5人が本棚に入れています
本棚に追加
/29ページ
森の入り口まで戻ってきた史郎たちは、近くの岩場に座っていた。
本当ならあの崖のところで話を聞いたほうが早かったが、あそこでは学友達が怯えて話をしてくれる雰囲気ではなかった。
木に寄りかかるマフラーの男を見た史郎は、学友達に視線を向ける。
「詳しい話を聞かせてくれるか?」
地面に座り込んだ学友達は顔を見合わせ、やがて真ん中にいた男が話し出した。
「こ、この森は、前から俺たちのたまり場だったんだ……清も一緒にいた」
ただ森で話すだけだったらしい。街とは違う雰囲気の中、勉強で疲れた体を癒すのが主な目的だった。最初は本当にそれだけだった。
だが、開放的な環境はいつしか感情までも開放的になってしまう。
勉強で知らず知らずたまっていた鬱憤が、徐々に顔を出してきてしまった。
「清は、学校で真面目だっただろ? それが、重荷だったらしいんだ……」
大人たちの期待を知らないうちに背負わされていた清は、いい子でいることに疲れてきたと愚痴をこぼしていたらしい。
史郎も知らなかった事実に、思わず唾をのむ。
「それで……ここでは、あいつ、人が変わっちまったみたいに暴れ出して……」
激しい暴言や人の悪口から発展し、清は人を虐めることを覚えだしたという。
よく見る手を出すような虐めじゃない。もっと陰湿で、質の悪い虐め。外堀から埋めていって、じわじわと相手を追い詰めていく。頭の回転が速い清は、自分の手を汚さないように虐めることが得意だったという。大人たちの期待は裏切らず、日に日に虐めは悪化していく。
まるで人が変わってしまったような清に、学友達は何もできなかったという。
「それで、あいつ、ついにやっちまったんだ……あの崖から、人を、……」
思い出すのも恐ろしいのか、話していた学友は身震いをして自分を抱きしめる。
史郎はその話を呆然と聞くことしか出来なかった。
史郎の知っている清はそんな人じゃなかった。
いつでもおおらかで、頭がよくて、優しかった。史郎が学校でなじめなかった時に傍にいてくれたのは清だ。
そんな清が、虐めだなんて。
「な、なぁ! あんた、物の怪を退治できるんだろ!?」
ずっと俯いていた一人が、立ち上がって木に寄りかかる男に掴みかかった。
激しく揺さぶる学友に、男は表情一つも変えない。まるで置物のような男に、史郎はいっそ感心してしまう。
「頼むよ! あの物の怪を……! あの物の怪を退治してくれよ!」
揺さぶられることによって落ちそうになる制帽を押さえた男は、軽い動作でその学友の腕から抜け出す。
何も言わずひと睨みした男に、学友はひゅっと息をのんだ。
同じ人間のはずなのに、どうしてこうも冷たい目が出来るのか。視線を向けられていないはずの史郎でさえも、足が竦む。
史郎は睨まれて大人しくなった学友たちに視線を向け、口を開いた。
「清が、虐めていたっていうのは本当なのか?」
史郎に視線を向けた学友たちは、気まずそうに互いに顔を見合わせた。
何か言いづらいことでもあるのか。史郎が再度口を開こうとすれば、男に掴みかかっていた一人が話し出した。
「本当さ。……お前も、被害者だったんだよ、島村」
名前を呼ばれ、史郎は口を閉ざした。
そんな史郎に気付かず、学友は話続ける。
「覚えてるだろ、お前が退学する羽目になった日」
覚えているに決まっている。
史郎は無意識にポケットに触れた。中に入っているのは、ちぎれてしまったお守り。これがちぎれたことによって、史郎は学校にアヤカシを呼び寄せてしまった。そして、建物を半壊させてしまうという事件を起こした。
もちろん弁償するお金もなく、お守りもない中で外に出て学校に通うこともできず、史郎は泣く泣く学校を退学。
借金を負った史郎は、今は下宿先の人に頼み込んで仕事を探している最中だった。
「お前のお守りを清がちぎったその時、変な光が出て……そんで変な影が学校に来たんだ」
お守りを壊したのが、清。
