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EP1 出会い
「ソル。寝る前にそこ、片づけとけよ!」
「はい…!」
日も傾く中、工場長は帰途につく前、車の中からそう声を張り上げた。
工場長が顎で指す『そこ』に目を向ければ、機械油にまみれたギアやその他多数の部品が雑多に積まれている。
午後、七時過ぎ。夕飯にはまだありつけそうになかった。
工場長はソルが視線を反らした隙に砂埃を巻き上げさっさと帰ってしまう。
「ったく…。ちょっとは片付けろってんだ」
見送りながらそうぼやいて、手近なジャンク品の山を軽くつま先で蹴った。
今年、十五歳になるソルが働くのは、辺境の惑星デアにある、砂漠の中にある貴重なオアシスにへばりつくように作られた街の整備工場。
地球と似た環境にある惑星だが、幾分小さく昼夜の時間が短かった。先程まであった日差しがあっという間に地平線へと吸い込まれ消えて行く。
そこで仕事を営む者はすべて街の外から来ていて、終われば皆、ねぐらのある街や村へと帰って行った。
けれど、ソルには帰る場所がない。ここが『家』だからだ。
家と言えば聞こえがいいが、そこは整備工場に併設された小屋で。ここで住み込んで働いている。
住み込みといっても、賄いつきというわけではなく、単に大事な部品や修理道具等の見張りの為で、ついでにここでの寝泊まりを許されていると言うのが実情だ。
小屋は人が住めるのかと思われるほど簡素で、悪く言うとボロ小屋で。
それでもソルにとっては大切な居場所だった。
既に両親はなく、育った孤児院を出てから、どんな仕事も選ばずやってきて、ようやくここに来て好きな機械いじりが出来る環境に巡り会えたのだ。
他人からはどんなに不遇に見えても、今のソルにとっては満足すべきもので。
整備工場には様々な宇宙船が来た。
この惑星では宇宙船のほか戦闘機や様々な機械へと使われる貴重なメタルが産出され、それを得るため他の惑星から来た輸送船等が頻繁に出入りしているのだ。
その為、こんな小さな工場でも、修理や整備の依頼が生活に困らない程度にはあり。昔を思えばソルに取っては天国の様な環境だった。
ソルの機械いじり好きは父親の影響が強い。
父の職はブラシノス連合に所属する宇宙開発研究所の軍事部門研究員で、主に大型艦や戦闘機の設計・開発を手掛けていた。
ブラシノス連合とは民主制を掲げる国々が集まったものの総称で、本部は惑星ベルデにある。
ここ最近は連合内部で分裂等があり結束は昔ほど無くなって来ているが、当時はまだ力もあり、激しく帝国軍とぶつかっていた。
帝国とは、数百年続く貴族ファーレンハイト家が、惑星フィンスターニスに開いた国。初代の名前を取ってエテルノ帝国と呼ぶ。
現皇帝はエドガー・フォン・ファーレンハイトと言った。
幼い頃はこのブラシノス連合が管理するスペースコロニーに住んでいて、母を病で亡くしてからは、父と二人、大型艦や戦闘機の設計図に埋もれながら生活をしていた。そこで幼いながらも様々な知識を得ることになる。
しかし、平和な機械まみれの日々は長くは続かず。コロニーが帝国軍と連合軍との戦いに巻き込まれ破壊されたのだ。
戦火に巻き込まれ、男手一つで育ててくれた父を亡くし、命からがら救助船に乗り込みコロニーの爆発から逃げ出して来た。
しかし、それからが大変だった。母親を早くに亡くし、父以外に身寄りがいなかったソルに、行く宛などあるはずもなく。
当時、ようやく七歳になったばかりのソルはそのまま引取り手無しで孤児院へと送られ、そこで十歳になるまで育った。
そこでの生活は傍から見れば悲惨だったのかもしれない。
着古され薄汚れた衣服。日に二度だけの食事。週に三回あればいい沐浴。隙間風の入る薄い壁の部屋で、硬く毛羽立った毛布一枚に包まって眠る日々。
けれど衣食住は確保できていたのだから、幸せだったと思っている。
もっと酷い環境で生活している子どもはいくらでもいた。路上で生活している孤児は山ほどいたのだから。
しかし、施設ではいじめは勿論、院長による差別も日常茶飯事にあった。
特にソルは可愛くない部類に括られていたようで、当たりが強く。
ソルは人懐っこくもなく、可愛げもない。
肌もアジア系だった父の血を強く引き、白い肌とは程遠く。髪も赤毛でクセ毛、顔にはそばかすが浮き、濃茶の目ばかりが大きく目立つ、どこか陰鬱で冷めた表情をした子どもだった。
好かれる要素は無いに等しい。冷たい院長が更に冷たくなるのは当然の事だったのだろう。
けれど、そのおかげで妙な奴らに手を出されることはなかった。
つきものの様に、その孤児院にも児童虐待をする職員連中がいたのだ。『子ども』が好きらしい。正直、低俗で卑怯な辺戸の出る様な連中。
院長はそれを知っても見て見ぬふりを通していた。何かとストレスが溜まり安い仕事に、それはいい解消法だと思っていたのだろう。
しかし、前述した通り容姿のぱっとしなかったソルには食指が動かなかったらしく、連中の目に留まることはなかった。
ただ、当時仲良くしていた唯一の友人は、連中に目をつけられ、酷い目にあっていた。
名前をセスと言った。
事情は分からないが、身寄りがなくここへ連れて来られたらしい。まだ六歳になるかならないかの彼に選択の余地はなく、有無を言わさずここでの生活が始まった。
彼は正に天使の様で。日を受けるとキラキラと輝く金糸の髪に、翡翠の色をした瞳。肌は子供ながら透き通る様に白かった。
そんな美しい容姿の少年を連中が放っておくはずもなく。
その友人の状況に対して、幼い自分が出来る事など何一つなかった。一度だけ派手に歯向かったが、連中に襲われそうになり、それを逆に友人が救ってくれ。
彼は二度とこんな事はするなと言ってくれた。大人しくさえしていれば酷いことはされないのだと。
そんな筈はないのに。
彼は笑っていたが、心では泣いていたのだと思う。
孤児院を先に出たから、あいつがどうなったのか分からないけど。
務め先が見つかったため、彼をおいて先に出てしまったのだ。十歳でもいいからと言われ酪農を営む農家へと入った。
別れの時の友人の目が忘れられない。
言葉では喜んでくれていたが、酷く悲しげな目をしていた。
いつか、会えるといいけれど。
ソルが孤児院を出る少し前、裕福な商家への養子の話が出ていた。きっとそこへ行ったのかもしれない。
俺よりずっとましな生活をしてるだろうな。
油まみれの自分の手を見つめる。爪の間にも指紋にも、すっかり汚れが染みついてしまって、取れることがなかった。
別にどうってことはない。
もともと機械いじりは好きなのだ。
ようやく片づけが終わって、油で汚れ切った身体を洗うためシャワー室へと向かう。
流石に修理工場だけあって、こういった設備は充実していたが、なんせ工場長が良く言えば倹約家、悪く言えばケチなため、お湯を出すことができなかったのだ。お湯を使えるのは日中のみ。
平均気温は十度は下回らないが、それでも、寒い季節の朝晩は辛い。この時期も丁度地球では冬に当たる。温度計は十一度を指していた。
これじゃ、油、落ちないな…。
重いため息を吐きつつ、念入りに洗うことに決めた。
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