。咄嗟に腕で庇えば、すぐに違う風が吹く。それが月島と黒猫の戦っているときに出る風だと、ようやっとわかった。
入り込むすきがない。助太刀に入ってしまえば最後、自分の命はないのだと思わせる戦いだった。
誠も同じなのか、ただ黙ってその戦いを見つめている。
「……すごい」
ただ純粋に漏れ出た言葉だった。
月島は多分手加減をしていない。さっきまでの動きとまるで違う。目で追うのもやっとなほどの戦いに、史郎は目を離せなかった。
あれが、アヤカシ同士の戦い。自分にもできるはずの戦い。
手も足も出なかったことに、史郎は唇をかみしめた。
黒猫が強く地面踏み込んだと同時、表情がなくなった月島も強く地面を踏み込んだ。
そこにいるのもやっとなほどの強い風が吹き荒れたその場所で、史郎が目を開けた先に見たのは、息も絶え絶えな黒猫と月島の姿だった。
お互いに、ぼたぼたと血を流しては地面に吸わせている。
『人間』
掠れた声で、黒猫が呟く。
顔をこちらに向けないまま、月島を見たまま黒猫は言葉を紡ぐ。
『お前はまだ、アヤカシが、猫が嫌いか?』
初めて黒猫と対峙したときのことを覚えているのだろう。
誠はふらりと立ち上がって、ゆっくりと黒猫に近付く。こちらを見ないままだった黒猫の後ろに立った誠は、ぎゅっとその足にしがみついた。
だがそれも一瞬で、すぐに離れた誠は赤いマフラーを翻して史郎たちの元へ戻ってくる。史郎の服で遊んでいた子猫を抱きかかえた誠は、子猫に黒猫を見せるよう前を向いた。
『……ありがとう』
ちらりと後ろの様子を窺った黒猫は、消え入りそうな声でそうお礼を言う。その表情は、ひどく優しいものだった。
その表情を引き締め、何かを決意したように月島の元へと走りこんでいく。
何もわからずそれを見ることしか出来なかった史郎の耳に、誠の優しい声が聞こえてくる。
「ちゃんと焼き付けるんだよ」
誠の言葉が分かっているかのように、ずっと遊んでいた子猫は黒猫から目を逸らさなかった。
あぁ、そういう事か。
史郎は目頭が熱くなった。
わかってしまった。黒猫の意志も、誠の意図も、全部。
強いアヤカシは、同じくらい強い力で相殺するしかない。
伏せそうになる頭を懸命に上げ、滲み続ける視界を必死にクリアにした。
目を逸らしちゃいけない、見なくちゃいけない。忘れないように、焼き付けなくちゃ。
月島に向かっていく黒猫の背中は大きかった。いろんなものを守るために、強くあった背中に見えた。子猫を守るために、幾度となく死線を潜り抜けてきたのかもしれない。それこそ、初めて会った時の様に。
ぶつかり合った二人の間から眩しいほどの光が放たれる。見続けることも厳しいくらいのその光は、やがて森全体を包み込み、そして空に向かってはじけ飛んだ。
激闘を繰り広げていた黒猫の姿はない。そして、月島の姿も無かった。
静かになったその空間で、史郎は動けなかった。理解ができないような、したくないような、複雑な感情。
そんな史郎の視界に、再び赤が通り過ぎていった。
ゆっくりと、子猫を抱いて歩いていく誠。やがて黒猫がいた場所で立ち止まった誠は、そっと膝をつき子猫を下ろす。
辺りを見渡した子猫は、カリカリと地面を掘り始めた。いろんな場所を、黒猫がいたであろう場所を、何度も何度も掘る。地面に鼻をつけ、何かを探すようなしぐさをしていた子猫は、やがてその場にちょこんと座った。
みゃぁん、とただ一回だけ鳴く。
その声に反応するように、空から大粒の雨が降り出した。
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