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 お釈迦様の目は、弥勒の方まで捉えていた。道理で、あの目の深さだ。数千年先の誕生を見ていたのだ。  目の深さと孤独の考察は、そう簡単に行われてはいけない。その深さが、孤独の深さと言うようなアホンダラには、口をきいちゃいけない。  ともあれ、考察を。と思えど、使えそうな道具は手元にない。仕方なく、雑箱の中を漁る。雑箱とは、いろいろな事物が雑に放り込まれた箱のことである。  ベルクソンのイマージュ論を見つけて、手に取った。時代遅れのおもちゃだ。一緒に遊んでくれる人はどうせいないだろう。雑箱の中の左角に戻しておこう。  ともなれば、想像力を働かせて、おもちゃなし遊びだ。  深さについて考える。二次元的な量と仮定する。目の深さ。それは、自身が映すものまでの距離である。なるほど、合点だ。孤独の深さ。おっと、これが厄介じゃあないか。孤独の中から、二次元的量を取り出すなんて、超絶技巧もそこに極まりだ。ただ、時間を二次元的な量だと思い切って、言い切ってしまえば、孤独の深さを孤独の時間と近似できるじゃないか。  それなら、目の深さと孤独の深さはどう結びつくのか。時間と空間を並べられた。お手上げである。あとは、理学生諸君に任せたい。  あぁ、そこではそれが重なっておられるのでしょうか。僕はそう思いを馳せるのみでございます。
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