その事実に、史郎は頭がパンクしそうになった。
どうして。ずっと一緒にいてくれたのに。ずっと、優しく笑いかけてくれてたのに。
史郎はポケットをぎゅうっと握り締めた。
日はすでに傾き、夜が訪れようとしていた。
もうすぐアヤカシの動きが活発になる時間。そして、清が襲われた時間だ。
史郎は祠近くにある岩に腰かけ、ちぎれたお守りを見つめていた。
このお守りは、生まれた時からずっと持っている大切なものだった。生まれながらアヤカシを引き付けてしまう体質だった史郎は、祖母や母に守られて生きていた。
物心ついたころから「お守りを大事にしなさい」と口酸っぱく言われていた史郎は、一度だけお守りを忘れて出かけてしまったことがあった。その時、たくさんのアヤカシに襲われてしまい、命からがら逃げきったのを覚えている。
その日から、史郎は体質をしっかり理解して、お守りの大事さも痛感した。
そんなお守りが、友人だと思っていた清によって壊されただなんて。
お守りを見つめていた史郎の耳に、ざり、と足音が聞こえてきた。顔を上げれば、木の上で待機していた男が飛び降りてくるところだった。
男は、落ち込む史郎を気にすることなく周囲を見渡し始める。
「清は、きっと何か事情があったんですよね」
男に問いかけるように、それでも自分に言い聞かせるように、史郎はそう言った。
清が虐めに手を染めていただなんて思えない。
確かに、大人の期待を背負っていたのは事実だ。優等生で、人当たりの良い子だったから。不安や疲れをため込んでしまっていたのかもしれない。
史郎はお守りをぎゅっと握りしめ顔を上げた。
男は祠をじっと見つめた後、すぐに刀に手を添え振り返った。史郎も気配を感じ、そちらに視線を向ける。
そこに立っていたのは、大きな影だった。四足歩行で、二つのサンカクの耳が付いたと根元が膨らんだ尻尾。キツネだ。
だが、そのキツネは間違いなくアヤカシ。
男は、アヤカシの正体がキツネだとわかった途端、攻撃態勢を緩めた。どことなく、落胆の色が見える。
『ニンゲン……』
低く地鳴りのような声が聞こえてきたかと思えば、そのアヤカシは史郎に向かって突進してきた。
咄嗟に避けた史郎の視界の端で、光るものを見つける。
男が抜刀し、キツネに向かって斬りかかっていたのだ。
男の刀を避けたキツネは、執拗に史郎に向かってくる。森に向かって逃げた史郎を、アヤカシが追いかけてくる。その後ろから、木々をとび渡り追いかけてくる男。
逃げる史郎を飛び越すように、キツネが前に出てくる。史郎が方向転換して逃げれば、また後ろを追ってきた。
誘い込まれてる。そう気が付くのに時間はかからなかった。
目の前に清が落とされたという崖が見えてきたその時、後ろから何やら声が聞こえてくる。
『ユルサナイ……ユルサナイ……』
聞こえてきたキツネの声は、どこか寂しそうに聞こえた。何度もおんなじ言葉をつぶやくキツネに、史郎は立ち止まる。それに合わせて、キツネも立ち止まった。先ほどの様に襲い掛かってなどこない。
史郎はじっとキツネを見つめた。
「怒ってる……?」
そう尋ねれば、キツネはその場で足踏みをした。
「何かされたのか? 人間に?」
史郎が尋ねると同時に、木の上から男が飛び降りてくる。そのまま真っすぐ振り下ろされた刀を避けたキツネは、そのままこちらの出方を窺うだけだった。
そんなキツネに再度斬りかかろうとした男の腰に抱き着いて、史郎は制止した。
「ま、待ってください! 話を!」
男は前髪から覗く鋭い目で史郎をみた。それでも、史郎は離れようとしない。
必死にしがみつきながら、史郎は声を上げた。
「このアヤカシが清を襲ったのか! なんで襲ったのか! 話を聞きましょう!」
男は史郎を腰に巻き付けたまま、キツネを見た。キツネも襲ってくる気配はない。史郎はいつ動くかわからない男を押さえながら、キツネに視線を向けた。
三角の耳に尻尾。見た目だけ見たら、このキツネが清を襲った可能性は高い。時間も場所も一致する。
