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日がてっぺんにまで登った頃、史郎は清が襲われた森へと来ていた。
祠があるのは、入口から少し離れた場所。ずっと坂道を登って、木々が多い茂った場所にその祠はある。
一応道はあるものの、獣道と言っても過言ではない。決して整備されたわけではない道を歩くのは、少しだけ疲れてしまう。
微かに汗をにじませた史郎は、視界の先に見慣れた赤を見つけた。
「探偵さん!」
史郎が声を掛けても、男は振り向かない。
昨日からされ続ける扱いに、いっそ慣れてしまった。史郎は歩き続けるその男に駆け寄った。
「ここに来たってことは、依頼を受けてくれるってことですよね」
男から依頼を受けるという言葉を聞いていない。だが、清にも会いに行き、清が襲われたというこの場所にも来ている。
これは、暗に受けてくれるという事だろう。
そこでふと史郎は一つの疑問を浮かべた。男がこの森に向かったのはもう随分前だったはず。史郎は取り乱す清の話を聞いていたので、男よりもだいぶ遅れてあの蔵を出た。だからもう目的地についていてもおかしくはないはずなのに。
そこまで考えて史郎は首を横に振った。今は辺りを調査しているのかもしれない。
歩き続ける男に並んで、史郎は追加の情報を提供した。
「清が襲われたのは、夜の六時だったそうです」
暗くなり始めた時間。アヤカシの動きが活発になり始める時間でもある。その時間に襲われたとなれば、やはりアヤカシの仕業だという信ぴょう性が高くなる。
「清は学校でも真面目だと評判でした。だから、あんな嘘をつくとは思えない。確かに憔悴はしてたけど、でも……」
史郎が男に並んで話し続けていれば、男の足が止まった。
自然と史郎の足も止まる。何事かと男を見れば、無表情なまま史郎を見つめていた。
「な、なんですか……?」
見つめてくる割りに何も話そうとしない男。史郎は少しだけ委縮しながらも、声を掛けた。
じっと見つめてくる男の目は、やはりどこか冷たい印象がある。
「あんたはあの男のなに」
「え? な、なにって……」
純粋に尋ねているようにも聞こえる男の言葉は、とげとげしい。
痛みに似た感覚を覚えながらも、史郎は口を開いた。
「ゆ、友人です」
「友人」
「そうです。学校が一緒で……」
「それだけで」
「え?」
「それだけで、あの男が嘘をついてないって言ってるの」
史郎をまっすぐ見る男の目は、確かに冷たい。だけど、その中に何か違う色も見えた気がした。
怒りとも違う。でもそれが何なのか、史郎には分からなかった。
「おめでたいやつ」
馬鹿にしたような言葉を吐いた男は、再び足を進めた。
赤いマフラーが視界を遮ったかと思えば、見えたのは男の背中。すぐにでも折れてしまいそうなその細い背中は、それでもどこか逞しく見えた。
そんな背中を、史郎は初めて蹴りたいと思った。
「し、信じて何が悪いんですか!」
抗議するように声を荒げた史郎は、走ってその男の元へと向かう。
足を止めることも無い男の前に立ちはだかった史郎は、まっすぐと男を見た。
「俺は清の言葉を信じてる! アイツはそんな嘘を言うやつじゃない!」
史郎の声が森に響く。
どこかで鳥が飛び立つ音が聞こえたが、史郎は男から目を離さなかった。
「清はアヤカシに襲われたんです。それを、俺は証明したいんです」
相も変わらず無表情で史郎を見つめている。冷たいとは思っていたが、こんなだとは思わなかった。まるで、人の心がないようだ。
「たとえアヤカシだったとして、周りが信用すると思うの」
「それは……」
「そのおめでたい頭で、良く考えてみなよ」
動けなくなった史郎の横をすり抜けるように男は去っていく。
パキリ、とブーツが木の枝を踏むが聞こえてきた。
「じゃあ、探偵さんはなんでこの依頼を受けてくれたんですか」
史郎は振り返って男を見た。
ここにいるということは、少なからず事件の真相を暴きに来たということだ。清の話を信用して、ここまで来た。
だが、男は答えることなく先へと進んでいく。史郎は先ほどの昂った気持ちがしぼんでいくのを感じながら、男についていった。
もし本当にアヤカシの仕業だったとしたら。その証拠がつかめたとしたら。
