高塚愛虹

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高塚愛虹

 ヨシタカは、授業中に倒れた。  気づいたら、保健室のベッドの上。目の前には、高塚愛虹(あいこ)の心配そうな顔があった。 「やっと気付いた」 「高塚……」 「突然、大きな音を立てて、椅子から転げ落ちて気を失ったんだよ。それで授業は中断。皆で保健室まで運んだんだから」  碌な栄養を取らずに深夜まで働き詰めだったから、過労と栄養失調で倒れたようだ。  変な考えに憑りつかれたのも、そのせいだったのかもしれない。 「高塚はどうしてここに?」 「私は保健委員だから、付き添いを頼まれたんだ」 「迷惑をかけたね」 「良いのよ。こういうことでもなければ、あんたと話す機会なんてないから」 「え……」 「たまには、こうしてゆっくり話したかったんだ。休み時間は寝ているか図書室、授業が終わるとあっという間にいなくなる。いつも忙しそうで、声を掛ける隙も与えないんだから」  彼女のことは中学から知っている。ずっと同じクラスだった。高校生になっても同じクラスになったが、特別仲が良かったわけではない。ヨシタカは、いつも自分のことで精一杯。誰かと交流して友情を育む余裕なんて、一切なかった。そんな自分と話したいとは、彼女は変わっているとさえ感じた。 「寝不足なの? 毎日何しているのよ」 「いや、別に……」  自分の事情など、恥ずかしくて情けなくて、とても口に出せない。  このタイミングでヨシタカのお腹が「グー」と鳴った。 「お腹が空いているんだ。お弁当は?」 「持ってきていない」 「購買?」 「うん……」 「そっか……」  高塚は、どこかを見た。 「目が覚めたなら、授業に戻らないと」 「そうだね」  高塚は、立ち上がった。 「私、先に戻るね」 「分かった」  高塚が保健室を出て行った。一人になったヨシタカは、しばらくの間、呆然と天井を眺めた。 「久しぶりに、普通の人と普通の会話を交わした気がする……」  ずっと幽霊と喋っていたから、新鮮な気分がした。  体を起こしてベッドから降りる。足が保健室の冷えた床につく。  自分の上履きは、ベッドの下にきちんと揃えてあった。高塚がやったのだろうか。  時間はすでに昼休みに掛かっていた。  廊下に出ると、大勢の生徒たちが思い思いに出歩いて賑やかだった。 「あ、しまった!」  慌てて購買に行ったが閉まっていた。  出遅れた者にパンはない。残酷な現実である。 「水でも飲むか」  水道の水で空腹を紛らわしていると、トントンと誰かが背中を叩いた。振り返ると、高塚が焼きそばパンを持って立っていた。それをヨシタカに差し出した。 「え、何?」 「確保しておいた。感謝しなさいよ」 「いいの?」 「勿論、お金は貰うわよ。そこまで甘くないから。いらないなら、私が食べる」 「グウ……」  目の間の焼きそばパンがとても美味しそうで、ヨシタカは、無意識に財布から120円を取り出していた。  高塚は、ニッと笑って、「やっと普通の反応を見せたわね」と言って、お金と焼きそばパンを交換するとどこかに行ってしまった。それを呆然と見送った。  こんな風に誰かと関わることは、ヨシタカにとって初めてのことだった。  手にした焼きそばパンは、いつもヨシタカが食べているやつだ。高塚は、知っていたということだ。  誰も自分のことに関心がないと思っていた。  自分を気にしてくれる人がいる。そう思っただけで心が温かくなる。  空腹なのに、手にしている焼きそばパンを食べるのが惜しくなった。  生きている高塚愛虹と話したのは、それが最後となった。ほどなく彼女は行方不明になり、発見された時は、もう生きていなかった。バラバラの肉片となって山に捨てられていた。
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