第一章

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 次の日の朝。史郎は再び森に訪れた。  朝は比較的アヤカシの動きはない。呼び寄せてしまうとしても、夜動くよりは断然朝の方が良い。  森の奥に目的地である洞窟を見つけ、史郎は駆け寄った。  大きな岩をくりぬいたような穴。ずっと奥まで続くその先は、明かりがなくて見えない。 「すみません! あのぉ!」  入口で叫んだ史郎の声が、反響して何重にも聞こえてくる。  微かに感じる寒気に、史郎は自分の腕をさすった。  洞窟特有の寒さだ。本当に、ここに人がいるとでもいうのだろうか……。  史郎が不安を覚えた時、奥からコツ、と足音が聞こえてきた。 「あ……」  洞窟の奥から出てきたのは、一人の男だった。軍服と、腰に携えた刀。そして、地面につくのではという程長い赤色のマフラー。 「昨日の……!」  そう、昨日出会った男だ。  男は表情一つ変えず、史郎を見つめていた。 「昨日の話の続きでもするの」  男の口調は抑揚がほとんどない。尋ねているのかも曖昧な男に、史郎は慌てて頷いた。 「い、依頼をしに来ました!」  史郎がそう叫んでも、男は表情一つ動かさない。  依頼を受けてくれるのか、そもそも話を聞いてくれるのかさえもわからない。  だが、史郎はそれでも話を続けた。 「『怪異探偵』がここにいると聞いてきました。アヤカシ関連の依頼を受けてくれるのだと」  そう、ここには怪異探偵がいるのだと聞いてやってきた。それがきっと、この男。  話によれば探偵は気難しい性格で、依頼を受けてくれるかどうかもわからないとのこと。史郎はもっとしわしわのお年寄りをイメージしていたが、なるほど、確かにこの男は気難しいイメージがある。 「昨日とは別なの」 「別です」  黙り込んだ男に、史郎はダメ押しのように一歩歩み出た。 「依頼を受けてほしいんです。お願いします」  もしかしたら受けてもらえないかもしれない。昨日だって気が付けばいなくなってしまっていた。だが、やっとの思いで見つけた糸口なのだ。ここで諦めて帰るわけにはいかない。  粘り強さには、いささか自信があった。 「依頼内容は聞く」  人知れず意気込んでいた史郎が聞いたのは、意外にも肯定的な言葉だった。  顔を上げれば、無表情のままの男が史郎を見つめていた。 「ほ、ほんとですか!」 「ただし簡潔に。何が起こって何を解決してほしいのかを手短に話して」  ここで話せというのだろうか。史郎はちらりと後ろを見て、アヤカシの気配がないことを確認する。 「えっと……友人がアヤカシに襲われたので、そのアヤカシの正体を掴んでほしいんです」  男の気が変わらないうちに、史郎は出来るだけ手短に話した。これですべてが伝わるかなんてわからない。そもそも、手短に話すこと自体が史郎は苦手だった。  短く話すということは、どうしても伝わらない部分がある。どこを伝えていいのか、どこが伝えなくてもいい部分なのかが分からない史郎は、起こったことを初めから説明する癖があった。  誤解されたくない。全部わかってほしい。  でも、それをしてしまえば、この男は簡単に人を見捨てる。 「どんなアヤカシかは知らないの」  昨日も同じ質問をされたな、と思いつつ、史郎は頷いた。  友人は大きな影、ということしか認識できていなかった。 「あ、でも、……たしか、尻尾みたいなのは見えたって言ってました」  暗くてよくわからなかったみたいですけど、と史郎は付け足す。  だが、その言葉に男は反応した。 「尻尾」 「え、あ、……はい……んーと……確か、猫みたいに長い尻尾だったって」 「わかった」  男はそれだけを言うと、史郎の横を通り過ぎた。  そちらは洞窟の入り口の方で。  史郎が困惑していると、男は立ち止って振り返った。 「その友人とやらはどこ」  辺りと比べても一番ではと思わせる広い敷地に、木造の平屋がずっしりと建っていた。その大きな庭の隅っこの方に、これまた小さな蔵のようなものがある。  本来は物置として使われるそこに、史郎は近付いた。家主には許可を得ている。もっとも、家主もここに近付くことはほとんどなく、玄関で一言挨拶を交わしたのちにすぐ引っ込んでしまったが。 「(きよし)、入るよ」  一応扉を叩き、家主にもらった鍵で頑丈な鍵を開錠する。ジャラジャラと鳴る鎖を置いた史郎は、そのまま中へと入っていった。  その後ろから、赤いマフラーをたなびかせた男もついてくる。  中は埃っぽく、とても衛生的とは言えない。  薄暗い蔵の中央に置かれたベッドの上にいた青年は、史郎を見るとすぐに口を開いた。 