きっと周りも信用してくれる。清の話は本当だったんだとわかって、きっと清をあの蔵から出してくれるはず。
祠の前に着いた時には、てっぺんにあった太陽は少しだけ動いていた。
汗一つかいていない男が祠の前で立ち止まっている。それが清の言っていた祠であることは、史郎にもわかった。
額からにじみ出る汗を拭って、史郎は男に駆け寄った。
「ここが、アヤカシの住処なんですかね……?」
よくアヤカシは祠や寺を居住にするということは、史郎もきいたことがある。
アヤカシ自体、もとは生きていたものだとも聞いた。生きているときにいた場所などに住み着いていることが多いらしい。神様の類で、お社などにもいるのだとか。
だから、この祠がアヤカシの住処だと言われてもさほど驚きはない。
男はじっと祠を見た後、辺りを見渡した。かと思えば、違うところへと歩き始める。
「どこ行くんですか?」
返ってくる言葉はない。それが分かっていても、史郎はつい話しかけてしまう。
無言で歩いていく男に、史郎もついていった。
祠から数分歩いた先。木々が少しだけ途切れた広場のような場所があった。だが、その先には何もない。
崖だ。
清が落とされた崖が、祠から数分のところにあった。
男が崖先に歩み寄って下を覗く。史郎もへっぴり腰になりながら覗けば、その下は緑色だった。
この下も森が続いている。
確か、清の通う学校の裏手につながる森だったはずだ。
「清は、ここから落ちたんですね……」
高さは随分ある。打ち所が悪ければ、最悪の場合もあっただろう。
清が生きていてよかった。そう思っていた史郎の耳に、複数人の声が聞こえてきた。振り返れば、そこには三人の男たちが立っていた。
着物の下にシャツを着て、袴を穿いた男たち。史郎と同じような格好のその人たちは、清の学友であった。
「し、島村……?」
学友たちに名前を呼ばれ、史郎は曖昧に笑った。
男は学友を一瞥したのち、一切興味がないのか去っていってしまう。史郎が男を追いかけようと走り出したその時、学友の一人に腕を掴まれた。
「な、なぁ! 清は本当に物の怪にやられたのか?」
「え……?」
史郎が知る限り、この学友たちはアヤカシは見えていなかったはず。むしろ、怯える人を見たら馬鹿にする方だった。
なのに、今の学友達はひどく怯えている。まるで、アヤカシを見たとでもいうように。
「な、何か知ってるの?」
史郎がそう尋ねれば、森の方からザワリと風が吹いた。
ただ風が吹いただけ。なのに、学友達はひどく怯えて史郎にしがみついた。
「た、祟りだ、祟りが……」
「祟り?」
ガタガタと怯える学友達に、史郎は尋ね返した。
「き、清だよ! あいつは、祟りで……」
「祟りって……なんで清が?」
「あいつはここで殺したんだよ! それで、そいつが物の怪になって、清を……!」
学友の一人がそういうと、途端に風が強く吹いた。まるで言葉に反応するようなその風に、史郎も身震いをする。
まだ日は昇っている。だというのに、微かにアヤカシの気配がした。
「お、終わりだ、俺たちも……」
「なぁ、詳しく聞かせて、どういうことだ?」
史郎がしがみつく学友に尋ねようとしたその時、森の奥から咆哮のようなものが聞こえてきた。びりびりと大気を揺らすようなその音に、史郎は思わず耳を塞いだ。
学友達も聞こえているらしく、耳を塞いでいる。
野生動物の声なのか、それとも……。
史郎が森の奥を見たその時、小さな影が転がるように出てきた。ネズミの様に見えるその影は、間違いなくアヤカシだ。
「ひっ……!」
その影を見て、学友達は声を上げる。
「見えてるのか? あれが」
何度も頷く学友達は、やはりアヤカシが見えるようになっている。
前までは見えていなかったのに、何故。
史郎がアヤカシに目を向けたその時、トス、と影をつらぬくように刀が地面に刺さった。
灰と化して風に攫われていくアヤカシから顔を上げれば、そこにいたのは赤いマフラーをつけた男。
「探偵さん……」
無表情で地面から刀を抜いた男は、汚れを落とすように刀を払ってこちらを見た。
その表情は相変わらず無で、恐怖を煽って仕方がない。
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