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午後の授業が終わり、学生寮へと戻る。広いエントランスを抜けてエレベーターに乗り込んだところで、食堂で別れたあと榮を見ていないことを思い出した。選択科目が違うので顔を合わせなかったのだ。
エレベーターは四階で止まり、フロアに足を踏み入れる。部活動をしている生徒が多いためか廊下には誰もいなかった。
榮もまだ帰っていないかも、と思いながら自室の扉を開けた瞬間「ほんっと~~にごめん!!」と大きな声が響き渡り、おれはびくりと後ずさった。
「……!?」
玄関で榮が両手を合わせながら頭を下げている。慌てて部屋の中へ入って扉を閉めた。
「俺の勝手な思い込みで、霖ちゃんと転校生が仲良くなるかもって思ってて! 申し訳ない!! 腹を切って詫びます!!」
「……いや……」
そこまで謝らなくてもいい。というか転校生が来るという情報だけで、どうしてそんな考えに至ったんだろう。不思議に思いつつ首を横に振った。
少し怖い思いはしたけれど、今は焼きマシュマロパワーで元気になっているし、寛容な気持ちにも満ち溢れている。
なので、無言で榮の頭を撫でてあげた。いつもはおれが撫でられているのでお返しだ。
「エッな、何!?」
「……マシュマロ、食べたから、いいよ」
「マシュマロ!!??」
ふふんと得意げにしてみせると、榮は混乱していた。化学室で焼きマシュマロを食べたと自慢したかったけれど、駒切先輩に迷惑がかかるといけないのでそこは黙っておく。
「なんか、機嫌良さそうだね? あいつ何したんだ……ま、まあ、霖ちゃんが元気ならそれでいいや」
「ん」
「でもお詫びの気持ちとしてお高いアイスは受け取ってくれない? 冷凍庫に入れてるから」
「……アイス」
お高いアイスという素晴らしい響きに思わず頬を緩める。たくさんお菓子が食べられるなんて、今日は良い日かもしれない。
しっかりとアイスを味わったあと。
今日出された課題を片付けてしまおうと机の上に教科書を出す。
話はもう終わったと思っていたのだけれど、榮はまだ何か言いたげだった。ベッドの上に座りながら漫画を開いているものの、落ち着かなさそうにこちらをちらちらと見ている。
「……どう、したの?」
「うーん……」
いくらか逡巡したのち、彼は気まずそうに口を開いた。
「あのさ、新歓の準備って終わった?」
予想外のことを聞かれて戸惑う。一週間後にある新入生歓迎会のことだろうか。
それは高等部全体でやるイベントで、主催は生徒会、協力として放送部と風紀委員会が関わっている。榮はそのどれにも所属していないけれど、なぜ気にするのだろう。
「ちょっと、残ってるけど……ほとんどは」
「そっか。じゃあまだ分かんないかも、だけど……」
「……?」
いつになく歯切れの悪い様子におれは首を傾げる。普段は立て板に水のごとく喋っている榮が口籠るのは違和感があった。
こういうことが増えたのは最近――転校生の話をしてからだ。心のどこかで小さく、もやもやしたものが生まれる。
「あのさ、なにかあったら遠慮なく言ってね。俺は霖ちゃんの味方だからさ」
「……それ、楸宜くんにも、言われた」
「ゲッ」
「なにか……あるの?」
榮が苦虫を嚙み潰したような顔をする。「あるようなないような……なかったらいいなみたいな……」と煮え切らない様子だ。
「不確定な要素で不安にさせたくないんだ。だから確定じゃない以上は理由を言えないんだけど、とりあえず俺は味方だよってことだけ伝えておきたくて。多分、楸宜も同じ気持ちで言ったんだと思う。癪だけど。ほんとあいつと思考回路が似通ってるの無理なんだけど」
「……」
正直、仄めかしておいてはっきり言われないほうが不安だ。けれど、それが榮や楸宜くんの気遣いだというのなら、黙って頷いておいたほうが彼らは安心するのかもしれない。
「……わかった」
「うん。ごめんね」
安堵したように笑う榮を見て、この返答で間違っていなかったのだとおれもほっとする。
「ま、そう言う訳なので……俺、飲み物入れてくるけど何か飲む?」
「……同じの」
「オッケー! 適当に入れるよ」
これで話はおしまい、というように榮は漫画をパタンと勢いよく閉じ、跳ね起きた。
おれも微笑んで返したけれど、もやもやとした気持ちはしばらく晴れず目を伏せた。
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