「史郎! なぁ、オレは、本当に!」 「そんなに叫んだら、傷に響くだろ。落ち着けって」 「でも、オレは嘘なんてついちゃいねぇ!」  史郎が入るや否や、清は叫んだ。蔵いっぱいに響く声に、史郎は清に駆け寄った。  清は頭や足に包帯を巻いている。  崖の下で発見された清は、一時は命さえも危ないとされていた。だが、無事に回復し、意識も取り戻した。  本来は病院にいるはずだった清は、今、自宅の蔵に隔離されている。 「ほんとうに、ほんとうに物の怪が襲ってきたんだって!」 「わかってる、俺は信じるから、いったん落ち着いてくれ」 「大人は皆信じてくれねぇ、医者も、母さんだって!」  清は意識を取り戻してから、『物の怪に襲われた』と常に訴えていた。崖から落ちたのも、物の怪のせいだと。史郎はその話を信じている。清の言う物の怪は、おそらくアヤカシ。史郎自身も、何度もアヤカシに襲われているので清の言っていることは分かる。  だが、一般的にアヤカシは知られていない。  だから、清は崖から落ちたショックで精神をやられたのだと診断された。  まだ完治していないにも関わらず、医者にも親にも見放された清は、私宅監置(したくかんち)という処置をされている。 「どこで襲われたの」  史郎にしがみついて取り乱す清に、少し離れた場所に立っていた男が声を掛けた。  清の焦燥具合にも気を留めず、無表情のまま問いかけたその男に、清は呆気に取られていた。 「どこ」  だがその沈黙は男にとって時間の無駄だと判定されたのか、再度強い口調で問われる。 「も、もり……」 「襲われた経緯と物の怪だと思った理由を簡潔に話して」  史郎に言ったのと同じようなことを、取り乱している清にも言う。  男はとにかく話を聞くのが苦手らしい。  史郎は未だ縋りつくような体勢だった清の腕をさすり、話すように促した。 「……学校で嫌なことがあって、気分転換に森に行ったんだ。そしたら、後ろから唸り声が聞こえて……さ、最初は、野生の動物かと思って……」 「私感はいらない。状況だけ」  ひどく冷たい男に眉を下げた清は、一度史郎を見た。  不安そうな清を励ますように頷くと、清は再び口を開く。 「振り向いたところにいたのが、黒い影で、お、大きくて……見たことも無い大きさで、オレ、必死に逃げて、そしたら、が、崖のところに追い込まれて……」  そのまま突き落とされた。史郎はそう聞いていた。  だがやはり、短くまとめると抜けるところがある。  史郎が聞いていたのは、最初、清は街の方に逃げていたのだという。だが、その黒い影はすぐに清を捕まえることなく、幾度となく行先を阻んできたらしい。  まるで、どこかへ誘い込もうとしているかのように。  そして、ついに件の崖へと追い込まれた。逃げ場のなくなった清を、黒い影はすぐに突き落とすことはしなかった。じわじわと、恐怖をあおるようにして追い込み、立てなくなったところを突き落としたんだとか。  まるで意志のあるようなその動きは、野生動物ではできない。  話を聞いた史郎は、アヤカシの仕業であることを確信していた。 「その影はちゃんと見えなかったの」 「く、暗くて……で、でも、なんか、猫みたいな耳と尻尾は、見えた……」  清の話を聞いた男は、コツコツとブーツを鳴らして清に近付く。そして、ずい、と清に顔を近づけた。 「それは、本当に」  やはりこの男、言葉に一切抑揚がない。おそらく問うているのだろうが、言葉の後ろにあるはずの記号が一切聞き取れなかった。  それは清も同じだったらしく、聞かれているのだと気づくのに時間を要した。やっと理解した清が頷けば、男は顔を離す。 「会ったのは森のどこ」 「あ、えっと、ほ、祠、あるの知ってますか?」  清の問いかけに答えることなく、男は赤いマフラーを翻して蔵から出ていった。  おそらく、知っているのだろう。  壊滅的な意思疎通能力に、史郎も清も呆気に取られていた。男が扉を開けて出ていった音を聞いて、やっと我に返る。 「し、史郎、あの人は……」 「『怪異探偵』さ。大丈夫、清を襲った影の正体を、あの人が見つけてくれるから」  あの男は確実にアヤカシが見えている。史郎はそれを知っている。  清を安心させるように微笑んだ史郎は、清をベッドに寝かせ、掛布団をかけた。 「もう少しの辛抱だ。……もう少しだけ、待ってて。ここから出してやるからな」  もし清を襲ったのが本当にアヤカシだとわかれば、清のこの扱いもマシになるだろう。また病院か家の中で療養出来るようになるかもしれない。
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