だが、何故このキツネが清を襲ったのかが分からない。それに、キツネの言葉だって気になる。
「なぁ、ここで、人を襲っていたのか?」
史郎が問いかけても、キツネは答えなかった。身を低くし、すぐにとびかかってくる。史郎は押さえていた男を庇うように横に避けたが、男はその隙を狙って史郎から離れキツネに斬りかかる。
攻防戦を繰り広げる男とキツネの間に、史郎は割り込めない。
だが、話を聞きたい。
「探偵さん! 待ってください!」
近くに着地した男の腕をつかんだ史郎。だがその隙をキツネが見逃すはずもなく、前足で繰り出されるパンチを刀で受ける。
「邪魔」
平坦な声でそう言った男は、史郎を振り払おうとする。簡単に抜け出されてしまうその腕を、史郎は何度も掴んだ。
「待ってください! 俺の依頼は事件の証明です!」
振り払われるたびに伸ばす史郎の腕に、男の冷たい視線が刺さる。
「もしこのアヤカシが襲ったとしても、なんでそうなったのかが分からないじゃないですか!」
史郎の言葉に、男は大きく刀を薙ぎ払った。飛び退いたキツネは、低い声でうなりを上げながら次の攻撃の機会をうかがっている。
「それを知ってどうするの」
相変わらず冷たい男の声。史郎は男の目を見た。
制帽から覗く目。もともと鋭かったその吊り上がった目が、さらに冷たくなったような気がした。
「あ、アヤカシにも、何か事情が……」
「事情」
そう呟いたかと思えば、男は史郎の拘束から抜け出した。逃がすものかと再度男に手を伸ばした史郎の目の前に、鋭い切っ先が向けられる。
「どこまでもおめでたいやつ」
刀を向けられた史郎が動きを止めれば、男の意識が逸れたと判断したキツネがとびかかってくる。だが、男はキツネを見ることなく刀を振るった。
避けることが出来なかったキツネは、悲鳴に似た鳴き声を上げのけぞる。前足を斬られたらしく、黒い靄のようなものがあたりに漂っていた。
男は史郎を見つめたまま、口を開いた。
「あんたはどっちなの。人間を庇うのか、それともアヤカシを庇うのか」
「俺は……俺は、真実が知りたいだけなんです」
史郎は男から目を逸らしキツネを見る。体力が消耗されているのか、斬られたことによって警戒を強めているのか、むやみやたらと襲ってくることはなくなった。
そんなキツネに、史郎は声を掛けた。
「なぁ、お前はなんで人を襲ったりしているんだ? 許さないって、何かをされたのか?」
人間の言葉が分かるのか、キツネは耳をピクリと動かした。
だがすぐに、身を低くして唸り声を上げる。
『ニンゲン……ユルサナイ……ユルサナイ……』
「何かをされたんだな。話してくれないか?」
史郎は怖くないと告げるように手を広げ、キツネに話しかけ続ける。そんな史郎を、男は感情のない目で見つめてくるだけだった。止めようともしない。逆に、邪魔しようともしない。無慈悲に見えて、意外と心があるのでは、なんて史郎は思った。
「なぁ、何をされたんだ? なんでそんなに怒ってるんだ?」
『ニンゲン……コロシタ……』
「殺した……?」
その言葉に、史郎は学友たちの言葉を思い出した。
あの三人は、清があの崖から人を落として殺したと言っていた。だから、祟りだ、と。それがもし本当だとしても、おかしな部分がある。
清たちが崖から落としてしまったのは人間だ。だけど、このアヤカシはどう見てもキツネ。
キツネを人間だと思うことなど、そうそう無いだろう。
『コロシタ……ダカラ……コロス……』
このキツネは復讐をするためにここにいる。
だけど、どこか清たちが襲われた話とは繋がらないような気がしてならない。
「お前は、殺されたのか……? 人間に?」
『オマエトオナジ……オマエガ……コロシタ……』
キツネは史郎に向かってとびかかってくる。咄嗟のことに反応できなかった史郎は、眼前に迫った鋭い牙を見つめることしか出来なかった。
最初のコメントを投稿しよう!