母娘

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母娘

 アーバンイーツのピックアップでよく行く店があった。 『カフェ・エカルラート』  ここのクラブハウスサンドイッチは、知る人ぞ知る人気商品。注文がそこそこ入るのに、大手ファーストフードチェーン店と違い、その存在が広く知られていないから、ライバル配達員がほとんどいない。しかも、配達先が新聞販売店の活動地域内だから、地の利を生かして最短距離で運べる。注文さえ途切れなければ、ピストン輸送できる。つまり、稼がせて貰っている店である。  ここのオーナーはシングルマザーの冴島奈津子。彼女には、緋沙子というヨシタカと同じ年頃の娘がいて、よく店を手伝っていたからお互いに顔見知りであった。 「いつもご苦労様」  ヨシタカがピックアップに行くと、奈津子と緋沙子はいつも優しくねぎらってくれた。  二人は、背格好が似ていて、どちらも金髪ギャル。母娘と言うよりも、年の離れた姉妹のようだった。 「ヨシタカ君って、可愛いよね」  何気なく言われたことがあって、少しばかり照れ臭くなったこともあった。  あまり人と関わらないヨシタカでも、この店では多少なりとも会話を交わすことが出来た。  自分の身の上話はほとんどしていない。どちらかと言うと、奈津子の方が自分たちについてよく喋っているからだ。  奈津子は、高校卒業後から20代後半まで女優を目指して小劇団に所属していた。タップダンスを習い、ボイストレーニングに精を出し、売れないチケットの販売ノルマに苦しんだ日々を送ってきた。  小さな舞台には何度か立ったそうだ。親戚と友人のみの観客を前に、下手な芝居を見せていたと笑って言った。 「でもその頃に私のファンだという人もいたのよ。上演するたび、お祝いのお花を匿名で贈ってくれたの。紫のバラの人みたいでしょ」  それが、舞台女優時代の唯一の自慢話。あとは苦労話ばかり。 「ヨシタカ君の将来の夢は何?」  急に話を振られた。  ヨシタカは、生きていくだけで必死だから、将来のことなど考えたことない。 「何よ、無いの? 一番夢見るお年頃でしょ」 「……」  言葉に詰まる。 「じゃあさ、好きなことは何?」 「特には……」  好きなことなど全く思い浮かばない。 「私は、夢ばかり見て、結局自分の限界を知って女優の道を諦めてしまったから偉そうに言えないけど、夢は必要よ。成功している人たちは、皆、子供の頃の夢を実現した人たち。夢が無いところに成功はない」 「好きなことで生きていくのに必要なものは、やっぱり才能ですか?」 「うーん、それを認めたら夢も希望もないけど。でも、夢見て努力して、挫折や悲哀を知ることだって、人生に必要な経験だと思う。だから、夢に無駄はない!」 「それって、単なる負け惜しみじゃない?」  横から緋沙子が茶々を入れる。  奈津子が夢を諦めても明るく元気でいられるのは、緋沙子がいるからだ。彼女の生きがいは、娘の成長を見守ることだ。カフェ・エカルラートのエカルラートは緋沙子の「緋」から付けている。緋色のフランス語で、店内は緋色に溢れている。 「あなたは黙っていて! あ、そうだ!」  奈津子は思いついた。 「ヨシタカ君に頼み事があったんだ」 「頼み事?」 「大した事じゃないの」 「なんでしょうか?」  人から頼み事をされるのは初めてなので、ソワソワする。 「緋沙子と友達になって欲しいの」 「え?」 「ちょっと! お母さん! 急に何を言い出すの?」  緋沙子が照れながら怒ったが、奈津子は曲げない。 「俺が、友達に?」 「そうよ。ヨシタカ君みたいな子が緋沙子の近くにいてくれたら、とても安心だわ」  緋沙子が慌てて母を止めた。 「だから、迷惑でしょ! そんなことって、頼んですることじゃないから!」  ヨシタカもそう思う。 「ヨシタカ君からも緋沙子を説得して!」 「緋沙子さんが望んでいないことは出来ません。でも、奈津子さんの申し出はとても嬉しかったです」 「でも……」  奈津子が言いかけたその時、アーバンイーツの通知音が鳴った。店にオーダーが入ったのだ。同時に、ヨシタカにも「ピロリン」と配達依頼が来た。 「はいはい、お仕事、お仕事。えーと、クラブハウスサンドイッチと、ベーコンポテトね。ヨシタカ君、すぐ用意するから、待っていて」 「分かりました」  正直、注文に助けられた。  エカルラートの紙袋を抱えて外に出ると、デリバリーバッグに入れる。自転車で走り出すと目の端でチョールに似た黒猫を捉えたが、頭の中は先ほどの会話で一杯だったので、気にせず配達先に向かった。  仕事を終えてザクロ邸に戻ると、レイが何か言いたげに待っていた。 「どうかした?」 「今日はとても楽しそうだったね」 「え? 何のこと?」 「お店の母娘よ」 「そんなこと、なんで知っているんだ? 見たのか?」  レイは、この屋敷から外に出ることはないと思っていた。 「この子よ」  レイの胸に抱かれたチョールが「ニャー」と鳴いた。 「この子は、自由に外を出歩ける」 「あれ、やっぱりチョールだったのか。似た猫がいると思っていた。俺を見ていたんだな」  覗き見されて気分が悪い。 「照れることないじゃない」 「怒っているんだよ」 「そんなことより忠告よ」 「忠告?」 「あの母娘に間もなくとんでもない悪いことが起きるわ」 「は? どういう意味だよ」 「娘の方、死ぬわよ」 「ウソだろ……。お前、人の死を予知できるのか?」 「ええ。そうよ。おそらく、母親の方は第六感が働いている。何か良くないことが娘の身に起きると無意識下で感じているから、あなたに友達になって欲しいって言ったんだと思う」 「そんな……。不吉なことを言うな!」 「ウソかマコトか、間もなく分かるでしょう」  それはそれで実現してほしくない。 「阻止する方法はあるのか?」 「なぜ聞くの? 信じていないくせに」 「ああ、信じていないさ。信じたくもない。だけど、もし本当だったらと思うと。知った以上、放っておけない」  ヨシタカは頭が混乱した。 「どうすればいい? どうすれば、それがウソになる?」 「彼女を見守るほかにない」 「ストーカーに思われないかな」 「自分の保身より娘の安全でしょ。絶対見つからないようにすれば大丈夫よ」 「でも、四六時中見張っていることは無理だ。仕事も学校もある」 「彼女が登校している間は何も起きない。注意すべきは、放課後。それも夜遅く」 「それなら、夕刊配達の後に何とか出来るかも」  アーバンイーツを理由にカフェ・エカルラートに出入りすればいい。 「奈津子さんは、俺を信じてくれた。その奈津子さんの一番の生きがいは緋沙子さんだ。何もなければ、それでいい。奈津子さんを悲しませたくないだけだから」  ヨシタカは、内緒で緋沙子を見張ることにした。
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